宗教の事件 37 西尾幹二「自由の恐怖」

●東北アジア儒教文化圏の宗教と政治

大阪大学の加地伸行氏が「諸君!」95年7月号で、東北アジア儒教文化圏の、宗教に対する政治の優位、超越宗教を知らないこの地域の政治優先の歴史について、興味深い論考を展開し、教えられるところが多かった。氏によると、インドでは王族(クシャトリア)よりも宗教者(バラモン)の方が上位にあるし、ヨーロッパでは俗(王・貴族)の地域に聖(教会・聖職者)の組織が重なって存在しているのにたいし、東北アジアでは昔から一貫して宗教者は政治家の支配下に、つまり皇帝の支配下に置かれてきた。宗教が皇帝の権力から独立しようものなら、たちまち政治による厳しい弾圧を受けるほかないのが定石だった。宗教は政治によってうまく統制され、管理されている限りにおいて、積極的な活動を許された。そのために政治の側も宗教を体制内に取り込む努力を怠らなかった。そして、体制に逆らうような宗教の発生を未熟に防いだし、実際にはそういう宗教の成立はめったにみられなかった。
「こうした経緯と歴史的事実とが、東北アジアにおける人々の宗教に対する勘定や意識を独特のかたちでつくりあげてゆくようになる、すなわち、政治を乱すような反社会的宗教は絶対に許さないという政治主義的感覚である」

「東北アジアにおいては、その長い歴史において宗教は政治に管理され従うべきものとして肌で実感し了解して来た。その点、他の領域よりも、この対立に対して、より敏感であり、政治を絶対的に優先させる。それは国民感情と一致する」

政治と宗教に関して、東北アジアは、迂闊なのではなく、むしろほんの一寸した宗教の逸脱をも許すまいとするほどに政治感覚が発達しているというのである。すでに東北アジアではそれほどに久しく、欧米にみられるような、政治と宗教の間の対立相剋の状態を克服し、解決してしまっている。日本を含むこの地域の人々は超越宗教のまがまがしい怪異な力を知らないし、そういう力に脅かされないですむような状態をつくりあげてきた、というのである。

「私は、宗教とは<死及び死後についての説明者>と定義している。宗教学者などが、よく<超越的な存在への全人格をかけた絶対的服従>を宗教の定義としているが、それはキリスト教神学の定義に過ぎず、多神教の東北アジア人に対してほとんど説得力を持っていない」

なかなか含蓄のある説明で、ここで述べられている範囲において私はほぼ説得された。

先に私は、欧米と比較して、宗教から政治を守って市民的自由を確保するという「政教分離」の本来の意味、欧米的あり方が日本にはいかに欠落しているかを強調してきた。しかし加地氏の説に従えば、その欠如が日本の歴史文化の表現であり、当り前だということになる。日本では宗教から政治を守る必要のない伝統が、すでに出来上がっている。そう理解できる。

たしかに日本の歴史のなかに武装した宗教教団の反乱や宗教権力機構の反国家的政治運動を捜そうとしても、比叡山の僧兵とか、島原の乱以外には、なかなか見出しがたい。ことに江戸時代に日本人は脱宗教の段階に近づき、神観念の克服という点に関する限り、欧米世界よりも一歩先を歩んだ。実際的な知恵を好む民族らしい生き方をしている。

昭和26年に制定された宗教法人法は、宗教法人は違法行為をしないという前提に立ち、宗教「性善説」のうえにほぼ無自覚に乗っている不思議な法律である。オウムの事件以来、この法律の宗教法人の無警戒ぶり、不用意さがあらためて問われているが、こうしたある種の知的呑気さも、加地氏の説に従えば、日本の歴史文化の表現であるとして、そのまま承認しなくてはならないのだろうか。

オウム真理教の出現は、加地氏のいう東北アジアの儒教文化にとってやや異質な、新しい方の宗教の登場を意味しないだろうか。私は洪秀全の太平天国の乱を連想している。儒教文化圏にもああいうキリスト教の色彩の濃い宗教結社の大反乱が起こったし、これからも起こり得る可能性があるのである。政治的タイミングさえ合っていたら、オウム真理教によって、太平天国の乱をはるかにしのぐ東北アジア史における最大最悪の宗教反乱が記録されたことになったであろう。

オウム真理教の衝撃性は、この宗教がキリスト教からも、仏教からも、その他あらゆる伝統宗教から自分に都合のいい教理をかき集めてつくられた、本来的な意味での「始祖」を持たない人工宗教、疑似宗教であることであった。またそれがテクノロジーと軍事力への過大の信仰を持っていたことを合わせて、ファシズム文化の特性を十分に表現している点である。

宗教法人法は国家神道を目のかたきにしたGHQと、反国家イコール自由の前提ですべてを決定した戦後日本の精神状況が手を組んでできた、一つの特殊な時代の畸型な産物である。国家からの解放をひたすら自由をみなし、解放された側が悪を犯す可能性を勘定に入れていない。昭和20年代には同じように不用意に出来た法律はほかにもあるが、宗教法人法はともあれこれを機に徹底的に改正してもらいたい。オウムの教訓は宗教団体の許可手続き、すなわち認証制度の見直し、資金の透明化、財務開示、日常活動の公開、そして教団施設及び敷地の治外法権化の停止などを、緊急に要請している。

加地氏のいう儒教文化圏に特有な政治優先の智恵がここでもうまく発揮されるだろうか。宗教に対する政治の伝統的な支配意識が、たちまち問題を解決してくれるだろうか。それならいいのだが、氏の言うように、東北アジアでは「法は国家の統治手段として意識されてきたのであり、現代においても依然としてそのように意識され、機能している。法を統治のために使うことに抵抗感がない。人権などという感覚は希薄である」は確かに一面の真実だが、日本ではなかなかこういう風にはならない。簡単にはこうはならない。日本は中国とは異なるのである。

日本を西欧のものさしで測ることも間違いなら、日本に中国のものさしを当て嵌めることも当を得ていないのである。


(つづく)


西尾幹二「自由の恐怖」(文芸春秋)

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