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「オーダー車だから良く走る自転車とは限らないんだよ。」というお話(18)

設計にまつわること 4 「自転車を診る 4」


自転車を「斜め上」から「観る」

インターネットのスラング(俗語)に「斜め上」という表現があります。予想を覆す、予想をはるかに超越しているような状況や発想、理解不能な事柄などを指して用いられる表現です。

変わった形状、気を衒(てら)ったデザインの自転車に関する廣瀬さんの考察は次回以降、改めてご紹介するとして、今回使用する「斜め上」という言葉は、ネット用語の「斜め上」では無く、文字通り「斜め上方向から見る」という意味で使用しています。

そして、今回に関しては前回までのような「機能的診断」では無く、「美意識にもとずく観賞」ですからサブタイトルには「観る」という漢字をあてました。

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廣瀬さんはどのような角度から自転車を目で愛でていたか? あるいは観賞するよう作られていたか? それが「斜め上」からの視点でした。

理由は単純で「自転車は、斜め上方向から観る機会がもっとも多い」からです。

通常は地面に置かれている自転車。見る人が地面に立っている場合も、自転車に乗っている場合も、自転車は「斜め上」から眺めますよね。

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カタログのように真横から自転車を見るには、見る側がしゃがんで目線を下げるか、自転車の方を目線まで持ち上げるしかありません。シチュエーションとしては稀でしょう。
ゆえに、真横から見る視点を優先し、自転車をデザインする道理は無い、と廣瀬さんは考えていたのです。

「斜め上」から眺めると言っても「右斜め後ろ45度、地上高160cmの視点から」といった特定の視点を想定していたわけではありません。
「地面に置いた自転車をぐるっと一周して観て、違和感を感じないデザイン」であることを念頭に、ラグやフォークの意匠や、変速レバーや前変速機の羽の形状や、キャリアなんかの設計をしてらっしゃいました。

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廣瀬さんのこの設計思想は、デカールの貼り方に良く表れています。

真横から見て一番良く見える位置にデカールを貼ってしまうと、斜め上から見た場合、ロゴの下側が隠れて見えないことがあります。そこで、デカールを貼る位置を、少し、パイプの上側にずらし、斜め上から見た目線で一番よく見える角度に貼るのですね。

ヒロセ車の中にはデカールが真横に貼られているものもありますが、オーナーさんの指定でない限り、それは塗装屋さんが廣瀬さんの指定を無視して貼ってしまった場合だったそうです。

ちなみに廣瀬さんのデカールにはいくつか種類がありました。フォントや文字列が異なるものが存在したのです。また、自分が作成したフォントを持ち込まれたり、あえてデカールを貼らないオーナーさんもいらっしゃいました。

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「デカールをちょっと斜め上に貼る」というコツは、その事実を指摘されない限り、なかなか気付かないものです。通常の視点である「斜め上」から見ると、それがあまりに自然な為、みなさん、なんとなく「真横に貼られているものなのだろう」と錯覚してしまわれているのですね。
でも、実際に真横に貼られてしまうと「なんかこのロゴ見辛いな」と違和感を感じる…。

常に特定の方向から見るわけではない立体物の設計においては、一方向から見て良いデザインが、他の位置から見ても良いデザインになるとは限りません。

さらに、ど真ん中であるとか、並行であるとか、均等であるという配置が、全ての方向から見て、美しく感じたり、整って感じるわけでも無い...。
逆に特定の視点に特化してデザインしてしまうと、他の角度から見た時、間が抜けていたり、違和感を感じるデザインになることがある…。
廣瀬さんはそう考えてらっしゃいました。

それが顕著に表れているのは、キャリアのデザイン。

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キャリアには荷物を置く上面があります。角が四つある面もあれば、一辺が円形にデザインされている場合もあります。この面の大きさや使用するパイプの太さなどは、オーナーが使用するバッグの大きさや重さを考慮して選択されますが、一定以上の大きさのものには横棒が設置されることが多い。横棒が無いと強度が足りないので、補強として配置されるのですね。

しかし、廣瀬さん、この横棒を、上面のちょうど真ん中の位置や均等に分割するようには配置しません。

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理由は二つあると思います。

1 機能的側面から
フロントバッグの重さは上面の先端部分に多く加わります。補強の横棒や脚の配置はその応力を考慮しデザインされる…。
上の写真の二つのキャリアで言えば、均等に2分割する位置より前よりに横棒を設置している…。

