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修士課程の単位集めがラストスパート

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。

早稲田大学の大学院は、春学期・秋学期とも、15週間(授業が15回)で単位がもらえます。秋学期が、現時点で8週間おわりました。つまり、秋学期の過半数が終わったことになります。
語学(中国語)の中間テストも、大事故を起こさずに通過しました。専門の科目も、発表順序を1回こなすものは、もう終わったコマがある。2回こなすものは1回が終わり、2回目の予習をしている。

残りは、15週のうち、7週です。半分を切りました。
しかも、12月に4週やってから、2週間の正月休みがあります。年を越してから、1月に3週があります。つまり、「7週間」の学期をこなす必要がなくて、「4週間」と「3週間」をこなせばいいんですね。
体力的にも、予習のスケジュール的にも、とてもラクです。これまでのどのタイミングよりも、ゆったりできるはずだ。ゴールデンウィークは1週間のみの休みだった。文化の日あたりに1週間の休みがあったが、かなりリフレッシュできた。こんどは、豪華2週間のブランクなのだ。

修士課程の1年目に、単位集め(修士論文以外のもの)を取り終えるように、授業を登録しました。引き続き、事故を起こさなければ、計画どおり単位を集め終わるでしょう。
ぜんぶで30週(15週を2回)のうち、あと7週を残すのみ。つまり、比率でいえば、日程の23%のみを残すのみ。反転させれば、77%の日程を消化し終えたことになります。……ようやく、研究に専念できるか。

「4週間」学期と、「3週間」学期を回せば終わるのだとしたら、通年に占める割合(長さと負荷)で割算すると、13%の学期(4/30=13.33)と、10%の学期(3/30=0.1)をつぶせば終わりですか。

なんの意味もない引き算と割り算ばかりやって、なにがおもしろいのか?なにか意味があるのか?
というご批判もありましょうが、このように単位を拾うことに心を砕いていることで、なにがおもしろいのか?なにか意味があるのか?と、問い返したいほどです。あかん、逆ギレして噛みつきおった。

履修しているコマ数が多いせいで(個人の感想)、予習と復習、宿題、自宅での延長戦などが、コマごとにランダムに散発的に起こりますから、後を追っているだけで疲れる。なにも手につかない。

とりあえず、思考停止して、「単位を拾い集めているだけ」です。それでいいじゃないか、それが本業ではないか、という見え方もありましょうが、けっきょく納得感はなかったですね。
思考停止してて、それって学業なのか?会社と何が違うのか?

モグラ叩きというか、ワニワニ・パニックというか、雨漏りをしている家のお世話というか、ランダムに泣き始める幼児たちのお世話というか(保育園で働いたことはないが)。ちょっと目を離すと、「こっちを叩け」「こっちの手当をしてくれ」という感じで、バラバラとミッションが発生してますが、この生活も、そんなに残りは長くないはずだ。

修士課程というのが、意味も意義も吹っ飛ばした、「訓練」のプログラムだとするならば、こんなものなのでしょう。早く終わってほしい。「訓練」をクリアしましたよというアリバイ証書を得るまで、あとわずか。

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