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「オーダー車だから良く走る自転車とは限らないんだよ。」というお話(38)

これまでこのnoteでは、自転車ビルダーである廣瀬秀敬さんが、自転車、および自転車の素材やパーツやデザインを、どう探求、観察、判断されていたかを、様々な側面からご紹介してきました。

今回から、「設計にまつわること」、さらには「『オーダー車だから良く走る自転車とは限らないんだよ。』というお話」、最後のシリーズとして、廣瀬さんが、廣瀬流オーダー自転車のもっとも大きく、かつ、重要なパーツであると認識されていた「オーナーさん(お客さん)」をどう「見て(診て)」いらっしゃったかについて、色々な角度から記していきたいと思います。

MACHINE TO MANという文字列がある有吉氏によるヒロセの広告 雑誌「ニューサイクリング 1975年4月号」 

「人間をパーツ扱いするなんて不遜だ!」と怒られてしまうかもしれませんが、これは、廣瀬さんが「人間機械論(サイバネティックス)」的な視座を有されていたから。
「人間は自転車という乗り物のエンジンであり、サスペンションでもあるよね。」といった言葉に象徴されるように、廣瀬さんは、人体を、機械工学的、制御工学的に分析する目をお持ちでした。
雑誌「ニューサイクリング」に掲載されていたヒロセ初期の広告にも「MACHINE TO MAN」というコピーがあります。
このあたりの詳細についても、おいおいこのシリーズの中で記していきたいと思っています。

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設計にまつわること 24 「オーナーさんという最重要パーツについて その1 」


廣瀬さんのオーダー車はオーナーさんの個性が色濃く反映されており、私には、その自転車の写真を見ただけで、注文されたオーナーさんの顔や、自転車に乗っている姿が浮かんでくるものさえあります。

これは、注文するにあたり、ロードレーサーやキャンピングといった、所謂カテゴリー的縛りを一切設けず、誰に対しても、オーダーごとに、毎回ゼロから、トータルで自転車を設計、製作されていた廣瀬流オーダーメイドならではの現象の一つではなかろうか…。私は、そう考えています。

実際ヒロセ車は、カテゴリーが曖昧な個体が多い。
こちらはランドナー、こっちはスポルティーフ等と、明確にカテゴライズできない車体が多いのです。
これは、ヒロセで何台もオーダーされる方の、2台目以降において顕著な傾向でした。

自転車を手に入れるにあたり、そのカテゴリーに拘る方もいらっしゃいますが、自転車の呼び名は、あまり本質的な話ではありません。

そもそも、カテゴリーは、人毎、国毎、時代毎に、その定義に幅やムラがあります。
初めて来訪されたお客さんの中での定義を、予め廣瀬さんが承知していることはありえませんから、やれ、パスハンターだ、フェデラルだと、ビルダー相手に自分本位な定義を振り回すのは、あまり生産的では無いのですね。
互いの定義の擦り合わせに苦心するより、どのような装備で、どこを、どのように走りたいか、具体的な道を提示する方が、少なくともヒロセにおいては話が早かったりしました。

ヒロセ車のカテゴリーは、他人が決めるものでは無く、あくまでオーナーさんご本人がされてる呼び方が正解。廣瀬さんはそう認識されており、展示会においても、さような定義を採用されていました。

オーダーメイドでは無く、市販の自転車から購入車を選ぶ場合、他の誰かが考えたカテゴリー、スタイル、個性に、オーナーさんが合わせる、ということになりがちです。

メーカーのデザイナーやエンジニア集団による、派手なペイントの競技用カーボンロードに似合うよう、競技用に設計されたパーツをそろえ、選手と同じような素材やデザインの服、センサーを身にまとう…。
カーレース等とは違い、憧れの選手と全く同じものだって調達できますからね。

