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「ギ」:店の名の由来を聞いたことはない

 カタカナでたった一文字:「ギ」。潔い。


 外装はなんとなく、写真集のサンタフェを思い出させる、白い壁。地中海風と言えば、そう見えてくる。通りから窓越しに見える店内で、キビキビと動く女性に姿に、魅かれて、一度は入ってみたいと思いっていた店だ。微笑みながら楽しそうに、美味しそうに食べているお客さん。

 寒い、冬の夜だった。会社で問題があり、少し遅くなったため、お腹が空いていた。マッチ売りの少女のように、自分の不幸さと、窓の向こうの幸せな風景のギャップに、この扉を開ければ自分も“向こう側”に行けるような気がして、衝動的に扉を開けた。

 「いらっしゃい!」
 外見のお洒落さとは裏腹に、戸惑うような元気のいい挨拶。“がんこ寿司かよっ”と突っ込みたくなるのを我慢して、薫は席に着いた。

 通い始めて分かったのだが、ママは、いわゆる“男前”の気風のいい美人。楽しく酒を飲ませてくれて、料理の腕はピカ一だ。料理を作るキリっとした横顔、がカッコいい。脇を固めるスタッフも“いい味”出している。

 一人で、お酒の飲めるお店に入ったのは初めてだ。女子高、女子大育ちの薫は、何をするのも友達が一緒。母親や妹の場合もある。基本、一人で行動はしない、したくない、いや、できない?

 アラサーのいい大人が、何を言ってんだか。

 冬の魅力は、厚岸の牡蠣。と、常連顔でいう薫だが、通い始めて、最初の冬である。調理は至ってシンプル。オーブンで焼いてくれるのだが、火の入れ方が絶妙だ。生ではない、が、ふっくらと仕上げる。牡蠣がミルクを超えて、生クリームのようになる。焼き過ぎず、だけど生っぽさもない。
 トリッパの煮込みを隣の人が頼んでいる。すかさず、私も“便乗”。同じ店の隣の人が頼んだものが美味しそうに感じて自分も同じものを頼んでしまう“便乗”。美味しくて、狭くて、カウンターのお店が多い“中央線あるある”だ(ただし、東中野―西荻窪間限定)。

「ちょっとうらやましいな」
薫は独り呟いた。
何がうらやましいのだろう?
“キリっとした表情だから?” “美人だから?” “手に職を持っているから?”

 女性がやっている美味しいお店。これも“中央線、あるある”だ。自立した女性が、個性的なお店を営んでいる。女性の権利を主張する法律も、うわべだけのフェミニズムも、カミツキガメもみんな机上の空論、と思わせるほどに、活躍の仕方も、立ち居ふるまいも、周りに与える幸せの度合いも、いたって自然だ。だから、応援できる。

 “それが答えかな”

 ”だけど、正解と確信できるまで、この店に通おう”、そう思った時に、木製の扉が開いた。

 「すみませーーん、一人ですが、大丈夫ですか」

 顔をのぞかせたのは、若くて、可愛い女性。

 “大丈夫、ここは一人女子にも優しいお店だよ”と、心で呟く前に、
 「いらっしゃい!」
 そう答えたのは見習い常連客の薫だった。

以上

※素敵な女性がオーナーシェフや女将のお店。中央線の隠れた代名詞だ。
「燗酒や」「まにわ」。私は好きな「リサバル」と、かつては阿佐ヶ谷の北にあり、今は鎌倉で頑張っている「おおはま」。阿佐ヶ谷から出れば、東中野の料理もトークの秀逸な“レイチェル”の「ビスポーク」、熱燗の恋しい冬の夜にピッタリの西荻の「雨猫」、などなど。これらは、別の機会に、紹介したい。

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