廣瀬さん、昔、5ミリという細いパイプでフロントキャリアを作ったことがあるそうですが、フロントバッグの重みで、ほどなくキャリアの先端部分がグニャッと曲り、垂れてきてしまったそうです。こうした経験もあり、一定以上の大きさ、重さの荷物を積載する場合は、先端をより強化できる位置に横棒等を設置するようにされているのだそうです。

2 美意識から
四角のど真ん中に横棒があると、廣瀬さんの美意識的に違和感を感じる。だからずらして配置する…。


1に関しては強度設計の話になるので、今回は割愛し、2について記していきます。

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キャリアの上面に設置する補強の為の横棒。
横棒一本の場合、面の中間位置、ど真ん中に横棒を設置してしまうと「斜め上」から自転車をみた時、美しく見えない。
横棒二本の場合も等間隔にしてしまうと美しく見えない。
廣瀬さんはそう考えてらっしゃいました。

キャリア単体で見たら特段そんな風には感じないそうですが、フレームに設置し、完成車を眺めると、均等に分割された上面は、「変」に感じると言うのです。
「変」というのは「ツマラナイ」「安っぽい」「カッコ悪い」「頼りない」など、いろんな印象を内包しているように私は受け取りました。

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上の赤い自転車のリアキャリア、上面には補強の為の横棒が2本入っています。しかし、それによって分割される三つの面の面積はばらばらです。一番後ろは半円形ですしね。

キャリアを自転車から外し、その姿を見ると、真ん中の四角の面積が大きいのが際立ちます。しかし、キャリアを自転車に設置し、全体の姿を斜め前や斜め後ろから見ると、キャリアの横棒の按配が廣瀬さんの美意識的には「良い感じ」になっている…。
これを等間隔で分割してしまうと、廣瀬さん的には、どこか違和感を感じるデザインになってしまう…。

もちろん、お客さんから等間隔で横棒を設置してくれという希望があった場合は、機能的、強度的に問題が無い限り、要望に添われていましたが、廣瀬さんご自身は「間隔を一定にすること」が美しい造形であるとは考えてらっしゃらなかったのですね。

これは角度についても同様です。
角度を揃えることが必ずしも美しい造形に繋がるわけじゃない…。


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お客さんの中には、ヘッドチューブの角度とフロントキャリアの背(バッグの後ろが当たる、キャリアの上面後方から上にのびている部分)の角度を揃えて欲しいという方がいらっしゃいました。
通常、キャリアの背の角度は、バッグ後ろのループを通しやすい角度、バッグとハンドルとの距離、ブレーキワイヤーの位置などを考慮して決める物なのですが、このお客さんは真横からの見た目を最重要視されていたのかもしれません。
角度を揃えたところで深刻な問題が生じるわけではないので、廣瀬さんも希望通りに作られていましたが「なんでここを揃えたいんだろうね?」と不思議そうに仰っていました。

下の写真は「廣瀬さんオリジナルの正立型治具」に設置された、制作中のホリゾンタルフレームのヒロセ車。バッグの背とヘッドチューブの角度は異なっていますが、これが通常です。

以下、この写真を見ながら話を進めます。

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自転車を見ると、様々な角度のライン、様々な径の曲線を見つけることが出来ます。

自転車にあるラインで、まず目立つのがホリゾンタル、つまりは水平のラインです。
下は古いカンパのカタログに載っていた図。フレームがホリゾンタルであることを前提にしたかのような、サドルの上面の角度や後退幅を診る道具が興味深いです。「なぜ古いスポーツ自転車にホリゾンタルのフレームが多いのか?」に対する廣瀬さんの興味深い考察は以前記した通りです。

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廣瀬さんの場合、キャリアの上面は、基本、水平です。キャリア上面の水平は勾配計を使い、正確に作られます。

これはスローピングフレームでも変わりません。というのも、ホリゾンタルで無い自転車でも、地面や建物など、その背景には多くの水平があります。それらが基準となってしまうので、水平は嫌でも目立つ角度なのですね。
実際、上面の水平がずれているキャリアは、たいてい一眼でわかってしまいます。

廣瀬さんの正立型治具は、キャリアの上面を水平に作るのに、とても適した設計でもありました。定盤の上面が地面という設計なので、上面に勾配計を置けば前からと横からの水平が簡単に確認出来ますからね。その様子は下に紹介するキャリア製作動画にてご確認頂けます。


