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ドラゴンズドグマ2 竜の理の考察。

ドラゴンズドグマ2を遊んでの考察という事で、今年は大好きなゲームをガンガン遊んでいくと。
今まではホロライブの配信などを視聴して、感想やスクショを掲載してのブログを書いていましたが、その時間を全振りでゲームに向けています。
という事で、最近というか12年前から定期的に遊んでいるドラゴンズドグマの続編がついに発売となり、それをじっくりとゆっくり2周して3周目を楽しんでいるので、竜の理とかあのドラゴンとかなんだ?っていうのを記載しています。
※画像はすべてSteam版のHiropon64bitのスクショより。


自分の解釈が正しい!という訳ではなく、多分、恐らく、ドグマ1とドグマ2をクリアした人なら行き着いていると思われる事を書いています。
多分、読んでみて「ですよね」、「そうそうそうだよね」って思うことばかりだと思います。

この記事では、屠るとか斃すとかのゲーム中の難しい厨ニ病な単語を討伐とか倒すに置き換えています。


まず、最初に基礎知識としてドラゴンズドグマの世界では、
覚者と呼ばれる勇者がドラゴンを倒すお話です。

が、覚者やドラゴンにポーン、そしてラスボスの界王までもが、同じですよという設定です。
以下のルールで役回りがぐるぐると回っている。

界王、ドラゴン、覚者、これらが世代交代しながら連綿と継続している。

竜の理(ドラゴンズドグマ)が支配する世界です。

・神にも等しい界王という人物がこの世界を総ている。
・その界王を倒すと、その覚者が新しい界王になる。
・界王に敗れると、その覚者がドラゴンになる。
・ドラゴンに心臓を取られると覚者と呼ばれる勇者になる。
・覚者はドラゴンを討伐し心臓を取り戻したり、世界を救った王になれるし、
その上位存在の界王と戦う手段を得ることができる。
・覚者は虚無の世界の住人のポーンを従えれる。
・虚無から生まれたポーンはドグマの他の覚者の居る世界を行き来できる。
・元覚者など、竜に心臓を取られた人が結構沢山いる。
・元ポーンも存在してる。

ドラゴンの決戦や誘惑などで負けるもしくは、ドラゴンまで辿り着かなった覚者などは、王様やドレイクや竜識者など、世界各地に居る元覚者になって存在しています。




ドグマ1はプレイヤーの覚者は現行の界王に勝利して、覚者から世界を統べる次の界王になりました。
その後、ドグマ1の新界王は、リディルで自害して円環を絶ってしまった。
ゲームの世界では、自害せずに界王として次の覚者が来て、また新しい界王が生まれてを繰り返しています。
これは、2周3周すると分かりますが、その都度、界王が、直前の界王を倒した覚者の姿になっています。
最後のシーンでポーンが覚者(実際には覚者の姿)になったあの砂浜のシーンは、円環絶ったあとの世界です。

