アトピー考 その5 − 感情Ver.II
アトピーの自分は怒りという感情を抱きその感情が身体に現れるといった悪循環を繰り返してきたと「アトピー考その4 ー感情」で振り返った。
https://note.com/hiroshi_m1121/n/nb61f9cfb04d0
自分が抱く感情を自覚する。その抱いた感情を良いとか悪いとか判断せず断罪もせずあるがままに認める。そうすることで何か次のステップに進めると思う。そんな趣旨のことを書いた。
人それぞれに抱く感情はその人にしか分からないことが多い。自分の場合では何故怒りの感情を持つのか。それを掘り下げると見えてくるものがあるのだろうか。そんな視点でもう少し書いてみたいと思い「アトピー考その4 ー感情」の続き、その4の第2話を設けてみた。
怒りの感情を持つ根底には何故自分がこんな目に遭わなければならないのかという心理があるのだと思う。その裏返しでこうなれば良いのになあという心情がある。例えば、汗をかいても痒みが出ない。他人に肌をさらしても気にならない。お風呂から出てそのまま下着を着ることが普通。そんなことが出来ればなぁと思う。
子供の頃から羨ましかった。例えば入れ墨を入れる人。そんなの不良じゃないかと日本人なら思うがそういった善悪の問題ではない。出来るか出来ないかという視点で羨ましいと思っていた。そもそも病弱な不良なんてサマにならない。
例えばソープ嬢。他人と肌を合わせることを職業にする。逆立ちしても一生かかっても自分には(女性ではないということは別にして)出来そうにないという意味で憧れというか尊敬してしまう。1番触れて欲しくない肌を使って他人に喜んでもらえるなんて自分には想像の域を越えている。世間からどう思われていようがいまいが自分からみれば何か眩しい存在なのだ。
例えば夏のプールの監視員。真夏の太陽の下真っ黒に日焼けした健康的な(日焼けそのものは健康的ではないが)お兄さん。したくても出来ない。初めからムリむり無理と思う。
そんな気持ちの奥底を突き詰めていけば疎外感があるのだろう。自分は他人と違う。それは誰しも当てはまることではある。しかし、皮膚を通じて肌を通じて感じるのは何か根源的なものではないだろうか。思春期に初めて知る自己と他人の違いよりもっと早い時期からもう分かっていたし気付いていた。
人種の違いも根本は肌の色から来るのだから人種差別も何か通じるものがあるのかも知れない。肌の色も生まれたときから変わりなく変えることも叶わない自己のアイデンティティーにつながるものだ。ただ、同じ肌の色を持つ同胞がいるのだしその条件はやはり違う。
自分は他人とは違う。その当たり前のことを常に目の前に突き詰められている。それが自分にとってのアトピー。そんな気がしてアトピーと感情の関係をとらえてみた。
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