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大学院生生活、本の読み方(1)

大学院生としての生活とは切っても切れない本を読むということ、普通の読書とはどう違うのか、自分の読み方を紹介します。本のほかに論文も読まないといけないのですが、論文の読み方はまた別の記事で書こうと思います。なので、今日は本に限定した話として読んでください。また長いので、何回かに分けてアップしようと思っています。


教科書

まずはなんといっても教科書、テキストです。MBAの時にコア科目としてミクロ、マクロ、統計モデリングの入門科目をこなしているとはいえ、わずか1セメスター、しかもはるか昔の出来事です。そのため、昔のテキストを引っ張り出してきて再読から始め、学部で人気のある教科書、大学院での標準と言われるテキストなどを自習として2年前からコツコツ読んでいます。

テキストは理解しながら読もうと努力するため、とにかく読み進めるのに時間がかかります。英語でも日本語でも。当たり前といえば当たり前で、本読んで全部わかるなら、大学要りません。苦笑

必要な科目、専門のテキストに関する学部授業の聴講ということもできるのですが、さすがにそこまでのまとまった時間がないので、毎日少しづつでも読み進める、あるいは定評のあるテキストが複数あるならどちらも読むということをしながら、本当に少しづつ進んでいるという感じです。

同じ分野のテキストを2冊(あるいは3冊)読んでみる

特に複数のテキストを読むということですが、ミクロ経済学などは幅が広すぎて、1冊ではカバーできる内容に限りがある、ゲーム理論や独占と規制など、専門分野テキストはいきなり内容が高度になってギャップが甚だしい、ということに、なんとか自習で対応するためです。

高校生だと参考書は1冊だけを精読、のようなことを言われたと思うんですが、本との相性も含めて、1冊だけではわからないため、または単純に気分やニュアンスが変わるだけでも、「あ、わかった」と思うことがあるため、難しいからこそ視野を広く持つために複数読むようにしてます。

最初から全部精読、理解はできないことをデフォルトに

ただ、最初から「全部精読」して「全部理解する」ということは目指してません。論文で書く内容が決まった時などに、自分の理解と展開が間違っていないか、言い回しは正しいか、というのをチェックするときに、関係するところを再度熟読という感じです。この点でも複数のテキストに参照ができると安心材料になります。そして、切羽詰まった必要性があることが、理解の必要条件です。

物差し、基準としてのテキストの重要性

テキスト<学術書<一般書の順で、個性というか、エッジが立ってくるんですが、それを理解するためにも、ごく標準的なテキストを読んでおくというのが非常に大事だと感じます。

加えて、テキストも含めて、全てに同意、納得しないといけないものでもないと思います。逆に、どんな点に同意できないかということがクリアになる方が大事かもしれません。経済学には「コースの定理」や、


「ヒックスの楽観」など、

そんなわけないだろ、と直感では感じるようなコンセプトがよく出てきます。こういう違和感を拒否するは簡単です。しかし、経済学者が過去どうやってその結論に至ったのか、あるいは現代に起こっていることと対比してじっくり考えて、自分なりの意見を持つと、全く違った感じ方になりますし、教科書に必ず載るだけあって論理的な反論が非常に難しいことが実感できます。そして、理論と実証で反論する、あるいは同意するものについては補強するにはどうするか、それを考えることが大事だと思います。

終わりに

読書は隙間時間でもできるので、時間的にはほぼメインの勉強、研究の準備になっています。普通の小説などを読む時間はめっきり減ってしまいました。ただ、吉川英治の三国志をひょんなことから読み始めました。これは本当に面白く、エンターテイメントでもあると同時に社会や人間を考える上でも非常に役に立つと感じます。長いですが、こういうのも読む価値がある本だと思います。

次回は、テキストの次によく読む学術書や日本語と英語についてなどを書こうと思います。

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