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チトフナ、エンドロール:駅近3分の隠れ家ビストロで


 フライパンに上に書かれたOPENの文字が見えた。少し早く着き過ぎたが「開店していてよかった」啓子は笑った。駅から来るときに、ガラス越しにオーナー夫婦が準備をしているところが見えた。いつ見ても、微笑ましい。

  どちらかというと、知る人ぞ知るジモティに支持される存在
  気合を入れた都心のフレンチではない。肩の力を“抜ける”ちょっとおしゃれな居酒屋のような存在。自分が素直に出せて啓子はお気に入り。この店を教えてくれたことで、先輩をちょっと尊敬しはじめるようになった。初めて来たのが、この店が開店した当時だから、通い続けて、もう7,8年かもしれない。

   食事はどれも美味しいが、失礼ながら、一番のお気に入りは“自家製パン”。「とりあえず、パンと前菜盛り合わせと白、お願いします」と行きつけの居酒屋のようなオーダーをして、一息ついた。もう一品、燻製くらいを頼んで、パスタにメイン。デザートは別腹で。近未来予想図を描きながら、店内を見回す。天井の絵画、ドライフラワー、ランタン。キッチンの中に吊り上げられたフライパン、カウンターに無造作に積み上げられたように見えるパンの山。どれもがおしゃれのように見えて、とても安心感を生み出す存在だ。侮りがたし“千歳船橋”。そして、頑張れ“チトフナ”。

 と、どうでも良いことを考えていると、ワインが運ばれてきた。ボトルを並べて、選ぶいつものスタイル。隣駅の“アオジ”もそうだが、小田急線沿線にグラスワインを楽しめて、ボトルを見せてくれながら説明してくれるお店がそれぞれの駅にあるのはうれしい。

 「今、気に入っているドラマは“シカゴ・ファイア”なんだけど、知ってる?」と先輩。
 「もちろん。エンドロールがオオカミの鳴き声で終わる、人間群像劇!」と啓子。
 こんな軽口をたたきながら、啓子は今日一日を振り返っていた。ありふれた一日のはずが、こうしてここで、二人でいると、色鮮やかなワンシーンの連続として、思い出されていく。
 さえない30後半のおじさん。今日もデートと言うよりもなんとなく、一緒にいた。ワクワクドキドキのテーマパークに行ったわけでもなく、今はやりの映画を見たわけでもなく、カフェでブランチを取り、ぶらぶらと多摩川を歩いていた。いつもと同じ、ありふれたワンシーン。

 そろそろ、西日が赤く染まるころ、「今日誘ったのは、昨日見たドラマのエンドロールに啓子の名前があったから。それで、夕食はあの店で食べようと思って」。そう言いながら、ちょっと用事があるからと、啓子を先にこの店に行かせた先輩。

 お店に遅れてきた先輩は、席に着くなり小さな箱を差し出した。

 「えっ、何?」

 箱を空けたらそこには、啓子の誕生石のリングがあった。

 「結婚してください」

 緊張のためか、少し大きくなった声が、まだ、お客さんのいない店内に響いた。トングを持つマスターの右手が小さくガッツポーズを取り、奥さんがカウンターの下で拍手を送ったように見えた。BGMの音がしなかったように感じたのは気のせいだろうか。
 あっけにとられた私は、けれど反射的に答えていた。

 「はい!喜んで」

 家路につき始めた人の流れが、窓越しに映る。壁際に座った啓子からは、それが街並みを映す深夜のニュース番組に見えた。「今日も一にお疲れ様でした。」と、その光景にかぶさるアナウンサーの声のように、奥さんの声が聞こえた。
 「これ、お店のサービスです」
 テーブルには、スパークリングが2杯。早すぎるサービスに、隣で先輩が笑っていた。

 “まっ、いいか”。心の準備も、派手な演出も無かったけれど、なぜか、今日と同じ幸せな日々が、明日も続くような気がした。それだけで、十分だと心から思えた。

 “To be continued”。明日も良い一日でありますように。

 人生のほんの一瞬に過ぎないけれど、今日のこの瞬間は、きっと色あせても、いつまでも忘れない、良いドラマのエンドロールのように。

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