岸政彦編「大阪の生活史」を読んで
先日、「大阪の生活史」を読み終えた。
全部で約1300ページ。きっかり正月から読み始めて、約4カ月。
当初の目標は1日1人分の語りを読もう、だった。
単純計算でひと月で30人。150人分なので5カ月かかる見込みだったので、かなり早いペースで読めたと思う。
岸政彦さんの関わる生活史プロジェクトの3作品、「東京」「沖縄」「大阪」はすべて読んだことになる。人数にすれば400人。聞き手も含めればその倍以上になる。1人の語りのなかに家族が登場することもあるので、正確にはもう少し多くの方に触れたことになるのだろうか。
3つの生活史を読み終えて、「何か残さないとな」と漠然と考えてきたが、結局、あまり明確なものは浮かばない。とにかく「いろんな人がいるんだな」「人生には、いろんなことがあるんだな」そして、「人間やっぱりいずれ死んじゃうんだな」ということが感想だ。
「東京の生活史」が出たころか、その前か。
毎日新聞にインタビューが掲載された。そのいちばん最後の部分を紹介したい。
「さみしくなる」は、本当にそう思う。
自分の表現だと、「切なくなる」もあてはまる。
1人の人間が生きている間に、たしかにいろんな出会いはあるし、いろんなことが起きるのだが、最後は結局、別れやら、病気やら、あるいは死が待っている。別れ、ということで片付けるのは、それこそとてもさみしいのだが、でも別れるのだと。400人の語りを聞いて、本当にそう実感する。
ぶっちゃけ、もういまの日本の社会で生きているなかで、希望みたいなものを感じることが、本当に少ない。それは社会状況もそうなのだが、年齢もあるのだと思う。1972年生まれ、52歳。あと何年呼吸が止まらずにいられるのか、正直分からない。「先が見えている」とは言いたくないが、終わりはひしひしと感じることが増えた。
これまでの自分の生活、人生、経験したことは、やはり結局「普通」だったのだ。他人と比べることにはまったく意味がないとは思うが、たとえ比較ができてもやはり「普通」だと思う。でもそれで良かったのだと、3つの生活史を読んでみてしみじみ思う。私の話は載っていないが、いろいろある人生の1つに、間違いなく自分の人生もあるのだと思える。そういうことが分かったのが、この読書の収穫だと思えた。ありがとうございました。