界王覚者ドラゴンポーンの繋がってた竜の理という鎖が途切れて円環が途絶えた世界。
その事を踏まえてのドグマ2のエンディングを観ると色々な事がわかってくるのです。


通常なら、界王(プレイヤー)の元へ時々意志の強い奴(覚者)がやってくるので、チャンピオンベルトの防衛戦みたいに界王VS覚者が行われる。
でも、世界の王、界王となった覚者(プレイヤー)の出来ることといえば、観察なのだ。
覚者がドラゴンを倒しエヴァーフォールで鍛えて武器や防具を揃えて、竜の鼓動集めてと、
それまで界王は何をしてるかと言えば、
世界を観察し、このクッソ退屈な界王という立場から引きずり降ろしてくれる覚者が来るのを延々、永遠とも言える時間待つしかない。
あのドグマ1のラスト、透明になって街をブラブラ。
村人や城の衛兵を川や海に投げ込んで遊んだり、メテオぶっ放したりして遊ぶだけ。
こちらから話し掛けることも向こうから干渉されることなく、
ゲームとして遊んでいるプレイヤーですら3分で飽きるあの本当に退屈な立ち位置だ。
覚者(プレイヤー)が、寄り道しながら、素材集めしてやっとこさドラゴンを倒して、
エヴァーフォールで迷ったり、ポーンのエロ装備でキャッキャやってる間も、
界王は、世界を総る存在として、ずっと待っていないといけない。
毎日毎日暇で仕方がない、まじで退屈なんです。
心底、早く来いや!!!って待ってる訳です。
それを気の遠くなるほど待っているし、これを気の遠くなるほど繰り返している。
だから、色々手助けして導いてる訳で。
ドラゴンも同じ。界王に負けてドラゴンになっちゃって、はよ、ワシの所に来て、
倒してくれや!って。
もう界王の手下で覚者探しも疲れたわって。
気の遠くなるほど長い時間をかけて、やっと覚者が自分の元にやって来たと思ったら、
最愛の人が大事だのドラゴンを倒した勢いのままチヤホヤされたいので、国家権力者の地位が良いだの冒険の旅路に疲れたので故郷へ帰りたいだので、
チャンピオンベルトを奪取してやる!!
なハングリーな奴なんかそうも出現しない。
界王もドラゴンも、朝起きて、飯食って仕事して、疲れて家に帰って、寝て、疲れただの早く家に帰りたいだのブツクサ文句を言って、また起きてと毎日同じことの繰り返しをしている地上の人間達よりも遥かに退屈な毎日なんです。




まず本編クリア後に最初に疑問に思ったのは、考察動画やその他で語られている本当の世界の事ではなく、あの最後のドデカイドラゴンはなんなの?のこの点です。
現行の界王はロセイエスで、海底神殿に封印されてるんだけど、
観る者が界王を倒さんと手下を送り込んでくると言っていましたが、
それは、界王を倒しに来る者といえば、覚者達の事でしょうね。
前作ドグマ1では、界王に挑んでくるのは竜を倒した覚者。
しかし、来ては誘惑に負け、また来ては界王に敗れとそれを結構繰り返している。
界王に負けると、ドラゴンになるので、ドグマ2のあの通常サイズの竜は、
海底神殿の界王に負けた覚者ということになる。
竜、あいつはあいつで、界王も封印されて、実質居ないのに覚者覚者と、
もうこのルーティン飽きたわ・・・ワシもはよ円環を絶ち切りたいと。

観察者、観る者とは一体何なのか?誰なのか?
観る者=あのドデカイドラゴン(結局は虚無・ヒュージブル)なのかなと思ったけど、
あれヒュージブルの最後の足掻きの最終兵器な巨大ドラゴンだったし。
加護無き世界まで進んじゃってるから、いつものドラゴンじゃだめだ!って思ったのか。
あの巨大ドラゴンが出た後は、空は赤くないのと、ポーンが助けてくれる時は、空は完全に青い事から、残ってるのはあの聖火台の盃みたいな所でウネッてるヒュージブルだけで、そこに導き手がいるんで、あの盃の中のヒュージブルが大本なんでしょうね。
あの盃ぽいのは、ドグマ1かバタルのどこかに有ったような無かったような・・・




そしてドグマ2では、獣人の界王が出現!
ドラゴンに選ばれて覚者になり、ドラゴンを打倒し、さらにグランソレンを廃し獣人の国のヴェルムントを建国。
多分獣人初の界王になるも観察者(虚無・ヒュージブル)の存在を知り、
片っ端から人々を葬りさり国民の中から魔女狩りならぬ観察者狩りをして狂王呼ばわりされ、
後に覚者の手に依って封印される。
なので、以前のグランソレンに封印されている。
なぜ、封印なのか?は覚者が界王になりたくなかったんでしょう。
狂王ロセイエスを倒してしまうと、その覚者が次の界王にならなくてはいけない。

