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ルーチェのお散歩日記          はじめに 〜雨の日(1)

はじめに  〜雨の日(1)

 どうもこんにちは。ルーチェです。犬やらせてもらってます。僕目線で話させてもらいます。雨ニモマケズ風ニモマケズ、僕は四六時中、散歩のことを考えています。同居人の男は結構サボるので全く信頼しておりません。僕の主人はたまきちゃんなので。365日、朝夕方夜中の3度欠かさず散歩をしておりますが、雨の日も風の日も雪の日も雷の時だって、どんな時だって必ず散歩に出ます。同居人の男は仕事だと言って何かしら口実をつけ結構散歩をサボるのです。全くクソ野郎です。やつはほんとに人生を損しております。散歩にはいろんな気づきがあるのです。そんな僕が日々散歩している中で気づいたことや思ったこと感じたことを書いていきたいと思ったりもしています。
 自分で言うのもなんなんですが僕は、目がくりっとしていて髪の毛もツヤツヤで小さくてとても可愛いのです。この街の人々はみんな僕にメロメロです。同居人の男ももちろん僕にメロメロなのですが、ベタベタくっついてきたりほんとに気持ちが悪く、うざさMAXです。さあ、そろそろ散歩にでかけましょう。
 今日は雨降りです。雨の日はちょっとだけ行くのを躊躇します。僕の毛はフサフサ全身に生えているので、びちょびちょになるし冷たいし汚れるしそれを考えるとちょっと微妙なんです。それでもぼくは欠かさず出かけます。僕にはやらなければいけないことがあるのです。そうマーキング。僕はこれに人生をかけています。すべてをマーキングのために日々過ごしています。家にいるときは基本的には力を温存し散歩に出たときのために体力を貯めています。
 毎日毎日毎日毎日同じ道をぐるぐる回って何が楽しんだって思ってる方もいらっしゃいますよね?同じ道でも日々違うんです。私はそれを知っています。出会う人も割と違うしね。僕って結構、癇癪持ちで、すぐ切れるのですが、実はケンカはめっぽう弱くてトホホ。これは内緒にしておきたいのですが。でも僕は戦わなければいけないのですそういう使命があるのです。
 さあ今日は雨です。さっきも言ったけど雨の日は寒いしちょっと億劫です。ただ散歩してる人も少なくて嫌いな奴に合わなくても済むし、結構、道を独り占めできます。まあそもそも僕の道ですけどね。雨の音がとてもうるさいです。でもなんだか街はすごく静かです。一旦外に出てみると雨の日って意外と好きなんです。同居人の男はただの付き添いです。こいつと2人では絶対に散歩に行きません。全く頼りにならないし2人で行ってもつまらないし、それにいろいろと見る目がないんです。世界はこんなに広いのに視野がものすごく狭いんです。かわいそうな奴です。気づいた方も見えると思いますが、私、若干、性格に難ありです。ただ、べらぼうに可愛いので全て許されてます。
 雨の日になると突然現れます。水たまり!道のちょっとした凹凸なんて晴れてる日には気がつかないですよね。雨が降るとそこに水たまりができて、地面の起伏を見える化してくれます。僕は、水たまりが、好きです。水たまりは、雨の日になると、突如現れます。晴れてる日には、なにもないのにです。その水たまりに雨粒が無数に落ちてゆきます。
「雨粒〜波紋〜無限〜だ〜!生まれて、消えて、生まれて、消えて、儚い〜。儚いから美しい行為だ!。」なんて思うんです。喜びと、悲しみの、入り混じった感情。心を揺さぶる二極が同時に、起こって、ドキドキ、ワクワクします。感情を揺さぶられる。それが、いいのか悪いのか、わからないけれど、自分にとって大切な感情です。
例えばボクシングで、パンチの連打をうけまくっている時みたいに、めちゃくちゃ痛いけど、戦いの充実感が、同時に訪れ、高揚する。ボコボコに殴っている時の感覚ではなくて、やっぱり殴られているときの感覚です。それも、ボコボコに殴られている時の。生きてるって実感するのです。誤解しないで頂きたいのは、これは単なる自身のマゾヒズムの告白ではないのです。いやそれは、まず、僕自身のマゾヒズムについて認めた上で、話を進めるべきかもしれませんね。生きてる実感を得られる事が、自分にとっての喜びであって生きがいでもあるのです。僕はよく、歌うまの人ののYouTube動画を見ます。パソコンも使えるので。力強くハツラツとした歌い手よりも、どこか頼りなく、不安定で、ありながらも、必死に思いを込めようとしている歌い手の姿に心奪われてしまう。儚さが魅力であることを実感します。儚さは心にグッとくる。心にグッとくるのはポジティブな感情だけではないです。儚さは、僕なりの美しさの定義のひとつです。美しさはポジティブな感情だけではないですもんね。
 無限を感じる要因として、雨粒のスピードがあります。スピードは、動きであって。生まれては、死んで、生まれては、死んでを繰り返す生命のようです。そこで死を感じていたことに気づきます。僕は雨粒を見て、死を感じていたのだな。逆に死を感じると、生きていることを実感するのです。その気づきこそが、すべてで、その瞬間に、気持ちは、変わるし、気持ちが、晴れるし、生きているとこの意味を感じるし、生命の素晴らしさを感じます。
 雨粒は、きれいは円の波紋をつくります。円にはラフな感覚があるがあるので、好きです。身体感覚としても直線より曲線の方自然な感じがするし、フリーハンドでまっすぐな線は書けないしね。直線=人工物。曲線=自然物。そんな構図。ラフな感覚。自然的。そうゆうのが好きなんですね。実際、きれいな円を書いたり、つくったりするのは、難しいです。立派な職人さんに丁寧に作ってもらわないとできないんですよ。それをいともたやすく量産しやがって、このやろうって感じです。それが、瞬時に無数にできあがって、凄いと思うんです。
 雨粒は、無限です。永遠です。永遠なんてものはないことはわかっているんだけれど期待するしちゃいますよね。♪永遠って言う言葉なんて知らなかったよね♪ 安室ちゃんも歌ってるよね。永遠に続く事なんてこの世に存在しないのにそれを信じさせてくれる出来事です。
 池ないのか水盤なのかわからないけど突如としてそこに生まれたアート空間。普段ないものが急に現れるのに自然と受け入れている自分がいる。その時点でもはや水たまりはこの世のものではなくて、その瞬間にパラレルワールドを自然と受け入れているのだ。異世界へ足を踏み入れているのよ。別次元の世界へ。今住んでる世界とは何かが違う。
 僕は雨が異世界への入り口だということを知っています。

〜雨粒。波紋。無限を感じる

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