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アホはもうおらん! 坂田さんが亡くなったんやから。

大みそかの日、コメディアンの坂田利夫さんが亡くなった、というニュースが流れた。みんな、何か言いたいけど、しばらく離れてたから、坂田さんを忘れようとしてたから、何もコメントができなくなっていた。私どもは、アホではなくて、賢く生きよう! だまされないように生活していこう。世の中は怖い人ばっかりやわ。

なんて思ってたんだろうな。「アホ」は否定されて、誰も見向きもしなくなった。なのに、世の中にはとんでもないずる賢いヤツらがたくさん現われて、どんな風にして人をだまそうかと躍起になっている感じになっている。みんながみんな、そうではないと思うけれど……。

さしあたって、お年寄りは働きもしないのに、たくさんお金を持ちやがって、あいつらからカンタンにお金を巻き上げてしまえと、いろんなサギが考え出され、今もその被害は続いている。こんなにマスコミなどで報道されているのに、いざ自分がターゲットにされると、お年寄りはだまされてしまう。お年寄りは真面目に生きていて、人にも真面目に向き合おうとしただけなのに、その真面目さを逆手にとって、お金をふんだくる若い人たちが現われている。

本当なら、真面目に働きたい人もいたと思うけれど、世の中は不公平にできているから、世の中からはみ出し者扱いを受けた人たちからの逆襲が続いている。

みんなが、はみ出し者にならず、同じ社会を作っていると実感できたら、真面目に生きてきたお年寄りをだまそう、という考えにはならなかったと思うのだけれど、世の中は分断されている。

必然的に、社会から切り捨てられた人たちは、何とか復讐してやろうとする。それはあり得ることなのだ。許されないことだけれど。

坂田師匠は、私は何か具体的に教わったわけではないけれど、そこにいてくださるだけで、私たちを安心させてくれました。とても優しいお言葉をみんなにかけてくださるし、みんなのことを気にかけていてくれた。

それをいいことにして、あまり見ないようにして、いつも同じだから、つまらないから、なんて言い訳して、私たちは師匠のことを隅っこに押しやっていた。

そして、師匠は亡くなられた。

あれは芸というのか、スタイルというのか、一つの生き方の芸だったんだと思う。細かいことはいいし、とにかく大事であるのは、怒らないこと。ケンカしないこと。仲良くすること。笑い飛ばすこと。時には涙を流して笑わせること・悲しむこと。それらがすべて坂田利夫さんの芸というか、スタイルだったんだと思う。

どうして芸かって? モノマネできるスタイルが、会社は違うけれど、大阪では大看板の藤山寛美さんという役者さんがいたんだ。あの方のアホ芸をマネて、あの方はいろいろ考えてる笑いの演者だったので、時にはキリッと二枚目になることもあって、使い分けておられたのだけれど、坂田利夫さんは、徹底的にアホのスタイルを身につけ、それで表を歩いておられたのです。

優しくて、気をつかって、みんなが平和であることを常に考え、一歩下がったところで、相手を傷つけずに包み込んでくれる人、そういう方だったと思う。だから、小さい時からずっとこの人を見ると安心できたし、ホッとさせてもらった。

でも、もう師匠はおられない。私たちは、ホッとするひと時をもらえる大切な方を失ったのだ。もう、私たちは、ツンと澄まして、賢そうなフリを死ぬまでしなくちゃいけないのかもしれない。ああ、窮屈なことだ。