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【研究指導】研究者に向ける一石二鳥のシンプルな問い

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

ぼくは博士課程に在籍して、三国志の研究をしています。日々、他の院生の研究の話を聞くことがあります。大学院のゼミで聞くことがありますし、学会報告で聞くことも。
後輩(学部生=大学生の卒業論文や、修士課程の修士論文)から、コメントを求められることがあります。

ぼくは同輩や後輩に、必ず同じことを聞きます。先輩や先生に聞くことはできませんが、「もしこの問いを向けたら、何と答えるだろうか?」と想像することにしています。
この質問の仕方は、自分の先生に習ったわけではなく、だれかを真似ているわけでもありません。自分の経験に照らして、「これはいい質問だ!」と編み出したものです。

恐らく失礼にならない。パワハラでもない。いきなり批判することにならないし、かといって、「大変興味深い!意義がある!」とか、お世辞を言って、適当にごまかしていることにもならない。
揚げ足を取ったり(攻撃や批判として受け取られることなく)、強引に意見を押しつけたりすることもなく、研究について有益な会話を始められるでしょう。その質問とは、

「なぜそれ(題材)を
研究するのか?」

です。

いやいやいや!!
ものすごくシンプルで当たり前すぎる質問だろ!という気もしますけど、ぼくは2つの角度から、この質問をします。
この質問には二重の意味(ダブルミーニング)があり、一石二鳥です。二つの側面から答えてもらえるように会話を続けます。

(1)取り扱う動機。なにがきっかけで興味をもち、研究の題材に選んだか。「なぜそれを研究するのか?」
(2)取り扱うことの成算。どのようにオリジナリティを発揮し、どのような結論を導き出す見通しがあるのか(まだ細かな論証はなくても可)。「なぜそれを研究するのか?」「なぜそれでなければならないのか、なぜそれが他よりも題材として優れているのか」

研究を進める上で極めて重要な2つのことを、同じ言葉「なぜそれを研究するのか?」で聞けますね。
このように質問する理由は、(1)興味がだけがあり(2)成算がなければ、研究(論文)が完成しません。(2)目先の成果だけ狙って(1)興味から乖離しても、情熱が持てずいい研究になりません。

「なぜそれを研究するのか(1)」の興味のきっかけを外さず、「なぜそれを研究するのか(2)」の成算を見つけていく。

構造化するなら、内的で根元的な興味(1)と、外的な競争優位性(2)という捉え方ができるかも知れません。自分がやりたいだけでも、研究にならない。市場で売れる(研究業界で評価される)だけでも、いい研究にならない。小手先でまとめたよね、というのは同業者から丸わかりだ。

ぼくはサラリーマンを15年ぐらいやり、いまいち成果が出なかったんですけど、ぼくの場合、(2)市場や会社、職場で用いられることありきで、給料がもらえることを優先した結果、「中年の危機」でもう嫌になってしまいました。市場の評価を顧みない(1)夢追いニートよりは、生活力というか経済力はあるかも知れませんが、かなり不幸でした。

めちゃくちゃ今さらですけど、本当に興味があること(1)を題材として扱いながら、内的に湧き上がるエネルギーを味方につけないと、優れた仕事・研究はできないんですよ。
しかしながら、ただの「好き好き」では成果が出ない。「だれよりもこの題材を愛し、クイズを出されたら絶対に負けない」ではいけない。市場(研究ならば、最新の動向や、先行研究が残した課題)に目を配って、オリジナリティを示し、同業他者に認めさせないといけない(2)。

話をしていて、(1)そもそもの興味がない、というならば、研究を止めるか、適当に先生にお題をもらって卒業すればいいじゃん、と思います。興味はあるけど、(2)成算がないというなら、同輩・先輩として、意見交換ができると思います。
(1)興味の所在すら聞かず、(2)成果を出すならこんな方法がある!と言っても、なんの意味もない助言。押しつけです。パワハラです。

「なぜこれを研究するのか?」(1)
「なぜこれを研究するのか?」(2)
純粋だった初心を忘れずに(1)その情熱を方向づけ、なぜこの題材で戦うと勝てそうだと思うのか?他者の成果のなかで、棲み分けをして居場所を確保することができるのか?(2)を磨いていく。

シンプルですけど、ものすごく大事なことを書きましたね。めちゃくちゃ腹に落ちますね。1日に10回ぐらい、自分に問いかけちゃいますね。

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