カワイイ、イギリス風のミニベロに合わせて、布バッグやツイードの衣装をあつらえたり…。

「このビンテージフレームには、この国の、この時代のサドルとハンドルでなきゃ!」と、価値観を共有をしていると信じる同士、酒を酌み交わしては安心したり、そのコミュニティー外の人には理解不能な微妙な差異に優越感を感じたり…。

ハンドメイド車においても、オーダーする人がビルダー側の個性に合わせる例が少なくありません。

ハンドメイドバイシクル展に行くと、ビルダーさんの個性や主張を反映したと思われる自転車たちが目に飛び込んできます。
「この私のスタイルが気に入ったらオーダーして下さい。」というスタンスのビルダーさんの作品。

また、雑誌やブロガーも、作り手からの目線で自転車の個性を語りがちです。「○○工房ならではの○○な自転車」という論法は書きやすいですからね…。

でも、こうした自転車は、廣瀬さんから言わせれば、ハンドメイド車ではあるものの、ヒロセ的なオーダーメイド車とは違う…。何故なら、その自転車にオーダーする人の個性が殆ど反映され無いから。
廣瀬さん、高校時代から、サイズ、パーツの選択、塗装の色程度しか選べない自転車をオーダーメイドと称することに疑問を持たれていました。

誤解して頂きたく無いのですが、既存のスタイルや他人の個性に自らを合わせるというのも、自転車の楽しみ方の一つですから、ちっとも否定したり、軽んじたりするものではありません。

コスプレ、仮装、扮装、化粧、刺青…。「何かに成り切る」というのはとても人間的な行為であり、古代からあった営みですからね。
たとえ他人の考えたファッション、スタイルであろうと、その選択により、自らの生き様や哲学を表明するという自己主張の形もある。

そして、自転車に限らず、道具、アイテムというのは、スタイルを、憧れを投影しやすい物です。

スティーブ・ジョブス氏が作ったiPodと携帯電話の合体したガジェット、将棋の渡辺明名人と同じパソコン、ファッション誌に載っていたアンリ・カルティエ=ブレッソン氏が手にしていたカメラ、映画の主人公が乗っていたクルマとサングラス、推しのアイドルと同じヘッドホン、尊敬する料理人が使う調理器具、文豪と同じ万年筆 etc。

私も、ともすると、つい、大好きなギターリストと同じギターが欲しくなったりしてしまいます。それを手にしたところで自分の腕が上がる訳じゃ無いことは百も承知なのに…。

脱線しました。自転車の話に戻します。


あの選手のように走りたい…。あの漫画の主人公のような自転車ライフを送りたい…。
真似や憧れは、人々が自転車を選ぶ際の、強い動機の一つでしょう。

具体的な誰かの真似では無くても、完成したモノのイメージさえあれば、それを手にした自分を妄想するのはさほど難しい作業ではありません。だからこそ、カタログや雑誌が存在するわけですしね。

展示会や展示会を取材した雑誌を見て、気に入ったスタイルのハンドメイド車が見つかったら、そこのお店で発注するというのも、また、良い循環なのでしょう。

ただ、オーダーメイドの定義や内容は、ビルダーさん、工房によって異なっていますよ、というお話。

廣瀬さんは、特定のスタイル、自分のスタイルというのをあえて作らなかったビルダーさんでした。全くといって言いほど己を主張されない自転車作りをされてた。
オリジナルのモデルを作らないのがオリジナルというスタイル」とでも言いましょうか…。

長年の探求や経験から、ひたすら愚直に「そのオーナーさんが、その瞬間一番乗りたい自転車」、「その人に一番相応しい自転車」を導き出し、毎回ゼロから作られていた。

ですから、ヒロセ車の場合、完成した自転車をただ見るだけでは、その自転車の意味や設計意図が伝わりません。

誰が、どういう目的で発注したかを知って、初めて、その自転車の存在理由が理解できる…。

「このオーダー車のハンドル位置がことさら高めなのは、事故の後遺症で、オーナーさんが深い前傾姿勢をとれない為。」なんてことは車体を見ただけではわかりようがありませんからね。

