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お金持ちで賢く理解のある親がいなくても、人生を好転させる方法

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
同年代(三十代)の、いろいろな友達と話すんですけど、ぼくが引き寄せている可能性もありますが、みんな「親」に怨みや不満を持っているんですよ。代表的な怨みは、2つに収束すると思っていまして、

・もっとお金がある家に生まれていたら
・もっと親が賢かったら(適切に教育をしてくれていたら)

生んでもらっただけでも感謝しろ!!大人になるまで育ててもらっただけでも感謝しろ!!って言われそうですし、その通りかも知れませんが、そんなお説教は、頭では分かっているけど、聞きたくないんですよ(笑)一周どころか、二周か三周ぐらい回って、「もしも親がもっと…」というモヤモヤに突き当たるんです。
三十代なんだったら、むしろ親孝行に転じろ、いつまでも子供みたいなことを言ってるんじゃないよ!!って叱られたら、ゴモットモです。反論はないです。おそらく親子問題は、永遠に解決しない。片方が屈服するか、寛容な精神ですべてを「ゆるす」くらいしか、解決策はないのでは?と思います。

すべての人類が逃れられない「原罪」って、親から生まれてくることじゃんじゃないのか?って思うくらいです。
あ、いま、すごくいいこと言いましたね。過去に同じことをいったひとがいるかも知れませんが、主観的にはオリジナルです。「親ガチャ」は、1回しか回せないし、選択権ないし、ほんとやめてほしいです。

お金に不自由せず、貧乏くさくなく、みじめったらしくなく、人前で恥ずかしくないだけの文化的素養を授けてもらいたかった。好きなことが見つかるだけの十分なチャンスと、好きなことが見つかったとき挑戦できるだけの励ましと、気持ちを萎えさせないだけの経済的な裏づけがあったらなと。

ぼくは、早稲田大学の大学院に出席しており、大学院生とツクエ(もしくはzoom画面)を並べています。かれらなりにも悩みはあるのは知っていますが、少なくともぼくよりも出身階層が高いので、20代で早稲田大学の大学院に通っているわけですね。

…と、ここまで来たら、なんの救いもない記事になってしまいますけど、べつに、グチりたかったんじゃないんです。なぜなら、

この問題には、解決法がある!!
(このゲームには、必勝法がある!!)

すごく当たり前のことですけど、お金も環境も、文化も学識も、大人になってから、自分で整えればいいんですよ。なるべく偏差値の高い学校に行って、なるべくお金を稼ぐ。そのお金で、学び直せばいい。
なあーんだ、簡単ですね。その発想はなかったですね(笑)

いまぼくは、まったく働かずに、資産運用と、書いた本の細々とした収入で食いつないで、24時間7曜日、早稲田大学での勉強のために時間を使っていますが、後天的に手に入れたものです。

京都のホテルが、値くずれしまくっているので、空いた新幹線でピヤッっときて、昼間はひとの少ない山側の神社に観光し、夕方からホテルで寝て、月曜の早朝に、こんな記事を書いてます。明日の授業は、月曜2限・5限ですから、いつ寝落ちしてもいいように、10時30分に目覚ましをかけておきます。

なんか、こうやって「余裕をかましている人」のビジネス書がたくさん出ているし、さんざん読まされてきましたが(笑)到達できたみたいです。

中年になってから学び直す

裕福な家の子よりも、スタートが10年か20年遅れますが、それでも、10年か20年で取り返せるんですよ。
「いやいや、取り返しがつかない長い時間だよ!!」って思うかも知れませんが、それだけの年数、遅れることで心が折れるぐらいだったら、そもそも階層の上昇を目指してはいけなかったし、目指す必要がなかったんですよね。親と同じ階層で、アクセク生きればいいじゃないですか(暴言)

もちろん、不老不死ではありません。
「幼少期」にしか受けられない教育とその成果、「10代のとき」にしか受けられない教育とその成果というのがあるのは、知ってます。でも、そういう親のもとに生まれてしまったなら、仕方ないじゃないっすか(笑)
与えられたカードで勝負するしかないなら、与えられたカードで勝負するしかないです!!
ナントカ構文っていうやつは、ときには、いいこと言いますね。

年数が遅れることのデメリットは小さい

世の中には、1年や2年の差が、就職レースとか、出世レースとかにモロに響いてくる、エリート街道があるのは知ってますよ。というか、ライバルがみんな同様に優秀だからこそ、「より若い」「より早い」ことで、差を付けようとするんですね。
たとえば、オリンピックの短距離走の選手が、0.01秒を競うような。

しかし、そもそも、お金と教養のある親のもとに生まれることが出来なかったのだから、そのレースに参加する資格がないんですよ、すでにして。だったら、もうよくなくないですか(笑)
こだわっても、マジでしゃーないです。

100メートルを、20秒で走っても、むしろ1分かかって走っても、対岸に到着すれば、問題がないと思いませんか。10秒台前半が出せないから、スタート地点に立たない、もしくは途中で立ち止まる、という「潔癖症」のほうが、トータルでは、目標から遠ざかると思いませんか。

それに、世俗的な成功をしても、60歳で役職は外れるわけです。エリートは消耗し、人生の消化試合に入るかも知れない。
リアルに、人生における仕事の総量において勝てるチャンスすら、残っていると思うんですよ。むしろ、上昇志向とかルサンチマンを、晩年までの燃料に変えることもできます。

歴史上、振り返ってみても、「一代で成り上がった」とまで言わずとも、「家柄がよく分からない」偉人はたくさんいます。豊臣秀吉レベルまで極端じゃなくても、系図って未詳だらけです。
成り上がりたい当人にとっては、天地がひっくり返るほどの無理なゲームに挑んでいるように感じてしまいますが(実際に当人のなかでは、天地がひっくり返るほどの変化がありますが)、「よくある話」なんですよねー。

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