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あれはまだ結婚して数年経ったときのことだ。

10年の付き合い、2回の別れを経てようやく身を固めた僕は、
新居での生活をはじめた。

元々、同級生の友だち感覚からお付き合いをはじめていたから、
話もよく合うし、同じ世代だから共通の友だちも多かった。

だから、結婚も、お付き合いの延長線上で進むような感覚があった。

ところが。

少しずつ考えのずれが生じてきた。

妻は家事をしなければならず、多かれ少なかれストレスが溜まる。

特に子どもが生まれてからは、自分の時間がまったく取れなくなり、
ちょっとしたことで怒ることも多かった。

できるだけ協力はしていたけれど、僕も人の子、やさしく接しているのにも
限度がある。

あるとき爆発した。

「いい加減にしろよ。僕だっていろいろやることあるんだから。少しは自分でできることくらいやってよ」

いまとなっては何を言ったか、具体的には覚えてはいない。だがどこか相手を否定するような、それまで我慢していた怒りのはけ口のような、激しい言い方をした。

気づいたら妻はいなかった。

よくいう実家へ帰って行ったのだ。

妻のほうは「自分はよくやっている。それなのに彼のほうが悪い」そう思って最悪離婚も辞さない気でいた。

僕は大きな部屋でひとりポツンといながら、迎えに行くことにした。

高速を使い、車で1時間ほど走ると、妻の実家はあった。

すでに自分の親のように、いや親以上に何でも話せる親御さんになっていた。

「あぁようきたね。まぁ上がり」

妻のほうは押し黙っている。

結婚する前の、まだこういう教えを知る前の僕なら、お義父さんやお義母さんは妻の味方ばかりしているように思えただろう。

しかし教えを学び、人との関係を築いてきたから、以前のお義父、お義母さんではなかった。

昼に着いたのに、まったく「そ・の」話は出ない。

ご飯を一緒に食べた。妻は怒っているせいか、黙っている。

ご飯を食べはじめ、しばらくした後、お義母さんが言った。

「あんたくらいのことでケンカして別れるんなら、私とかしょちゅう別れとかないかんよ」

笑いながらお茶をすすった。

ご飯を食べ終え、蛍光灯の、少し暗い灯りの下でお義父がボソリと言った。

「ひろくん。アンタもいろいろあろうけど娘をよろしく頼むね。うちの娘もワガママで想うようにいかず、腹が立つことあるやろと思うけど、まぁ仲良くやってくれんね。何かあったらまた言ってくれたらいいから」

僕は涙がこぼれそうになった。

ふつうなら娘をかばうはずの親が、相手の旦那さんのほうの味方をしてくれている。

それは僕が変わったからだとも言えるけど、向こうのお義父さん、お義母さんの器量がそうさせたからにほかならない。

・・・・・・というか、より正確に言えば、昔の僕にはお義父さん、お義母さんの言い方が、全部妻よりになっているように聴こえていたため、反発し、2度結婚を反故にしたことがあったのだ。

だが僕は変わった。お義父さん、お義母さんのやさしさが心に響くようになり、実の子のようにかわいがってくれているのが身に染みたのだ。

いろいろあろうばってん、という言葉に、実の父がかけてくれなかった言葉が凝縮され涙が出そうになったのだ。

敵だと思う人のことを思いやることができたとき、思いもよらぬことが起きてくる。

天国のお義父さん、お義母さん、いつも見守ってくれてありがとう。僕たちはいろいろありながらも仲良くやってます。

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