色川武大 身体の欲するところ

私自身もこれから老境にどっぷりと浸かるところだから、正直、手探りである。

だいたい私はいつも、これがいいとかわるいとかの判断を(極端な場合をのぞき)あまりしない方で、下等な虫のように、事に臨んでちょっと動きを停め、触角ぐらいは揺らすかもしれないが、じっと黙ってまず身体の欲するものを探り、身体が教えてくれるバランスに身をまかせる方である。まず身体を動かしていく。運次第のようなところもあるけれど、身体の欲するところが、自分が欲する方角だと思う。失敗したらそれまでだ。

戦争育ちだから、子供の頃から無意識なものを含めて、なんとなくそうやってきた。戦時体制だったから、むろん、大きな規制があったが、身体が動かないことは、しないというよりできなかった。それにはいろいろ方法があったが、結局、落伍してしまえばよろしい。子供だったからそれですんだのだと思われようが、私はそのために進学もできず、子供としては不似合いな孤立の辛さをたっぷり味わい、今もってそれは濃く痕跡を残している。私が子供でなく成人だったらどうしたか。すぐに滅んでいただろう。

もっとも誰を恨むこともない。私のは、反戦とか厭戦とか、そういうものでなく、ただ身体がそうならないことをしなかっただけで、単なる落伍者だっただけだ。

空襲か、焼夷弾が降り注ぐ現地に何度もいたが、そういうときは自信があった。逃げ惑う人々の列が洪水のように、どの道にも満ちていたが、私はただ身体が動く方に逃げていっただけだ。理屈でもないし、辻で深刻に考えたわけでもない。どうやって逃げのびたか説明もつかない。ただ、私が行く道が助かるのだと思っていた。生き残れば何でもいえるが、そうじゃなくて、人々の判断や四囲の情勢なんて気にしないで、ただ一つ、身体が動かない方には行かない。それで助からなければそれまでだ。

満八歳から十六歳までの戦時体制の間に、自分の身体以外の物、他人、集団、国家、人間、そんなものはすべてただの他者だ、という思いが芽生えた。敵としての他者、提携すべき他者、愛する他者、いろいろあるけれど、つまりは自分の身巾の外のもので、なんだかへだたりがある、同じ失敗をしても、外のものと心中するよりは、自分と心中したほうがいい。

戦後の乱世も、その後の経済管理社会も、大勢の人と足並みを揃えられなかったから、ずっとアウトサイダーに蟠っていた。一匹狼だと、春夏秋冬、季節に合わせた顔つきをしなくていい。一張羅のようにいつも自分の顔をぶらさげて、それでなんとか通用する範囲で生きている。

身体はだんだん老いこんでいくけれど、年齢なんか不詳ですんでしまう。年齢不詳、学歴不詳、住所不詳、それで新聞に訃報が出ると、あれッ、あの人はそんな年齢だったのか、なんて思う人が居るが、そういう人の方がじっくりしんみりとつきあえる。

名刺を交換し、履歴現職を披歴したうえでの交際なんてものは、どうもうすっぺらい。そういうものはすべて身体の外のいいかげんな飾りにすぎない。

私は戦争体験もあって、身体の外の飾りの空しさを早くに知った。だから身巾の外にあんまり出ない。そのかわり身体そのものをちょこちょこ移動させる。

どうしても自分を律してくるような、自分より大きい外部の物があることは否定できないが。なるべく忘れてしまう。たとえば年齢なんかでもそうだ。

“明烏”という落語の中に、

「俺は生涯、親にならない。伜ですごしちまう。つまりませんよ、親なんてもの・・・・・・」

というセリフがあるが、私も、ある時点から、不良少年のままでいようと思った。たとえいくつになろうと。内実は不良少年。

放っておくと育ってしまう部分があるが、それは外側だけにしておいて、内実は、四十歳の不良少年、五十歳の不良少年、それでいい。みっともなくたって仕方がない。そうして不良少年のまま死ぬ。不良少年としてでなく死んだら、私の一生は失敗だったということになる。

子どもを持ったりすると、これは少しむずかしいかもしれない。子どもが中学生になり。大学生になり、孫ができたりすると、それ相応の親の顔つきを造りがちだ。だから私は子どもは作らない。家庭も作って失敗だったと思う。知らないうちに、年齢相応になっている。

不良少年のままの気持でいられたら、たとえ淋しくても、不如意でも、仕方がないのである。どこかで望みを通したら、べつのところでべつの望みを我慢しなければならない。

年をとらない長生きの仕方、というテーマが与えられたが、ポイントはその覚悟ができるかどうかだ。逆にいうと、老人になることで得る者を拒否する覚悟さえあれば、不良少年として長生きできる。

もちろんそれは自己欺瞞である。酒を飲まないで酔っぱらっているようなものだけれど、それでいい。

もっともね、不良少年といったって、青くさいまんまではすぐに飽きてしまうから、それこそ時間をかけて自分で磨いていかねばならない。愛車の手入れをするように。

私は、元来変化を嫌う方で、子供のときに年齢に応じて半ズボンから長ズボンになったり、中学の制服制帽にしたりが、いちいち気になった。どうせみっともないのなら、このままじっとしていたい、何か変化して新たなみっともなさを背負いこみたくない。

けれど外見の変化はもうしようがないのである。どんなに踏んばったったところで、年齢相応に老けてくる。私なんぞは、どう変化したってみっともないので、外見を整えようとしたってしようがない。

同じみっともなさなら、長年にわたって磨きこんだみっともなさがよろしい。六十歳になってもまだ不良少年というのは、人が見たら狂人みたいなものだろうけれども、なに、社会の規範なんぞ、常にふらふらしているもので、それは私の経験で覚っている。

もちろん、不良少年というのは私の場合で、人におすすめしているわけではない。人それぞれ、自分が固執するところに寄り添っていけばよい。

色川武大 「年を忘れたカナリアの唄」

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