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上手く書こうとすると書けなくなるわけ


前々から悩んでいることがある。それは「上手く書こうとすると書けなくなること」。まるで手足を縛られたように呪縛にとらわれることだ。

メルマガをはじめ、物語や妻の恋愛結婚本など、さまざまな媒体に文章を書いてきた。そのなかにはひと筆書きのようにさらさらと書いて、自分で惚れ惚れするような美しく説得力のある文章が書けたと思うことがある。

たとえば妻と書いた恋愛・結婚のこの本。どちらも基本的な骨組みは妻のれいこが考え、私が流れるように書いていったものだ。

(前作「大好きな……」は絶版となったため新品は高くなっているようです。)

ところが今度自分の書籍を出そうとすると妙に文章をこねくり回し、理屈っぽくなってしまってなかなか前に進めない。(マジメなビジネスマン向けの電子書籍を執筆中。書き始めて4年が経ってしまった。うまく書けているのかどうかすらもよくわからない。情けないなぁ。)

同じ媒体であってもいざ「うまく書こう」とか考えて書くと、なんとも説教臭く理屈っぽい文章になってしまう。いかんせんまったく共感できず自分でも自分の才の無さに嫌気が差す。(実態はそこまでひどくなくても)

ときには古くからの著名作家のように、アルコールを飲んで勢いで書いてみることもある。

そんなとき、翌日おそるおそるパソコンのフタを開けて眺めてみると、意外といさぎよく歯切れのいい文章だったりする。勢いが乗っているのだ。

ただ、同じ人間なのにどうしてこうもうまいヘタが出るんだろう。ずっとこのことに悩んでいた

かたやうまく書こうとするとヘタになり。どうでもいいや、言いたいことを思い切り言おうといさぎよく書くとズバっと書ける。これは何だろう。

たぶんそれは自分の文章がどう観られるかを気にし過ぎ、ぎこちなくなるからだ。いい文章、受けのいい文章をねらい、気にする。だから月並みだが自分らしさがなくなって味が無くなるのだろう。

特に私の場合、いいねをもらおう、アクセスを集めよう、どのくらい観てもらえるかな、などと考え出すとよくない。自然体でスラスラと書けていたものが急にブレーキが入り出す。

もしかすると文章というのは、力が入っていないときがいちばんよく書けるのかもしれない。わかりにくいかな、伝わるかな、と考えるよりも、浮かんだことばをそのまま紡ぎ出し、並べて行くと、スラスラと読めてしまうんじゃないかな。たぶんnoteはそんなニーズにピッタリのツールだと思う。

もし、あなたが文章を書けない。うまく書けないと思ったら、ちょっとその想いは脇に置いて想いのままつらつらと束ねてみよう。そうしたらだんだんと言いたいこと伝えたいことが浮かんでくる。その向こう側になにかほんとうに伝えたいことが浮かんでくるはずだ。

うまく書こうとすると書けない。なにかのテーマについてそのまま想いの丈をぶつけていくと書ける。人の目、周りの目を気にする人はこのことを肝に銘じて置くといいかも、です。

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