唐木順三 奇妙なことを考えていた

私のつとめている学校に、火災報知器をいたずらに動かして、消防自動車をかけつけさせたという事件が続けて三回起った。つかまえられた犯人は私の学部の学生であったが、特に悪性の学生ではなかった。ほんのできごころでやったという。この学生は一回やっただけであった。この学生の処罰問題が当然出てきた。教授会で私は厳罰を主張した。厳罰を主張しながら、私は心のなかで奇妙なことを考えていた。

国電のドアの近くに、「非常の際は、このトビラをあけて、ハンドルを右に回すと、ドアは手であけられます」と書いた赤くぬった小さいわくのついたトビラがある。混雑のときなど、ちょうどこのトビラのすぐ前に立つことがある。私の目の高さである。かわいい、てごろなハンドルがガラスをすかしてみえる。私はふいとトビラをあけたい衝動に襲われる。私がそれをやらないのは、前後を考えてただガマンしているからである。私は自分の神経が特別に薄弱だから、ふとそういう衝動、風のような一種の動きに襲われるのだとは思わない。てごろな重さのカナヅチを手にすれば、何かちょっとうってみたくなる。とぎすました鎌を手にすればなにかちょっと刈ってみたくなる。てごろなハンドルをみればちょっと動かしてみたくなるのである。人間は元来そういうふうにできている。それをしないのは、ガマンしているのである。人のいのち、人の迷惑や危険を考えてしないのである。そうして、このガマンや不実行の奥には、人間の尊重という観念という、観念というほどはっきりしなくても、そういう気持、情がある。

ところで、前記の学生はそのガマンができなかった。ハンドルがボタンに負けたわけである。私はすしづめの電車や動きのとれないほど混雑した駅のホームや通路のなかで、よくまあ事故や不測の変が起らないものだと感心する場合がある。みんなガマンしている。みんなおとなしくしている。みんなが他人に迷惑をかけることをはばかっている。

このガマンの自制は、私の過去の道徳心、教養、しつけの蓄積からくるのではないか、というはかなき思いにかられることしばしばである。オートメーションや流れ作業や、タイム・レコーダーや、さらに核兵器や、そういう人間の非人間化を促進する外部が、ひしひしと身にせまってきている時代と社会にあって、どうして人間尊重の心情や観念を育てることができるか。夏目漱石は、個人と個人との間、肉親や夫婦や友人関係の間の、「彼対我」のエゴイズムをぎりぎりのところまで追いつめて、たとえば『行人』の主人公に、気狂いになるか、自殺するか、それとも信仰にはいるか、三つの外に逃げ道はないとまでいわしめているが、それから50年、彼体我の対立は、個人を越して集団、階級、民族、国家の規模にまでひろがってきた。こういう時代にどう処したらよいのか。

少年犯罪の増加、凶悪化の問題は、なんとしても防ぎたい。この傾向が年ごとにすすむと思えば前途は暗澹以上の地獄である。さて、どうしたらよいか、という点になれば、単に為政者の考える応急対策だけでは防ぎきれるものではない。現に、教場で、少年たちに面と向かって立っていられる先生がたは、この問題をどう考えていられるであろうか。道徳教育も結局のところはこの問題であろう。


唐木順三 「朴の木」(昭和35年発刊)

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