ネット発信で顔出しするか問題/大学院生は顔出しできない

佐藤です。移動中ですけど、さいきん複数の事例に触れてので、書いてみます。ネットで発信するときに、顔出しをするか(すべきか、したほうがいいか)問題です。
ぼくの結論は、文章を発信するだけなら、顔出しは不要です。そもそも、顔出しの是非、当否、要不要に悩むってことは、顔を出したいひとではないのでしょう(顔を出したいなら、最初から悩まずにInstagramで自撮りをあげているでしょう)。
文章を発信して読者を得る。自費出版にせよ、商業出版にせよ、顔出しは不要です。商業出版でも、顔がよくわからない人とか、明らかなペンネームで雲隠れしてるけど、それでも構わないよーって事例はいくらでも見つけることができます。

ここから話を展開していくわけですが、たとえば出版社のひとが、顔無し・匿名のアカウントを見つけて、「うちで本を出しませんか」と打診するとき、なにも困らないんですよね。だって、雲隠れされても、「ダメでもともと、数打ちゃ当たる」のひとつで済む。ちゃんと原稿のやりとりができたら済むわけで、多少、文を書く納期が遅れても、それまでは本が出ない(編集者が仕事をやりようがない)から、顔無し・匿名さんでも、社会性ゼロの宇宙人でも、とりあえず、声を掛けてみる価値はあり、リスクは十分にコントロールできる。

しかし、時期(取材や撮影、対談・共著や監修の締切)のしっかり決まっている場合で、ぜったいに穴を空けられないオファーをするときは、顔を見て、発注したいと思うんですよ。そうじゃないと、怖くて発注できない。上司にも説明がつかない。覆面作家で、性別も年齢も分からないけど、ばつぐんに良い文章を書くので、オファーをしましょう、とはならない。

同じように、読者・閲覧者にオフラインでの行動を促すときは、発信者・依頼者から、顔を晒さないと難しいと思うんです。イベントやるから来てください、お店を開いたので来てください、クラウドファンディングでお金を集めさせてください。これらに踏み込むとき、アバター・エックスでは、成功率が下がるのではないか。
ぼくも、べつに顔なんか出したくないんですけど、顔を出すのは、ネットを使って活動を広げたいと思っているからで、かつ実績に繋がっていると思います。べつに自己顕示欲があるからでも、露出狂だからでも、見た目に自信があるからでもないです。

いちど顔を晒して、イベント風景の写真なり、取材記事なり、動画出演の履歴なりができると、「このひとは、仕事を頼んでもいいんだ」という実績になります。
そういう意味で、初期から、ばんばん顔出しをしてる動画配信者などは、広告収入とはべつに、仕事を請けやすいのではないか。
覆面やモザイク処理、ボイスチェンジなりを必須にすると、単純に、依頼者やお客様、共演者などの関係者にすごい面倒をかけるから、呼ばれにくいというのもあります。そこまで、「機密管理基準」が複雑なら、知見やセンスは劣るけど、べつのひとでいいよね、となります。大人の目線では。

男だから良い、女だから良い、イケメン美女が良い、若いから良い、威厳があるから良い、などの広報的な効果より依然に、
きちんと実態があって、約束を守れそうで、銀行口座がきちんとあって、しくじったときに責任能力がありそうか?近づいたらロコツに危険ではないのか?という、最低限のハードルとして、顔出しは、せざるをえないと思うんですよ。純粋な「文筆業」一本槍でない限りは。

ここから派生して、大学院生は、顔出しをしようものなら、「勉強中の身ではしたない」「今後のキャリアを封鎖してやろうか」という、共同体内の論理が働くように感じていて(個人の感想です)、窮屈だなと思います。
仕事も請けられません。
吹っ切れて、ぶっちぎってしまわないと、将来へのデメリットが怖すぎて、顔出しなんかできないんですよね。ぼくの場合は、経済的な本態が会社員であり、会社には隠してないので、恥ずかしげもなく顔を晒してますけど。

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