小出裕章 鉱毒事件から原発事故まで①

人間は、地球という星に表われた新参生物種である。地球の歴史は46億年、人類らしき生物種が地球上に現われたのは700万年前といわれる。もし、地球の歴史を1年に縮めて考えるなら、人類が地球上に表われたのは1年の最後の日、大晦日の昼前のことにすぎない。その人類もたくさんの生物種のうちの一種で、自然の生態系の中で、長い間、慎ましく生きた。しかし、約10万年前から武器を使って狩りをすることを憶え、約1万年前から農耕を覚え、集落を作って定住生活を送るようになった。それらは人間にとっては、他の生物種から自らを区別するための大きな進歩であった。さらに、産業革命以降、人類は猛烈な勢いでエネルギーを消費する生き物となり、それを支える近代文明による開発は、石炭、石油、金属など、膨大な地下資源を一方的に収奪することで開花した。そして、その陰で悲惨な被害が多発した。

日本は先進国で、科学技術立国であるかのように宣伝され、多くの日本人はそれを信じてきた。しかし、近代文明が開花した西洋から見れば、日本は極東の小さな島国に過ぎず、長い間の鎖国を欧米によって無理やり開国されたのであった。以降、日本は自らもアジア諸国と同様に侵略されるか、あるいは欧米に伍して自らが侵略者となるかの選択を強いられた。日本は後者の道を選択したが、狭い国土の中で、西洋技術を導入して急激に近代化したため、多数の悲惨な公害を産み出した。

日本での四大公害は、1946以降に富山県神通川流域で多発した「イタイイタイ病」、1956年に公式に認定された熊本県水俣湾の「水俣病」、1965年以降に三重県四日市で多発した「四日市ぜんそく」、そして、1965年に新潟阿賀野川流域で公式に確認された「第二水俣病」である。そのどれもが悲惨なものであったが、実はそれよりはるかに古く1880年以降に激烈な公害が発生しており、それが足尾鉱毒であった。そして、ついに福島原子力発電所での事故が起き、広大な土地が放射能で汚染され、多数の人々が故郷を奪われ流浪化し、さらに多数の人々は放射能汚染地に棄てられた。

芦尾は関東平野の北限に連なる山間の地にある。山々から流れる沢は、渡良瀬川となって関東平野に流れ込む。もともと水量豊かな渡良瀬川の水は、数年に一度洪水を起こしたが、その洪水はむしろ水源地帯の腐葉土を下流の田端に運ぶ貴重なものとして歓迎すらされていた。

その足尾で銅が発見されたのは1600年頃のことで、足尾銅山の歴史は古い。当初は徳川幕府直轄の銅山として稼業し、一時は年間1500トンの胴を産出し、当時開国していた唯一の外国であるオランダに向けて輸出もしていた。しかし、銅の産出を続けるうちに、坑道が深くなり、地下水の湧出が激しくなって18世紀終わりを待たずに休山に追い込まれた。

ところが明治時代に入って足尾銅山は再度隆盛を極めるようになる。(中略)この時代に、日本は日清、日露の戦争を戦い、世界の列強に伍そうとした。そのために明治政府は富国強兵、殖産興業を基本原理として、産業の近代化に邁進した。とりわけ、銅は海外での需要が多く、日本にとっては外貨を獲得するための主要な輸出商品となり、産出した銅のほとんど全てが輸出された。そのため明治から対象にかけて、銅の輸出額は総輸出額の数%を占め続けており、足尾銅山はその基礎として開発、利用された。

(つづく)


『世界』2013年7月 小出裕章「滔々と流れる歴史と抵抗 田中正造没後100年に寄せて」

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