水平部分はきちんと水平に作るとして、問題は斜めのラインです。
二つ上の写真のキャリアを見ると、様々な角度の「斜めライン」が混在していますが、廣瀬さん的には、角度が不統一がゆえにバランスが取れていた…。

クラウンからキャリアに伸びるライン。ブレーキ台座からキャリアに伸びるライン。「コの字」を逆さにした形状のパイプの上辺のライン。この三つの角度は揃えようと思えば揃えられないことも無い。
でも、そうすると応力的に宜しく無いだけでなく、デザイン的にもカッコよく無い…。だから不統一な角度にデザインする…。

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上の写真のキャリアの上面四角からブレーキ台座にのびるパイプ脚は、内側に向かって角度がついています。この角度は真横から見た時にはわかりませんが、真正面、真上に視点を移動するほど顕在化します。

ブレーキ台座同士の距離(幅)は決まっており、上面の横幅もバッグの大きさによりこの幅が必要。となると、脚の角度を真上から見て上面と揃えるには、現在脚がロウ付けされている位置に横棒をもう一本増やし、その横棒に脚をロウ付けしなくてはなりません。しかし、それでは重くなり、真横以外から見た時に、ごちゃごちゃした印象になってしまうことでしょう。

キャリア以外にも、自転車にはラインが沢山あり、それぞれ角度が異なっているのが普通です。
自転車のヘッド角とシート角が同じとは限りませんし、スローピングの場合、地面とトップチューブは並行では無い。ステムの突き出し部分が地面と並行にはならない場合もあるし、ドロップハンドルの下側にも直線部分がある。さらにチェーンのライン角度はギアの選択によって随時変わる。

様々な角度の相違は、視点によってそのズレ幅が大きくなったり小さくなったりします。特定の視点から並行とか等間隔にラインを設計しても、異なる視点からみれば、それらはなんの意味も持たない。意味を持たないどころか違和感さえ感じることがある。
三次元的な造形物に、二次元的な価値観を持ち込み、特定方向から見た時に良いようにすると、他の角度から見るとかえっておかしなことになる…。

廣瀬さんは、そう考え、様々な角度が混在するデザインを施されていたわけです。


人間が作る物には、物理的機能から帰結するデザインと、心理的機能(美意識)から作られるデザインとが混在、共存しています。この二つの折り合いが、人が作るモノを形作っている。
そして、物理的機能のみで作ると違和感を生じてしまうモノに対し、人間は、感覚、感性により補正を入れて来ました。

例えば法隆寺やパルテノン神殿のエンタシス。真っ直ぐな柱だと真ん中が細く、頼りなく見えるので、柱の中間部分を太くし「どっしり感」「安心感」を演出している…。
また、ミケランジェロが設計したローマのカンピドリオ広場のように積極的に遠近感を狂わせ、見る人の「奥行き感」をコントロールするようなデザインもありますよね。

廣瀬さんがキャリア上面の横棒の位置を均等にしない理由、斜めのラインを統一しない理由も、上記同様の補正なのでは無いか、と私は感じています。


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以下、「斜め上」から写したヒロセ車の写真を何枚かご紹介します。
最初の14枚は「廣瀬さんの目線で撮影されたと思われる写真」を、廣瀬さんのアルバムからスキャンしたものです。おそらく1980年代から2000年前後あたりまでの間に撮影された写真だと思われます。15枚目以降は私の撮影です。
「斜め上」から写した写真だと、キャリア上面のデザインがそれぞれ異なることを知ることができます。

「このキャリアのデザインからすると、このオーナーさんのフロントバッグは小さめか、ウインドブレーカーをくくりつける程度の使用を想定したものだったんだろうな…。或いは荷物は積まず、フロントライトの台座としての機能の為だけなのかも…。」
「このフロントキャリアは泥除けを固定する役割も担っているんだね。上面の長さは、良い位置で固定する為って要素もあるんだね。」
「この自転車の場合、センタープルのブレーキ台座に固定するとキャリアの脚の角度が急になりすぎて、重さを支えきれ無いからブレーキ台座の下に別途ダボを設けてるんだね。」
「このパイプの太さだと、かなりの荷物量を想定しているね…。」
「これは後ろの上面に横棒が三つあるね…。」
「リアキャリアのV部分の角度が前後で違うね…。踵が当たらないようにかな?」