特定のスタイルが無いのですから、所謂ブランドではありません。

ヒロセ車は、フレームのジオメトリやパーツ選択が毎回異なるだけで無く、フロントバッグアダプターなんかでも、使用するバッグやオーナーさんの手の大きさなんかで毎回設計が異なっていましたし、手作り前変速機の羽の形状なんかも毎回違っていた…。

オーナーさんが、ヒロセのデカールやヘッドバッチの無い自転車を発注しても全く構わない。それがその人のスタイルなのなら…。

つまり、ヒロセという名は、そもそもがブランドとして引き継ぎようの無い代物だった、と言えましょう。コルナゴやデ・ローザ等とは違って。

ヒロセブランド(それがC.S.HIROSEだろうが、H.HIROSEだろうが)の引き継ぎ云々仰っていた人もいらっしゃいましたが、あの方々は、もしかして、ヒロセの本質をちっとも理解されておられなかったのでは? と、なんとも寂しい気持ちにさせられたものです。

質問をせず、メモもとらず、オーダーもしない。つまりは、ヒロセを理解しようとすらされない者への無形なモノの引き継ぎに、はたしてどのような実現可能性、目論見があると思われたのか?

廣瀬さんが亡くなられ、何ヶ月たっても、世間に対し、何らの方針も、狙いも示されず、自らのお立場すら表明されなかったので、結局のところ、私には、ワカラズジマイでした…。


さておき、

ヒロセ車においては、廣瀬さんがそのオーナーさんを深く知れば知るほど、そのオーナーさんそのものが、作られる自転車に色濃く反映されていきました。
体格や筋力だけで無く、癖や、趣味や、ライフスタイルといった個性が…。

だからその自転車を見るだけで、そのオーナーさんが想起されるという現象が起きるのだろう。私はそのように解釈しています。

廣瀬さん、そのオーナーさんが、既存のスタイルやファッションに傾倒されていた場合、それらを作る自転車に反映させてもいらっしゃいました。
でもそれは、廣瀬さんご自身の趣味や主張の押し付けでは無いという点で、やはり特異なビルダーさんだったのではないか、と私は考えています。

ヒロセには、特定のスタイルが無かった。
スタイルは、その都度、そのお客さんから廣瀬さんが想起し、具現化させておられた。
これは、裏を返せば、ビルダー側がお客さんをきちんと理解できないと、スタイルが定まらない。フレームの設計に着手出来ない、ということに他なりません。

では、廣瀬さんは、いったい、どのようにして、注文するオーナーさんを知ろうとされていたのでしょう?

それをご理解頂く為に、まずは、「ヒロセでの初めてのオーダー」の実際をご紹介したいと思います。

もう廣瀬さんはこの世にいらっしゃいませんが、読まれている方が、もし、ヒロセさんを訪れていたら待っていたであろう体験を、側から覗く感じで。


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「ヒロセでの初めてのオーダー」の実際


ヒロセさんの敷居を跨がれる方には様々なパターンがあり、皆様お一人お一人に物語がおありでした。

そこら中の工房でハンドメイド車を作り続けるも、なかなか満足出来る一台が実現できなくて小平まで流れて来られた方。
希望する注文工作をあちらこちらの工房で断られ続け、藁をもすがる思いで訪れた方。
雑誌や展示会で廣瀬さんを知り、冷やかしついでに来たら、廣瀬さんの自転車理論に圧倒され、すっかり入り浸るようになってしまった方…。

また、実際の注文に至る過程も、人それぞれでした。

雑誌やネットでリサーチをし、ある程度心を決めてから初訪問される方もいらっしゃれば、何回も店を訪れ、ヒロセのオーナーズランに他所製の自転車で参加し、廣瀬さんに自らの走りをきちんと「診て」頂いてから発注される慎重な方もいらっしゃいました。

今回は前者のパターンをご紹介します。

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