旨い酒をもうあと一口飲みたい、でも界王になってしまえば、そんな日常の当たり前の事もできなくなってしまう。浜辺でのんびりと酒を飲んで過ごしたいんじゃ。

海辺の老人が覚者なんだという前提ですが。
加護無き世界でもグランソレンからの石畳が海辺の老人の家の手前まで続いているし、
蒼月塔もあったりと、あの散策して牛車で移動していた大地の下というか、
あそこから見える海には、ドグマ1の大地が沈んでいるんでしょうね。
と言うか、ヒュージブルによって隠されてる感じですよね。
ドグマ2の竜識者の場所が、カサディスな位置にあるのも意味深です。
胸に7つの傷ではなくちゃんと心臓取られた傷がある。

実際、界王になれば非常に退屈な世界が待っている。
あの海辺の老人は、本当の世界も加護無き世界も知っていて、
加護無き世界へは何度も何度も訪れているらしいし。

それは、過去の覚者がドグマ2のプレイヤーの覚者同様に自害しているからでしょうね。
ドグマ2の覚者はドラゴンを倒し、界王挑戦権を獲得。
ドラゴン戦に向かう途中で、リディルで自害。
通常の流れからすると、竜討伐→界王戦→勝利→界王になって元界王のリディルで自害。
だけど、今はロセイエスは居ない・・・となれば、界王の上の存在を目指す!となって。
加護無き世界で、ヒュージブルぽいドラゴンやワームに倒されて、
虚無に蝕まれ世界は終焉。
またも世界は、いつもの世界へ。めでたしめでたし。




しかし今回のプレイヤーの覚者がなんと全部の赤い柱の虚無ドラゴン達を倒し、
その後、最後の最後、虚無の集大成、最終兵器とも言える巨大なドラゴンが登場し、
そのデカいドラゴン討伐に界王のリディルでデカいドラゴンの心臓と共に自害。
観察者からすると、界王も居ない、覚者が竜の心臓もろとも自害する事により、最終兵器のヒュージブルの塊の巨大なドラゴンも居ないわ、覚者も一緒に自害してるから覚者も居ない。

そして、遂に訪れる虚無のない世界。
海辺の老人の言っている本当の世界とは、あの海辺の老人が出帆していくシーン。
ヒュージブルの居ない世界、虚無のない世界。
界王も覚者もドラゴンも居ないただの中世な世界。
冒険もドラゴン討伐もない本当にただただ普通の世界。
それが本当の世界なのです。

あの老人は、本当の世界も知ってるし加護無き世界も知ってるし、狂人めいた事を話してますが、
これは、完全に円環が絶たれるまで、何度何度もも繰り返ししているからです。
ドグマ1でもそうでしたが、界王が自害した後から続いているのではなく、
あくまでも円環が続いているプレイヤーの元覚者、界王がどこかの覚者に殺られている、
またそのプレイヤーの界王を打倒したどこかの覚者が界王になって・・・と永遠に繰り返している。

※ゲームという特性上、プレイヤーに真のエンディングを見せないといけないので、円環が絶えてドグマ1もドグマ2も真エンディングを見せて、円環が途絶えたけれども・・・
実際の周回してるのは、円環が絶える前の状態からゲームが続く。

あの老人は?
この海辺の老人が生まれた時代は、ドグマ1の覚者が界王を破り、新界王になったが、暇すぎて自害しての円環を絶ったあのラストシーンの世界後だと思います。
つまりは、虚無のない世界。
あの時代に生まれた人間だから、本当の世界を知っていると。
本当の世界(つまりはヒュージブルにコントロールされていない世界)なので、
色々と恐ろしい事も起こるもんじゃと言ってる訳です。
それこそ、ドラゴンの居ない世界では、人間同士で殺し合いを沢山しているでしょう。
宗教戦争、領土紛争やそれこそ近隣住民同士の喧嘩や家族同士の喧嘩などなど。
ヴェルムントとバタルの間で、獣人を絶滅させてやる!!忌まわしい人間とポーン共を根絶やしにしてやる!!などで、竜の災厄よりも恐ろしい事になっているに違い有りません。
まだ竜の災厄で結束している方が平和な世界でしょう。
もしかしたら、何も起きずに、ただただ毎日畑を耕し、城や家や塀を建築し、牛車で物資を各地方の街まで運ぶ、酒場で酒を飲んで家に帰る、そしてまた次の朝と。
そんな現実の様な退屈な毎日の繰り返し繰り返しかもしれません。