などと、あれこれ想像しながらご覧頂ければ幸いです。

フロントキャリアの中にはエンドまで伸びる脚がカーブしているモデルがあります。これはフォークの振動吸収性や路面追従性を邪魔しない為の設計です。脚と上面とがロウ付けでは無く、ねじ止めになっているのも同様の理由です。

廣瀬さん、フォークの中間部分にダボを設ける場合、必ずフォークの曲りが終わりきった箇所から上にダボを設け、フォークの機能を阻害しないように留意されていました。
機能的に正しい物は美しい。これも廣瀬さんのデザイン的価値観の一つでした。

泥除けがタイヤを覆う範囲やタイヤとの距離。ブレーキワイヤーがフレームに入る角度と出る角度なんかにも、この廣瀬さんの価値観は表れています。
もっとも泥や水の跳ねを防げ、なおかつ物が挟まりにくい泥除けとタイヤの距離が美しい…。もっともワイヤーの抵抗が無いアウターのルーティングこそが美しい…。

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(以上、廣瀬さんのアルバムより)

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以上、主にキャリアに焦点を当て、オーナー毎にその様相を変える廣瀬車のごく一部をご覧頂きました。

廣瀬さんは他の工作同様、そのオーナーさんが、現在作っている自転車に乗っている姿を頭の中で想像しながら、自らの美意識でキャリアのデザインをされていました。
このオーナーさんはこんな感じのキャリアが似合いそうだな、という絵を想像し、設計するのですね。

勿論、キャリアで大事なのは、希望する荷物がきちんと固定でき、壊れにくく、走りを阻害せず、時には補佐するといった機能的な側面です。
でも、これら応力面をクリアした後でも、遊びや個性を反映させることは可能であり、オーナーとビルダーが機能や費用だけで無く、美意識も共有したり交換したり出来る。そこに「オーダーメイド自転車の豊かな楽しみ」の一つがあるのでは無いだろうか。私はそう考えています。

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上の写真は私のオーダーしたランドナーですが、注文時、シボレー・コルベット(1960年代のC1型)の写真を工房に持っていき「僕はこんな雰囲気の造形が好きです。」と伝え、あとはデザインお任せで作って頂きました。廣瀬さん、車がお好きでしたからね。車の写真から様々な乗り物のデザイン話に花が咲き、とても楽しい注文だったことを懐かしく思い出します。

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(Chevrolet Corvette C-1      https://www.veikl.com/ より)


今回ご紹介したのは、あくまでも廣瀬さん個人の美意識、設計思想です。この「観方」だけが正しいというものでは全くありません。また、廣瀬さんがデザインや美学の専門教育を特段熱心に受けていたということもありません。
ただ、廣瀬さんが育った家庭は、ご両親が弟さんに江戸時代の浮世絵師の名前をつけ、手工芸を嗜む方がおり、ご親戚には著名な工芸家の方がいらっしゃった。そんな家風だったことも記しておきたいと思います。

廣瀬さんから教わった、キャリアの応力的考察や、ストレスに耐えるキャリアを実現する具体的な製作技法等は、またいずれ、ご要望があれば記したいと思います。

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ちなみに、設置するバッグの形状などの理由で、キャリアの上面が地面とは水平では無い廣瀬製キャリアもあります。下の写真の三台は、リアキャリア(バッグサポーター)が後ろ上がりの設計です。

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以下、キャリア製作の動画をまとめてみました。ご覧頂ければ幸いです。


「前後キャリアの製作」(12本の動画)
https://youtube.com/playlist?list=PL9TwVhz6wsbt0GxNS7bYFiAd_Ww86FvLy

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スポルティーフ用フロントキャリアの製作(日本語字幕あり)
https://youtu.be/_nY3sMkVw8c

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(字幕)OSTRICHサイドバッグ用分割式フロントキャリアの製作
https://youtu.be/5gzCWZZEIbE

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サドルバッグ用サポータの製作

https://youtu.be/KyAswqJTDOE

スクリーンショット 2021-08-05 10.39.13



(字幕)26x1.5 for touring
https://youtube.com/playlist?list=PL9TwVhz6wsbtqcR_aYk7d-WnHkIroK3zx

スクリーンショット 2021-08-05 10.31.00


YouTube動画も含めた私のヒロセへの取材とアウトプットに対し、ご評価を頂ければとても有り難いです。どうぞ、よろしくお願い致します。(廣瀬秀敬自転車資料館 制作者)