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君に幸あれ 第6話 朴訥が故に

君に幸あれ 第6話 朴訥が故に
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「あのねぇ!  あんた社員なんでしょ?そんな基本的な事も出来なくてどうすんのよ? いい加減成長したら? 全く進歩の欠片もないんだから!  あぁ!ちょっと休み取っただけで、こんなになるんなら、あたしゃ一生休めないんですけど!」

  奈央が店に入るや否や、ヒステリックな女性の声が店内に響き渡った。
店内の他の客もその声の大きさに、一瞬ざわついたが、皆、我関せずで、それぞれの買い物カゴに目を戻す。
 奈央はよもやと思い、その怒声のする方へと足を忍ばせる。


「あんたさぁ、何回言ったら分かるん?」
「申し訳ないです。他のパートさん達もお休みだったので、物理的に手が回らず――」
「物理的にって……ああっ!  情けない!あんた、社員でしょうがよ!  誰が休んでも大丈夫なようにスケジューリングするのが仕事でしょ?  あたしらもね! 有給消化しないと店長に怒られるわけ!  上がこんなんじゃ、迂闊に休めないし、予定なんか立てられないじゃない!あんたは独り身だからいいかも知れないけど、こっちは家庭があんのよ!仕事以外にも色々大変なの!――」

 奈央の目に映ったのは、客目も憚らずにヒステリックに癇癪を撒き散らす、小太りの中年女性と、それに頭を下げる、痩身な中年男性。
 見るからに経験豊富な御局様に、やり込められている社員男子、といった構図だ。

  奈央は興味深く二人を見据える。
 徐々に浮き出てくる、情念の色彩。
女性からは怒りと苛立ちの赤黒い念が吹き上がり、男にはそれを耐え忍ぶように、白と黒が混濁した念が、周囲を取り囲んでいた。
  女がヒステリックな声をあげる度に、火柱が立ち、その切っ先を男に向ける。その度に男の周囲からは、灰色の粉塵が巻い、その念の膜を破壊していく。

「はぁ……」

 奈央はその光景を見て、深くため息をついた。




 向前は大きく深呼吸する。
『あんた!それでも社員なの?』

 室井の言い放った言葉が、どうしても引っかかって仕方がなかった。
 毎日のように言われ続けていたので、慣れっこにはなっていたが、涓適岩をも穿つ、言われ続けていたが故に、それは彼の心を砕いた。久しぶりに息が苦しくなるほどに、その発言は彼を苦しめた。
  室井が何故彼を非難したのか?
この一週間、まるで申し合わせたかのように、室井を含めたパートスタッフ陣が、有給消化に走ったのだ。ある者は海外へ旅行、またある者は家でのんびり、と自由気ままな休暇を楽しんだ。が、しかし、残された社員とバイトスタッフは、その穴埋めで朝から晩まで働き詰めだった。
そんな折りに、室井が発注していた日本の銘酒8選が届いており、それに誰も気づかないまま放置されていたと言う。
  室井は自らの仕事と売場に絶大な自信と誇りを持っており、『商品が出ていない』事が、殊更許せない性分だった。
  それを知っていた向前は、日々、入荷物には注意し、どんなに遅くなろうとも、彼女が休みの際は、店頭に並べる迄を自分とバイトスタッフに課していた。
  が、しかし、今回ばかりはそこまでの余裕が無かった。朝一で品出しスタッフと一緒に商品を並べ、そこから夕方までノンストップでレジ打ち。夕方に少しだけ休憩を取り、閉店後には廃棄商品の抜き取りと処分。そして夜の便で届いた商品の品出しと、朝6時30分から深夜0時に至るほどに、過酷を強いられた。しかも通常のルートでは無い宅配便で、室井の注文品は届いていたようで、備品倉庫に眠っていた始末。

正直言うと室井からの伝達は何も残されていなかった。故に向前もそれを知る由もない。勿論発注用端末から履歴を遡れば、それは確認出来た。とはいえ、今回のタイミングでは、そこまでの余裕がなかった。
  されど室井にはその『都合』は通用しない。
『そこをどうにかするのが社員』
  それが彼女の常套句。実情を伝えようとしても、
『口ごたえする暇あったら、仕事しなさいよ!』
と、一蹴する始末。
 喧嘩するだけ不毛。そう割り切って彼も息を殺していたが、客たちの前で長時間、大声で叱責された今日だけは、自尊心を激しく傷つけられた。

「はぁ……」
昼休みのインスタントラーメンも味がせず、喉を通すのさえ億劫だった。

「向前さん、ちょっといいですか?」
「は、はい……」
昼から出勤してきた店長が、彼の肩に手を置いてきた。

「ちょっと、店長室で、お話があります」
  店長の西川は無表情で促す。
  向前はラーメンに蓋をすると、浮かない足取りで彼の後を追う。









  二時間後。

  向前は、生まれて初めて『お先真っ暗』という言葉を、身に染みて感じていた。
  西川からの話は、今後の彼の進退について。


「向前さん、最近、どうです?  お仕事、楽しんでらっしゃいますか?」
  直属の上司でありながら、向前が歳上であることを意識した物言いで話を切り出す西川。
「はい!  楽しいとは一概には言えませんが、精一杯頑張ってるつもりです」
    素直に答える向前。
「まぁ、とても頑張ってらっしゃるところ、大変に申し訳ないんですが…….」
  西川は少し言葉を詰まらせた。
「はい……」
  また、何かしら咎められるのか、向前は不本意ながらも心の準備をする。

「はっきり言いますね!  あの、向前さん、お仕事、転職とか考えてらっしゃいませんか?」
「は、はい?」
「いや、もうごめんなさい!  もう、限界なんです!  吉毛さんと室井さんからずっと言われ続けてるんですけど、もう、その、向前さんとは働きたくないって……これ以上向前さんが居座るなら、自分たちが辞めるって……」
「は、はぁ……」
唐突過ぎて事態を飲み込めず、生返事で答える向前。
ちょっと待て!

クビ?





  そう、全くその通り、実質上『クビ』。
  西川の言い分としては、実際に店舗を回してるのはパートやバイトであり、それを失う訳にはいかない。順番で考えるなら、それらスタッフをまとめきれない上長にいちばんの責任があると。

  形式的に依願退職扱いで、西川が彼に提示した再就職先は和菓子の製造工場とビルの清掃会社。

 そのどちらかで、意気揚々と働く自分の姿は、全くもって想像出来ない。

まさに頭は真っ白、お先真っ暗。

「明日からどうしよう……」

店長室から出てきた向前は、おぼつかない足取りで、とぼとぼと事務所へ向かう。
 その刹那、せかせかと荷物を運ぶ吉毛とすれ違うが、手伝いもせず、それさえも目に入らなかった。
「あんた!  何ボケッとしてんの! 手伝いなさいよ!」
  素通りされたことに腹を立てた吉毛は、室井同様に大声をあげる。
  しかし、その声は向前には届かなかった。
  もはやただの雑音でしかなかった。







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