で、ドグマ2はドラゴンを倒して玉座に座って・・・のあそこ。
竜を倒す→玉座に座る→心臓取られての件から、始まりますけど、
界王は既に居ないので、玉座に座って王様気分に浸ろうとしても、界王も竜も居ないんじゃ、
竜の理の円環が途切れてしまう。
そうならない為にも成すべき事を成す必要がある。
だから、導き手の手によって、何度も何度も竜との決戦を繰り返させられる。
王の玉座じゃなく、界王の玉座に座ってくれと。
そして、加護無き世界を見せて、あの青い空の下あの緑豊かな世界の方が良いでしょ??と。
あっちで、冒険してなさいよと。

しかし、覚者は加護無き世界でヒュージブルを尽く倒し、ついには円環を絶つ。

また幾年も気の遠くなる時間が過ぎ・・・

その本当の世界の平穏な日々が幾年が過ぎ、また虚無が生まれる。
退屈な日々が続けば、また竜の理が。
虚無の源は、お城の人や村人が毎日毎日退屈な人生だなぁと思ってる事なのかなぁと。
そんな人々が虚無を生み出し、勇者が竜を成敗したり、メデューサやグリフィンを退治するワクワクする話が延々と続く竜の理が生まれたのかもしれません。


何よりあの世界でもどの世界でも、
一般人や一日中店に籠もってる武器屋や道具屋の主人よりも城の警備をしている衛兵よりも、
洞窟を探検したり、夜の街道でスケルトンやオーガに出くわして逃げたり戦ったりの冒険のある毎日の方が楽しいですからね。
まぁメタい事を言うと、現実の朝起きて出社して帰宅して寝ての毎日毎日同じことを繰り返しの日常の生活に飽きたら、
PS5やPCの電源を入れて、ドグマのファンタジーな世界でゴブリン殴って、ドレイクの心臓をえぐって、美人のポーンを引き連れてと、まぁそんな冒険もしたくなるよねって言うお話です。


このドラゴンズドグマシリーズの生みの親、制作者伊津野さんが神だとか竜の理だとかってのは、
考察動画やコメントでも観ますけど、それは違うと思っています。
たとえどんなに面白いゲーム制作者であっても、朝起きて出社して、企画会議やってゲームの詳細を打ち合わせして、帰宅して飯食って寝る。
また起きたら出社してと同じことの繰り返しなのです。
朝起きたら、世界を救うヒーローや超絶人気のアイドルや大統領になってる訳でもなく、
ただただ毎日同じことの繰り返しなのです。
そして、気づいたときにはもう30後半、40後半、50後半と・・・
そんな虚無な毎日こそが一番怖い。
だから、だからこそ、ドラゴンズドグマの世界で散策したり冒険をずっとしていたいと思うんでしょうね。
移動がどうのとか不便とか文句ばっかり言ってる人は、じゃぁ本当の世界、便利な現実世界に戻って、毎日便利なPCに向かって資料や報告書を作成して、コンビニで弁当を買って、ファストトラベルの地下鉄やタクシー使って生活してください!と。
そこから抜けたくて中世ファンタジーな世界のドグマ2があるんじゃないかなぁと。
だから、伊津野さんが、ファンタジーシミュレーションだの異世界転生だの参考にしたのは(平和な世界から、路上犯罪・銀行強盗・殺人だらけのロスサントスでの生活シミュレーションとして)GTA5だと言ってるんだと思います。
でも、結局どっちの世界の住人でも文句ばっかり言ったり、つまらないだとか、毎日退屈で面白くないって虚無に支配されちゃうんでしょうね。

