「犯罪季評」ゼニと世界観

1985年の対談

●最近の泥棒論理

朝倉喬司 泥棒ですごいのがありました(五月・東京)。量がすごいですね、これ。ある衣料雑貨店からは、テレビやビデオ、セーター、ジャケットなど手あたりしだいに614点!しかもこの男(26歳)、勤めを持ってるんです。生活の困ったんではまったくない。

別役実 泥棒というのも最近はちょっとね。必要があってね、一番原始的な生活苦からってのがあるけど、そういうのと違って、何か冒険心とか反逆しようとか、そういう心理的な要素が強いですね。

朝倉 この男の場合は一種のコレクター(注1)みたいで、そういう、趣味と泥棒の境がまったくなくなって、逆にいえば泥棒するという緊張感がみられません。

別役 最近、プロの泥棒はものを盗まないでしょう?

朝倉 さばけないから。

別役 それと、モノがモノらしくないんですよ。実質的にモノというより、商品、ファンタジーやイメージの産物になっている。ずっしりと手ざわりのあるモノを、夜陰にまぎれてヨイショとかっぱらうという実感がないんじゃないかな。

朝倉 カネ目のモノってのがないですねえ。

別役 そうそう、質屋へ行くったって困りますよ。昔は時計とか背広っていってたけど、今の時計じゃねえ。

朝倉 ぼくの腕時計、二千円ですよ。でも、金目のモノって何なんでしょうね。どこにあるんでしょう。

別役 電気製品、オーディオ関係のモノとかね。あと何だろう。宝石かな。

朝倉 日本ちゅうのは、高度成長の終焉以来、カネ目のものみたいなイメージを消すことによって社会を成長させていこうという、暗黙の了解みたいなのあったんでしょうかね。タレント見てるとそうですね。カネ目のタレントというと……かつて美空ひばりさんなんか、いかにもカネ目の格好してたけど。今だったら矢代亜紀さんですか。でも、あんまり盗みたくない。

別役 そういうことを考えると豊田商事ね。あれ、金(きん)だけど、イメージでしょう?証書でしょう?ドシンと手に持つわけじゃない。そういうのを信ずる風潮があるんですね。昔だったら、カネを買おうって精神は、札じゃ絶対嫌だから金にしよう。のべ板か何かを買って、台所の下のカメのところに隠して、というものだった。そういうことを考えると、所有に関する人間の概念が完全に変わりつつあるところをポッと狙ったんじゃないか。わりと天才的な感じがするんです。

朝倉 もう一つの天才的と思うのは、一人暮らしの老人とか、中国から帰還した人とか、そういうのを狙ってる。今の均一化された社会で、ある種バラバラにされ、一人暮らしを余儀なくされている人を狙った。そういうところへセールスマンが行って、言葉は巧みだし、テキ屋の口上にのせられるようにふーっとのっちゃう。あの人たちは、一にかかって孤立しているから、閉鎖的なところにいるから被害にあったんでしょうね。孤独な老人の感性が、社会性をもってりゃ大丈夫なんでしょうが。

別役 老人が経済活動に、社会に参加したい、ということもあると思います。年金とか預金をちびちび減らしていくんじゃなくて、時には、オレの財産ふえたよって息子に自慢してみたいというような。だってあそこのセールスマン、ちょっと見たってインチキくさくいよね、だからそれにのっかろうとする、おじいさん、おばあさんたちの、ある種の積極性はあったろうと思うんです。

朝倉 社会に参加したい、しなけりゃ申しわけないちゅうような気持ちは、あの世代の人にはあるんじゃないでしょうか。ずっとそういう生き方してきた。それでひどい目に遭っているのにね。

別役 この手の事件、いろいろありますね。古くは保全経済界、ネズミ講、誠備グループや投資ジャーナル(注2)も近いところにあるわけでしょうし。

朝倉 こういうゼニ犯罪を大がかりにやれる人間ってのは、何らかの世界観、宗教みたいなのを持ってる感じしますね。投資ジャーナルの中江滋樹も、あのヒゲですよね。宗教的なもので人を釣ろうというのと同時に、本人もそういう世界観、体系をつくっていかないと支えられない。

別役 資本主義経済のメカニズムを突破する、あるファンタジー(注3)でしょう。もっともシリアスな経済活動の場面でファンタスティックな想念を燃やすのが、きわめて有効なのかもしれない。

(つづく)

別役実・朝倉喬司「犯罪季評」

注1 デパートやスーパーなどから「ちびまる子ちゃん弁当箱」だとか「ミッキーマウスボールペン」など、約八千点のファンシー・グッズを万引きしていた千葉県・我孫子市内の文具店主が、91年6月、同県警船橋署に逮捕された。彼の場合、この途方もない量に昇万引きを、必ずしもコレクター的欲求にせかされてやっていたわけではなく、自分の店の、仕入れ値ゼロの商品にしていたのだが、ちびまる子ちゃんや、ミッキーマウスの顔を、要との違う諸商品に刻印して次々と売ろうというファンシー・グッズじたい、消費者のコレクター的心性の喚起、取り組みを計ったものというしかない。

注2 無免許で株の取引を手がけていた「投資ジャーナル」グループの中江滋樹会長(31)ら幹部11人が詐欺容疑で警視庁に逮捕された(85年6月19日)。特捜本部によると、同グループにだまされた実質的被害は約200億円、うち約100億円が使途不明金。かつて「北浜のライオン」といわれた風雲児・中江元会長の逃亡生活は10か月に及んだ。

注3 91年13日、大阪の高級料亭「恵川」女将・尾上縫(61)は、東洋信金の幹部と共謀して、銀行などから約2500億円にのぼる不正融資を引き出していたとして大阪地検に逮捕された。バブル経済の終熄にともなう逮捕劇。彼女は自分の経営する店に不動明王を祀って株売買に関する「霊感予言」をやり、それに何人もの投資家や証券マン、金融セールスマンたちが群がっていた。宗教的ファンタジーが強い力を発揮して、途方もない額のカネを動かしていたこの光景こそ、バブル経済の基軸が一体なんであったのかを象徴的に暗示しているよう。尾上縫の「予言」は、たいてい株価の終わりとともにファンタジーは結局は、人の欲望と対応して不規則に動くカネの“影”にすぎなかったことがあらわになって、一頓挫をきたしたのだった。そして、あて途を失ったファンタジーは、踵を返して抬頭してきた「幸福の科学」をはじめとするニュールックの宗教に依り代を見出したかのごとくである。

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