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歴史ファンの欲求不満/歴史研究者の洞穴

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。

ぼくは、中堅の社会人(学部を卒業して15年以上が経過)と、大学院に出席している学生(研究分野での末席)というふたつの側面があります。

このおかしな属性であるからこそ、
三国志ファン(大学院で学んでいない大多数の人たち)と、大学の先生の両方から、期待され、託されている役割があります。もうすでに、実際に、口に出して、「頼んだぞ」と言われています。

三国志ファンと、研究者をつなぐことが、ぼくの役割です。

どうして期待をされ、わざわざ託されたかと言えば、十年来、そのような行動をずっと取ってきたからだし、みずから、「ぼくがやります」と言い続けたからです。タネあかしをするまでもなく、シンプルな理由ですね。フタを開けて見れば、なにも特別なことではないです。

活動の見取り図を、書いてみようと思います。

前回の記事にひき続き、異分野の方と、note経由で直接お話する機会をいただいて、「説明の必要」を感じたことです。

三国志ファンのフラストレーション

少々熱心で、こじらせた三国志ファンは、
新しい一般書が出ても、どこかで見たような情報が切り貼りされて、くり返されているだけで、わりと飽きているんです。読みたい本がない、買いたい本がない、、ってなってます。

より三国志に詳しく、おもしろいことを知っていそう、おもしろいことをやっていそうなのは、大学の研究者だな、という見当はつきます。

しかし、研究者が何をやっているか分からない。

研究者が研究者向けに書いた本(いわゆる専門書・研究書)は、読み方・使い方が分からない。日本語としては読めるかも知れないが、頭に入っていない。そして、1冊で1万円以上する。買えない。
「記念品」、ファン・アイテムとして買うことはあるかも知れないが、読みこなすことはできない。海外旅行で買ったその国の名産品の置物は、買ったことに意味があり、「使う」必要がないのと同じです。

大学院で訓練を受けていないが、研究書を読みこなせるし、理解ができる、というひとがいれば、1%の天才か、99%の「読めていないことにすら、気づいていない状況」です。無知の無知。より症状が悪いです。

かといって、研究者が一般向けに書いた本は、出版社の都合もあるんでしょうが、薄められていたり、切り口が固定されていたりして、あまりおもしろくない。手詰まり!!

世にたくさんいらっしゃる、研究者ならざるひと(収入を得る手段として割り切って、記事を書く人たち)が書いた文章は、底の浅さが見えてしまって、とても読めたものじゃない……。こっぱずかしい。
「お金は大事」なので(むかし、アヒルのロボットが教えてくれました)そういう記事が量産されることに、とやかく言うつもりはないですが、知性が冒涜されている気がして、目を背けたい。

これは、三国志ファンを20年近くやってきて、あの手この手で、三国志のことを学ぼうとして足掻いて、独学の限界に行き着いてしまった、ぼく自身の「感想」であります。
ひとりで、毎年1本ずつは論文を書いていましたが、いいのか悪いのか、意味があることを言えているのか、言えていないのか。よく分からない。意欲や興味の矛先を、どっちに向けたらいいか、どっちに向けて伸ばしたらいいのか、よく分からない。

研究者という洞穴

研究者は、一般のひとむけに、文章を発信するニーズがないんです。
たとえば、三国志を研究論文で扱っている学者は、(理路として)先にかれらの学問的な関心があって、その素材として三国志に言及したかも知れないが、三国志ファンの動向なんて、まったく関係がないんですよね。

研究者になったひとも、キッカケは歴史を題材にしたマンガや小説だった、というご指摘はあるでしょう。実際によくある話です。でも、研究者としての仕事と、歴史ファンとしての関心は別です。というか、その区別ができないようであれば、研究者になれません。

研究者は、研究者に向けて研究論文を書きます。これは、かれらの本業ですから、当然やります。やってください。
ただし、一般のひとが論文にアクセスすること、論文を理解してもらうことに関しては、一切関係がない。求められても、ノーサンキューです。

イメージがしにくいと思うので、たとえ話をば。
ある企業の、研究開発部門の社員の仕事は、その企業に利益をもたらすことです。利益のため、その企業が製造・販売したい、製品や技術を開発します。「研究のおもしろさ」を世間に発信することは、あなたの仕事ではないです。これなら分かりやすいですね。

世間にひらかれた学問を!!
一般社会に(経済的な)価値を認められるように、発信力を上げよ!!
などと言われ、いろんな「外圧」はあるでしょうが、いまいち、かみ合っていないのは、本来的に、研究者の側にニーズがないことを、させよう(して頂こう)としているからに、思えてなりません。

企業の技術者が、中高生に向けて、「技術開発のおもしろさを伝えよう」というワークショップ的なものをしても、ぎくしゃくする印象です。かれらも、業務命令だから、「本業を中断して」やっています。
「10年後、優秀な人材が入社してくれる、戦力になるかも知れない」という大義名分はあるでしょうけど、あれは事務方の「作文」ですよね。本気で信じているとしたら、読解力不足です(笑)
「10年後、わたしはこの部署にいないよ」「オレは定年」「とっくに、転職してるだろうなあ」と思っています。
※この比喩を出せるのが、社会人をやったおかげですね ※自画自賛

では、一般人が見えないところで、研究者が何をしているか。
ぼくが大学院の授業に出席するようになり、ようやく見えてきたキーワードが、「学統」だと思いますが、長くなったので、また次回。

以上のように、歴史ファン(研究者が「対象」とするものを愛好する人々)と、歴史の研究者は、分断されるべくして分断されています。
これを、あいだに挟まって、一石ぐらい、ぽちゃん!と、投じられないかなと漠然と思っています。もやっとして申し訳ありませんが、この答えが出ちゃったら、人生終わっちゃうんで、現状、こんなんで勘弁してください。

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