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岸政彦「にがにが日記」を読んで

 文章を読むのも書くのも好きな方だと思うが、なぜか「日記」というものを書いた記憶はない。10代後半、当時バンドをやっていて、生意気にも曲も詩も書いていた。その時に作詞のネタ帳的なノートを付けていたことはある。が、それはほとんど散文詩みたいなもの。まぁ今となっては読み返してみたいが、どこにあるのかもう分からない。
ということで、私の尊敬する社会学者であり、作家である岸政彦さんの「日記」である。

 一読して思うのは、やはり最後の「おはぎ日記」の圧倒的なリアリティだ。
 「家族を失う」とはどういうことかを、これだけ正直に書かれているものを読んだのは、実は初めてではないかと思う(私の経験上)。
職場の昼休み時間が終わったのだが、どうしても読めるのを止められず、20分ほど超過して読了してしまった。

 私は猫も犬も飼ったことはない。
 なので猫も犬も、けっこう怖い。近寄られるとどうしたらいいのか分からず、挙動不審となる。飼育経験があるのは金魚くらい。しかし「日記」を読むと、猫との生活は、とても飼育などという代物ではない。まさに家族との生活であり、最後は介護だ。
 そのリアリティが、なんだか己の家族とのこれからのことを思い起こさせられて、身につまされた。幸い、今年後期高齢者となる実母は健康で、いろんな社会活動をしている。実父はどこにいるか分からないので、気にしなくてもいい。気軽なものだ。
 妻の実母(私の義母)も健在。義父は昨年、コロナで亡くなった。

 岸先生は、意外にというか、やはりというか、体調に波がある。でもかなりの飲酒量でもある。その辺りは、かなり共感性を伴う。私は飲みに行く友達が極端に少ないので、そういう機会はほとんどないが、毎日欠かさず家で飲む。外では昔からあまり飲まない。というか、ひとりで飲む最適解を見つけられていない。サードプレイスの重要性がいろいろと言われているが、私のサードプレイスは、帰宅する途中、コンビニで買ったハイボールかチューハイを歩きながら飲むその時だ。冬のかなり冷える日でも、これはやめられない。

 岸先生は、「このまま忙しく仕事して死ぬ」というようなことを、繰り返しつぶやかれている。年齢は1967年生まれなので、私のちょうど5歳上。5年後の自分、という考え方もできる。「日記」の中では同い年の瞬間もある。
 私も死を考えないでもない。でも別に出版する本がある訳で無し、研究すべき対象がある訳で無し。忙しく仕事をする必要もあまりない。そう考えると、実にさびしい。さびしく死ぬのはもっとさびしい。

 縁あって、沖縄や朝鮮(韓国・北朝鮮)の歴史や文化、社会の在り方について興味を持ち、我流独学で本を読んだり、沖縄には直接足を運んできた。将来的には沖縄に移住したい、という思いもある。
 それでも、「それが一体なんなんだ」という、虚しさも常に感じる。
 「日記」を読んで、岸先生も、実は同じような感覚になっていることを知る。少し安心というか、気が楽になる。

 完全に感想しか書けていないが、そもそも感想文というのはそういうものなのかもしれない。とりあえず、今は『大阪の生活史』を、朝、出勤前に1日一人分読了している。今年から始めたので、約50~60人分。全体の3分の1までは行ったと思う。
 『大阪の生活史』を読み終えたら、これまでの岸先生の出版物を読み返しみようかとも思う。でも積読本が162冊(観測可能なものだけ)もあるので、そちらも気になる。6月23日には、初めてその日に沖縄に行く計画も立てているので、それまでに相当量の沖縄本も読みたい。

 「日記」に感化されて、こんな文章を書いてみました。もしここまで読んでくれた方がいれば、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


渡具知ビーチ(1945年4月1日 米軍上陸地)


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