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「鱧をたくさん食べれたね」:そう言って見えてきたもの ~新型コロナに付き合うために~


「今年は鱧をたくさん食べれたね」。どちらからともなく、そう言った。
湯引きにしたり、オリーブオイルで焼いたり。
 京都をはじめとする関西の人は、夏の暑さが激しさを増し、祇園祭りの宵々山が近づいてくると、鱧を食べたくなる。私もその一人だ。祇園祭も縮小され、料亭も休業や営業時間の短縮を余儀なくされた店も多いのではないか。“鱧”を味わえなかった人が感じたあきらめの夏。

 ところが、今年は、スーパーで鱧を買う機会が増えたように思う。それも1匹全部、生のものを。
 丸々と太った金色に輝く鱧。例年なら、既に湯引きにされトレイの中にコロコロと入れられた湯引きとは違って、なんとも迫力のある光景だ。それを店員さんが骨切りをしてくれ、長い長い鱧が二つに折られてトレイに入れられて出ている。1匹780円の2割引きで買えた日もあった。
 2年ほど前、東京の魚料理がおいしいお店で食べた4切れ1980円の鱧の湯引きも美味しかったが、自分で湯引きして、即、食べられる鱧はまた、格別だ。和食店で食べる機会は減ったが、おうちごはんで、たくさん食べることができた。

 7月の大阪市中央卸類市場の取り扱いは2割ほどの減らしい。飲食店の休業、営業時間の短縮により、スーパーなど家庭用に回ってきたと思われる。その鱧も、夏を終えて秋には、取扱量が減っていく。松茸の土瓶蒸しに入れて食べたいが、果たして、そのころまで出回っているだろうか。

 今年は、新型コロナの影響で、いくつもの諦めた思いがあった。春と夏の甲子園、卒業式や入学式。違った時期に、違った形で再現されたものもある。大学のキャンパスライフのように、まだ、かなわないものもある。
 働くことは、今、まさに考え方も形も変わっている。これまでの大切だと思って向き合ってきたものが、違うものに感じることもあるだろう。紙に書いてあることを上司が伝えるだけの会議のむなしさ、何気ない雑談が支えていた安心感やひらめき、ストレスの解消の効果。良い方にも悪い方にも、色々変わった夏。

 「どうなってしまうのだろう」そう考えると不安になる「どうにかしなければいけない」そう思うと、ちょっとしんどい

 だから、「どうにかなるだろう」。そう考えることにしたい。

 外食の機会が減ったけど、自分で作って、満喫できた、おうちごはんの“鱧”。「今年は鱧をたくさん食べたね」、二人で話して、「悪いことばかりじゃない、きっと」。そう思えるようになった。

 新型コロナがもたらした、小さな嬉しさと寂しさ。それらが入り混じった、今年の晩夏。来年は、祭りも、お店も、そして家庭でもたくさん食べることができれば、それが一番なのだけれど。
 「来年も、きっと、どうにかなるだろう」

 せめて、そう願わずにいられない。

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