宗教の事件 13 「オウムと近代国家」より 三島浩司

●物語なき時代のニッポン人

・・・・・・実は、僕の教え子の一人が東京の市立高校に先生をしてましてね。一応かなりの進学校なんですが、これが最近大変な目にあっている。進学校で落ちこぼれた奴ら、つまりいわゆるチーマーなわけですが、彼らが無茶苦茶な傷害事件を起こすんで地元の警察にあやまってまわらんならん、とボヤくんです。そんなもん、僕らの時代にもおったゴンタ連中や暴走族なんかと同じやないか、と言ったら、先生、違うんです、という。なにが違うねん、と聞いたら、とにかくあいつら何に対して怒るか、どこでプッツンして暴れるのか、というあたりのスジがほとんどわからないんだという。

まず、同じ喧嘩でもサシで一対一でやることはない。必ず多人数で寄ってたかってボコボコにしよる。それも血が出て動かなくなるまでやる、と。ああ、そらあかん、と僕は言うたんですけど、ほら、三島さんもよくご存じのように、昔の喧嘩はメンチ切って距離をつめて啖呵切ってという手続きが、まあ、それなりにあったもんやないですか。とにかくそんなん一切ない。冗談じゃなくて、いきなりナイフや金属バットが出てくるらしい。まあ、彼らの間では何か相互のかけひきみたいなものはそれなりにあるのかもしれないけど、外から見てる限りはほんまにわからんらしい。
しかも、チーマーの仲間同士で固有名詞が出てこないんだそうです。一昔前ならまだ「どこそこのチームの頭のもとはカッコええ」とか「どこそこのあいつは喧嘩は強いけど、あんなんだけにはなりとうない」とか、互いを語るのに良きにつけ悪しきにつけ固有名詞が出てきたもんですよね。ところがそういう群を抜いた存在が固有名詞として語られない。じゃあ、何があるといえば、かたちだけがある。ファッションというかライフスタイルだけです。と。つまり、鼻に穴をあけてピアスしたり、といったチーマーならチーマーの格好ですね。あるのはそれだけ。ということは、個と個の濃密な関係性の上にチームなり「われわれ」なりが成り立っているわけではないらしい。

そういう、自分たちの共同性の内側からどのようなかたちにせよ固有名詞の出てこなくなった組織というのは、どうも気色が悪いですよね。「それやったら、お前ら何が楽しいてひっついてんねん」、と。

抽象化したもの言いをしますとね、個人の器量、度量、キャパシティみたいなものを継続して計画し、組織の共同性のほうへと投げ返して共有してゆくだけの相互性が、組織と個人との間になくなっている。個体と個体の関係性をお互いがそれなりに自覚しあいながら、個体を超えた“何か”につなげてゆくような装置がない。だから、共同性の内実というか、組織を支える最も中核の部分がブラックホールになったまんま、ただシステムとして律動しているだけだ、と。

だから、これまでも渋谷あたりのチーマーが怖い怖いと言われてましたけど、実はあれのどこが怖いのか、僕にはいまひとつわからんかったんですが、その話を聞いて、ようやっと少しわかったような気がした。試しに「お前ら、あのチーマーというのはどういう具合に怖いんだ?」と、教室の学生に訊いてみたら、「一人ひとりは全然怖くない。しかし相手が束になってる時にその前を通る時は、ものすごく緊張する」という。「一人やと、怖ないんか」と聞くと、「一人だと、別にどうということはありませんよ」という。ただ、それも理屈ではわかるけれど、自分の肉体感覚としてはやっぱり理解できないんですよ。一人でもそれなりに怖いもんは怖いし、束になったときはもちろん怖いけど、一人の時になにもそういう“気配”の出ないゴンタというのは、なんか不気味やないですか。

三島 そういうのは、わしらの時代にもおったな、そういう党派がな。しかし、自分も含めての話だけど、意識的か無意識的かはしらんけれど、最後には泣きながら帰っていく。その帰り道をどうやってつくっていくんかなあ、ということがやっぱりカギかな、という気もするね。

