ティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」 それももう終わってしまった

でも今のところ僕は居間の絨毯に掃除機をかけることに慰めを見出す。僕は家庭的な人間である。僕にはやるべきことがある。僕は家具の埃を払い、冷蔵庫の霜取りをし、台所の床をごしごしと拭く。アジャックス・フォーミング・クレンザー、と僕は思う・・・・・・そして僕はその歌を歌う。家の中はどこもがらんとしている。地下室で僕は洗濯物の山を洗濯機に放りこみ、階段に腰をかけてCMソングを歌う。「すっかり真っ白綺麗になった。おまけにとってもいい匂い。それがファブです、それがファブ。ファブで真っ白お洗濯」。僕は洗濯物がくるくると回っているのを眺める。僕の声はしっかりとしてよく通る。キー・ウェストで裏の中庭に坐っているとき、僕らは誰からともなくよく歌を歌いだしたものだった。あるいはそれはティナだった。そしてそれからネッド、そしてオリー・・・・・・彼らは死んでしまったんだっけな?いったい何があったんだっけ?彼らは危険を承知していた。彼らは理想主義に浸りこんでいた。世界には悪がはびこっていた。ヴェトナム・・・・・・その言葉は今ではもうすっかりつい古され、ぼやけてしまった。でも当時、僕らはその中に悪の姿を認めていたのだ。僕らは狂信的な過激派ではなかった。僕らは信念を持った中道派だった。僕らが目指していたのは革命ではなく、改革だった。でもそれももう終わってしまった。何が起こったのだ?えんえんと朝五時まで続いた、結論の出るあてもない議論。そんなものを今誰が覚えているのだろう?ヴェトナム戦争は内戦なのか?ホー・チ・ミンは暴君なのか?もしそうだとしたら、その暴政はジエムやキやチューのそれよりも好ましいものなのか?封じ込め政策とドミノ理論と民族自決はどうなるのだ?誰の利権が危うくなっているのだ?利権は戦争に関係しているのか?あらゆる複雑性と両義性、歴史についての論争、法と原理についての論争・・・・・・みんな消えてしまった。くたびれ、すりきれた決まり文句、紋切り論法の山・・・・・・あの戦争に我々は勝とうと思えば勝てたんだ、あの戦争は理念が誤っていたんだ、あの戦争は地獄だった。ヴェトナム、それは悪ではなかった、それは狂気であった、そして我々は一時的に頭がおかしくなってたから罪はないんだ、等々。さて今は離脱の時代・・・・・・「若く、きれいに、華やかに・・・・・・」


ティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?