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朝、少し早く目覚めて、noteを開くと、「スキ!」が3つもついていた。

このところ、自分のイチオシで、これはと思う内容のものがなかなか想いが届かず、なにげに書いたものが「スキ!」を付けられたりして、うれしい反面ちょっぴり残念な気持ちになっていた。

けれど朝、思いがけず「スキ!」がつき、しかも通りすがりでたまたまつけた感じではなかったし、バランスよくついていたので、ことのほかうれしかた。

相手の反応を急ぎすぎるとおかしくなる

「スキ!」の反応がいっぺんに、しかも日中ではなく、夜の眠っている間についていたのを見て、あることを思い出した。

 果報は寝て待て 、と。

文章を書き、UPするのはある意味、好きな人に好意を伝えたときと似ている。こちらがおそるおそる自分の気持ちを伝えて、なんにも反応がないと、すごく落ち込む気持ち。せめて「ありがとう」「ごめんね、いまは……」などなんでもいいから反応がほしいと。

いやそれももしかするとはっきりいわれるとまだ怖いかもしれない。それよりかはいつもの通り、ふだん通りに接してくれたらそれだけでもまずは本望なのかもしれない。

「スキ!」だけを用意したnote

そう考えていてふと思った。noteをつくった人たちは、人からの好意、善意、恩返し、を「スキ!」という反応パターンだけをつくったのではないかと。ほかのSNSにように、「いいね✌」「わるいね☟」の2ボタンを用意していないのだから。

それに、「いいね!」ではなく、「ハートマーク」。♡が♥に変わる仕かけを設計してくれていることが、ぽっとその人に「スキ!」の愛情をプレゼントしてくれたということ。どこのだれかもわからず、見知らぬ人が自分のことを受け入れ、愛してというと大げさかもしれないが、愛を注いでくれるのは、とても崇高で神々しい行為なのだと思う。

そう考えると、noteに集う人たちが安心して、自己解放できるnote村は、どんなにすばらしい場所だろうかと思った。誹謗中傷から善意の人たちで守られ、落ち着いた空間だということが、いまの時代にもっとも求められているひとつなのだから。

スキな気持ちを届ける、ということ

人をスキになるというのは、とてもすばらしいことだ。けれどもその一方で、スキになってしまうとパンドラの箱を開けることにもなる。スキになるということは、相手からも好かれたい、スキになってほしいという欲求がどうしても出るからだ。

一時、LINEが登場したてのときに、「既読スルー」「未読スルー」ということばが流行った。読んだか読んでいないかがわかるように、「既読」文字が浮かび上がるのは、設計者としての善意から。しかし好きな人に送って「既読」のままで、なにも返事がこなかったら、だんだんとおかしくなっていってしまう。

だから読んでもわからないように「既読」がつかない読み方がでてきた。しかしそれも今度は「いつまでも読んでくれない」というジレンマを生じさせた。

心理的距離、物理的距離が近過ぎると

ミクシィという日本製SNSの後、フェイスブックが出て、リアルタイムでその人のことがわかるようになって、私はこうしたSNSを使えなくなった。どうしても目の前の人たちの光景がチラつき、集中できなくなったからだ。

批判的なコメントが入っている人のを見て、直感的にこういうのはおかしいと思った。なにかがおかしいと。するとSNSにくわしく上手に使いこなしている人は言った。

「気にしないことですよ、そういうのは一定数あるんだから」
「基本、ネットもリアルも一緒です。批判してくる人は必ず出て来るものだから」

私はそういうコメントを観て、違和感を覚えた。というのも掲示板に悪口陰口を書くという行為は、昔の炊事場や井戸端で陰口・悪口を言ってすっとして平和な時代とは違って、ずっと残り、言われた人の目に入るのだから。

それに、ネットの掲示板や自分の記事欄に悪口を書かれても、自分の自宅の壁にスプレーで落書きされることはまずもってない。それは、社会の目や監視の目が光っていて、法やルールを犯した行為として罰せられるとわかっているからだ。

そう考えると直メッセージのやり取りがなく、「悪いね☟」ボタンを用意しなかったnoteの心づかいがわかってくる。

人をスキになることと、作品を世の中に出す行為は似ている

人をスキになるのはすばらしいこと。けれどもいったんスキになると、いろいろな感情がわいて来る。相手もスキになってほしい。いや自分の好意だけでいい。スキな気持ちはそっと胸にしまっておきたい。そう思う人もいるだろう。けれどもどうせならやっぱり、スキな気持ちはどこかで誰かにだけは言いたいと思う。

人をスキになるのは作品を世の中に出すのと似ている

ある意味作品を世の中に出すのも人をスキになるのと似ている。作品を心をこめ、ことばを紡いでアップロードした瞬間は「書けた!」とほっと胸をなで下ろす。しかし世の中に出した後、やはり「♥」がつくかどうかは気になる。その作品が良かったかどうかのひとつの判断材料になるからだ。

けど、作品を出した後は村上春樹さんや辻村深月さんのように、書評やコメントを見ないようしているという作家もいるくらい、やはり反応というのはよくもわるくも執筆活動や創作活動に影響を及ぼすものだ。

それに。

恋愛と似ていて、「スキ!」と言ったらすぐに「スキ!」と返してほしいと思うもの。作品を出したら1日のうちに反応がないと、だんだんと不完全燃焼になってきたり、たくさんの「スキ!」がついた作品のほうにブレていったりすることがある。

だからすぐに反応を求めるのではなく、自分の作品がスキ! と言って、世に出したら、相手の反応は少し待っていよう。もしかするとまだ世の中の人は、毎日が忙しくて、あなたがいることに気づかないだけかもしれないのだから……。

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