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1991年ソ連旅行(17)

 ブハラには2泊しました。移動は日中となるので、どうしても一泊1万円もするホテルに何泊もするような豪遊となってしまいます。とはいってもホテルの部屋はせいぜい6千円がいいところですが、ホテル間の競争がないし、外国人が泊まれるホテルは基本1か所なのでどうしようもありません。
 ホテルをチェックアウトする際に新たなバウチャーが発行されます。これは旅行代金の支払い証明なので、命の次(パスポート)の次(ビザ)の次(現金)の次に大事なものです(ソ連旅行は大事なものが多すぎます)。ところが、このブハラのホテル、チェックアウトをしたがバウチャーをくれません。バウチャーをくれと言うと、もう渡したはずだとの返事。そんなことありません。もしここでそうだったかなと思い直し、バウチャーを持たずに次のポイントである空港やホテルに出向くと、代金が支払済であることを証明するものがないのでチェックインできません。その場合その場であらためて代金を支払わねばならないことになると思われます。バウチャーはまだもらっていないと強く主張しました。スタッフは発行済のバウチャーの控えを調べ始めました。ないものはないんだからあるわけがありません。スタッフは若干忌々しげにバウチャーを作成し、半ば叩きつけるようにこちらに渡した。ありがとうと言ってバウチャーを受け取ったが、別にお礼を言うようなことじゃありません。ソ連旅行は予約済のベルトコンベアーに乗っかる楽な旅と思っていましたが、実際にはうかうかしているとコンベアーから落ちてしまってにっちもさっちもいかなくなってしまう、という感じです。
 この日は、ヒヴァ観光の拠点となるウルゲンチへ行きます。タクシーで空港へ移動します。二日目にも来ましたがブハラの空港はこじんまりとしています。チェックインを済ませて出発を待っていたら時間になったようで、車で飛行機の所まで運ばれました。おや、ちょっと大きい飛行機だ、ウルゲンチなんて大きいところじゃないのに、と思っていましたら、これはモスクワ行きとのこと。あやうくモスクワまで行ってしまうところでした。業務用の車に乗せてもらってターミナルへ戻ります。危なかったとか言いながら運転手と談笑します。空港係員は、外国人はモスクワへ行くものと早合点したのでしょうか、困ったものです。

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 ウルゲンチ行きの時間です。飛行機は二日前のと同じ種類の機材、プロペラのアントノフ24。たぶんサマルカンド発、ブハラ経由ウルゲンチ行きなのでしょう。今はたぶんブハラとウルゲンチを結ぶ路線はないので、その点だけは旧ソ連の方がよかったかもしれません。ウルゲンチ空港に到着すると、外国人担当の係員が出迎えてくるのはいつもどおりですが、今回はなぜか運転手付きです。ソ連旅行では「トランスファー」という送迎の運転手を手配することができる、というより手配する方が望ましいようです。当局の監視の目が行き届くからです。しかしながら以前も触れましたがこれもぼったくりで、日本で手配すると1回につき少なくとも5千円はとられてしまいます。今回自分は手配しませんでした。結局空港からホテルまでのタクシー代金は高くても30ルーブル(120円)。手配しなくて大正解でした。ところが今回は手配していないのに車が手配されています。「アナタは日本人ですか」と訊かれ、そうだけどと答えているうちに、別の日本人があとから二人やってきました。どうやらこの人たちが手配したもののようです。これからみな同じウルゲンチ市内のホテルに向かうので乗っていきなさいと言われましたので、車に乗り込ませてもらいました。
 お二人は年配の男性と若い女性で親戚らしく、モスクワ在住とのこと。男性はロシア語ができ、女性は勉強中とのことですが、会話はできるようです。この日のうちにヒヴァ観光に行くというので、自分は翌日に行こうと考えていましたが、予定を変えて同乗させてもらうことにしました。
 出発する前に、ホテルの自室でカメラにフィルムをセットした時に、セットの仕方が不十分で、結局写真撮影に失敗していたことが、帰国してフィルムをカメラ屋に出してからわかりました。だからこれ以降現地写真はありません。

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 車は運転手のみでガイドはいません。二人は運転手とロシア語で会話しています。運転手は英語はできないようです。やがてヒヴァに到着。今ではヒヴァは城壁の内外にホテルがありますが、当時ヒヴァに外国人が泊まれるホテルはなく、みなウルゲンチから日帰りでやってきます。ちょっと休憩ということでレストラン(というよりカフェか)のようなところでお茶を飲んでいたら、現地の人たちがナンを分けてくれました。しかしながらこのナン、メチャクチャ固く、かみ砕くのも一苦労。隙をみて捨ててしまいました。
 ヒヴァはあまり広くないので、いくつかの建物を見物し、ミナレットに登ったりしていると、概ね見どころを回ってしまったようです。
 帰路、車の中で二人にお願い事をしました。当時飛行機というものは、特に往復の復路に乗る際は、搭乗の72時間前にリコンファームをしないと予約が取り消されることがありました。自分はこの旅行の最終日である5月3日のハバロフスクから新潟までの飛行機を確保していますが、リコンファームしないと予約を消されるかもしれない、だけどソ連国内の外国人観光客対応デスクのインツーリストの係員にリコンファームの話をしてもどうも話が通じない、という状態でした。72時間前がせまってちょっとあせってきたところ、ロシア語に堪能な方が現れたので、その時は二人がまるで救世主のように見えました。そこで係員にチケットのリコンファームをしたい旨を伝えてもらえないかとお願いしました。
 自分は思い違いをしていたのかもしれません。二人から言われたことは、ハバロフスクは同じソ連とはいうものの、ここからは外国のようにはるかかなたの街である、通信事情が日本ほどよくない中で、ウルゲンチのインツーリストにハバロフスク発の飛行機のリコンファームを依頼したって無理、そもそも新潟行きの飛行機は満席になることはないと思う、という具合。そういうことなら不安だが腹を括るしかありません。
 ウルゲンチのホテルに到着。チェックインの時もそうでしたが、ホテルの出入りの番をしているウズベク人のおじいさんが、うれしそうな表情で私たちを出迎えてきます。ちょっと不思議。ところで二人は明日は移動とのこと。自分はもともと明日ヒヴァに行くつもりだったので、明日することがなくなってしまいました。男性によると、することがないなら運転手がアナタをアムダリヤ(ウルゲンチの側を流れてアラル海に至る中央アジアの大河)に連れてってあげるって言ってるよとのこと。うーんと思いましたが、ロシア語ができない自分と二人での移動はどんなもんだろうかと思い、やめておきました。

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