・・・・・・その“泣きながら帰ってゆく”自分にとっての最も根源的な場所なり関係についての信心というか、感覚そのものがすでに奪われてしまっているから、さっきの担保してもらえる感覚についても類推できないということなんでしょう。だから、ロマンティシズムがその基盤から蒸発してしまうのは良くも悪くもある種必然なんですよ。まして、その状況ではヒーローなんか出ようがない。ただ、話を聞いてて、固有名詞で語るにたるヒーローがおらんという状況はやっぱり怖いなあ、とつくづく思いましたね。たとえ仲間内でも「あれ、カッコええなあ」とか、「ああなりたい」というのが、固有名詞と共に立ち上がらない。「カッコええなあ」というのがモードというか、そういう記号の集積としてだけ存在する。そんなん、ほとんどゾンビやないですか。

三島 それは言い換えれば、物語がなくなったということなんかなあ。自分たちの親父の世代を考えてみたら、日露戦争の生き残りみたいなのがどこの町にもおって、ごく普通の人間にも生と死がぎりぎりのところで問われたような人生があった。その人生は哀しみもあるけれども、一方では自慢話でもあってね。そんな町の物語が途絶えたところはあるんでしょうね。

・・・・・・基本的にその通りだと思います。体験を語り、それにまた耳傾けながら社会の共有すべき教養にしてゆく。そのための仕掛けとして物語というのがあった。でも、その物語という約束事を受容するコードがずれてしまってるんですよ。当たり前やけど、物語というのは陳腐やないですか。しかし、その型通りの陳腐さを陳腐じゃないように演技するし、聞くほうも「ああ、またか」と思いつつ改めて自分たちの記憶に読み取って書き換えてゆくだけの余裕があったやないですか。その双方の了解事項がなくなった。「陳腐やから、おもろない」と。

三島 私はそういうことを解析する能力もないし、その立場でもないけど、敢えて言わせてもらえば、この前の戦争を全否定しちゃったことの問題はあるでしょうね。

・・・・・・それは本当に大きいことだと思います。別にイデオロギー的な意味じゃなくて、さまざまな痛みとともに共有してゆかねばならない民族の原体験という意味でね。

先日、総務長官の江藤隆美が「日本の朝鮮統治時代には、朝鮮にそれなりの貢献をした」と発言して大臣をクビになりましたね。あの問題を僕が講義を持っている某女子大で話題にした。学生のなかに、一人積極的に発言する真面目な子がおりましてね。その感想は「私たちの世代にはあの発言は考えられない。でも、あの世代の人たちはそういう教育を受けていたのだろうからしょうがない」と、こうなんです。で、日本の植民地支配をどう思うか、と訊くと、「全く否定する」と。さらに「けど、植民地支配の善悪は別にして、それが植民地の近代化を促した側面は普遍的にあるよね」と訊くと、「でも、それは日本がやることはなかった。日本の関与がなくとも、朝鮮半島は近代化してたと思う」という。なるほど、戦後の日本の教育というのは実に見事なもんやな、と改めて思いましたよ。言葉ヅラとしては一応整合性はある。けど、そいつ自身の位置なり立場というのはほとんどよくわからん。「お前は、どんな試験でも80点は絶対とれるわ」と、ついいらんことを言うてしもたりする。

おのれがどういう歴史の上に現在おるか、ということについての斟酌がまるでないんですよ。仮にあの江藤の発言がわけのわからんと思うにしても、世代的には自分のおじいちゃんかもしらん人間がなんでああいう発言を繰り返すのか、という点についての想像力はない。はっきり言ってしまえば、「私たちの代になったら、あんな恥ずかしい発言はなくなるから、もう少しの我慢よね」というのがミエミエなんです。それこそ無責任そのものやと思うんやけど、けど、こういうのが今の「優秀」と言われている若い連中の発想なんです。で、新聞記者や言論機関はもちろんのこと、高級官僚などにもそのままの発想で入ってゆく。

三島 あれは終戦じゃなかったからね、敗戦だったわけでね。喧嘩でもなんでも、負けるというのは心に傷を負うということだからね。その傷をなかったことにしようとしてきたのだから、そういう子供が出てくるのは当然でしょうね。


(つづく)


「オウムと近代国家」(南風社)

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