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自分の人生の棚卸 中学生編
中学生になりました。さすがに記憶がほぼ鮮明にあったりしますね。かと言って、記事に投稿するほどびっくりするような大事件もあるわけでもないのですが・・・。
小学校6年生のときに、当時すでに中学生だったひとつくらい上級生の子たちに、小学校の裏庭的な運動場で、「中学校に上がってきたらお前たちをいじめてやるからな」なんて言われたことを頭にこびり付けながら進級しました。今でも覚えているのは何でなんでしょう。特に大したことでもないように思えますが、記憶として蘇るということは何か自分にとってインパクトがあったのでしょう。そんな風に思うと、記憶って同じことを思い出しませんか。中学生の頃を思い出そうとすると、思い出すことって決まって同じこと。何でなんでしょうね。機会があったら、心理学やらなんやらにお詳しい方に聞いてみたいものです。
どんな中学生だったのか。素直に言えば、もちろん(でもないのかな)、モテたかったですね。”ゆうこす”っているじゃないですか。あの人すごいなって思うんですね。モテるために生きている!「モテクリエイターのゆうこすです」ってあんなに平気で言える人って初めて見ました。本当に尊敬しています。だって、中学生のころから芽生えた感情のひとつが、わたしも「モテたい」ですからね。ただ、思春期の井上少年は、当然そんな素振りも見せずに、ただただそんな思いを心に秘めながら、ちょいちょいモテることを意識して行動していたように思います。わたしには、歳がひとつ上の姉がいるのですが、姉の同級生からみた弟君は、いじるにはかっこうの餌食みたいなものなんですよね。でも、いじられるのもモテることのひとつの要素と考えて、悪くないかなと思いながら、毎日を過ごしていたように思います。
中学生のころになると運動なんかも、だんだんとその能力に差が広がっていきますよね。器用貧乏的に平均点をこなしてきたわたしは、この頃から、まわりのすごい同級生を意識し始めることになります。駅伝などでとても足の速い同級生や、生徒会などでリーダーシップがとてもすごい同級生や、自分なんかとは格が何十倍も違うモテる同級生とかが、どんどんと頭角みたいなものをわらわしてくるんですよね。しかしながら、意識をしているのだからなんか自分もやればいいのに、何にもしない残念な人っぷりをちゃんと発揮しています。そんな自分の性質をここで直すように、過去に戻って、当時の自分を奮い立たせたいものです。
ただ、救いがあるのは、そんな自分を決して嫌いではなかったことですかね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。次回は、16歳から社会人になる20歳頃の高専編になります。
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