昨夜寝つけなかったのには

昨夜寝つけなかったのには、部屋の温気のほかにもうひとつの障りがあったのだ。「月下の門」という、私の随筆と短編との選集を、ベッドでなにげなく読み出したところ、よしなしごとを、なんと悪い文章で書いているのだろうと、いまさら悔恨もおよばない、ほとんど絶望にさいなまれて、哀しみへのがれるあまさもゆらめいてくれず、ゆるしがなく、救いがなかった。辛うじてなぐさめをさがすとすれば、自分はまだ新進作家であるという思いだけである。いつもそう思っていることは、私には私の確実な真相である。自分が書きたいこと、あるいは自分が書けるように天から恵まれていることを、自分はまだなにも書いていない。痛切に(とは分不相応で少し恥ずかしいが。)そう思うことで、やっといのちを保っていられるように、私は日ごろ考えがちである。これは五十年の懶惰、怠慢の、むしろ恩恵にちがいないと頑強に信じる。勤勉な人はみな死んでいったと、私が言うと人は笑う。半ば本気なのである。しかし、まだ新進作家のつもりなんて、聞くもあわれかと、一方自分をかえりみもする。みじめな錯覚ではないか。


川端康成 「私の文学」

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