追記
・獣人に関して

何故バタルが獣人の国でヴェルムントが人間の国なのか?
先代界王は獣人で、そのポーンが人間の姿だったからなのかもしれません。
もしかすると、今のヴェルンワースの街の人達は、元々はどこかの覚者のポーンだったのかも・・・
獣人のロセイエスが覚者から界王に上り詰めた時、
界王はドグマ1の時代から連綿と続く人間の界王でしょう。
それを観て、ポーンと人は有害だと思ったのではないでしょうか?
特に界王になって、ポーンの事を知ったら、あの扱いになってしまうのは理解できます。
そして、バタルでは何故炎を崇めているのか?
なんとなく、最後のあのヒュージブルの最後と被って見えたんですが、気のせいかなぁ。
ヒュージブルの触手のウネウネ感と炎のゆらめき感。
ヒュージブルの水と対峙している炎だから信仰してる。


左は獣人ぽくない人間風のポーンと獣人の覚者


じゃぁ、獣人はどこから来たんだ?と思いますが、
既にドグマ1では獣人をという話があるので、穢山を超えた遥か向こうにあるのかも知れませんし、
一旦円環が途切れて、その後生まれた虚無が、新たに獣人を創りだしたのかも知れません。
ヒューマンタイプだけじゃ、やっぱ退屈やわ、時代はケモナーだわと、もっと物語に変化を求めたいわってね。
ヒュージブルも味変を求めたのか・・・
あいつまたエロい獣人ポーンを引き連れてるよとか、まーたあの覚者さん男の野良ポーンを海や川に投げ込んでるよwとか、崖のギリギリ歩いてっから、後ろからハーピー来たらオモロイやろうなぁと、
色々観察してるんでしょうね。

※現在ダークアリズンの黒呪島など、遺跡系のレリーフ等の絵柄などで獣人が居ないか調査中。
メタい話で、ドグマ1にも獣人を登場させたいけど技術的に諦めたと、伊津野さんが言っていたので、どこかに壁画等であるかもと思ってます。
そう言えば、ダークアリズンの装備で頭にヒュージブルを模したの(説明文にはハイドラ)とかあったなぁと思って、なにかヒントがあるのかも知れません。最強装備名も虚無ですしね。


・船に関して
船というとダークアリズンで黒呪島に行く時に船で沖にでてたやん!設定ガバガバ考察ガバいやん!って思った人もいるかも知れませんが、あの船着き場にいる女性。
黒呪島まで小舟で導いてくれる女性はポーンです。
ネタバレでいうと、ドラゴンと対峙して、どっちの選択肢も選ばずに世界を呪ってやる!!
で、竜憑きというか闇落ちになってしまった覚者、ラスボスのダイモーンのポーンです。
だから、ヒュージブルと同類なので、あそこへ案内出来たんでしょうね。

結局、ヒュージブルが怖いとかドラゴンが怖いってのよりも、
毎日毎日同じことの繰り返しで、退屈過ぎる毎日ってのは本当に怖い。
忙しすぎたら忙しいで、あのファンタジーの世界に行って冒険もしてみたい!って思うし、
ファンタジーの世界の人は、もうドラゴンに勇者御一行の話???もうええっちゅうねんと、
現実の世界・中世ファンタジーの世界からもっと未来の世界へ行ってみたいなぁと。
でも、どっちも慣れると退屈で、時折変化が欲しくなる。

という感じでダラダラと書き綴ってみましたけれども、
クリアした人が、多分、総じて気づいている事ばかりだと思いますけど、
結局、一番怖いのは人々の毎日繰り返される日常が生み出す虚無感って事ですよね。
ドグマ2の冒険中も同じ事の繰り返し繰り返し周回周回ですが、そこでもう来たわーとか、
周回意味ねぇーわと虚無感を感じてしまったら、もうプレイしない訳じゃないですか?
そんなドグマの世界の住人の虚無から産まれたヒュージブルは、毎度毎度同じ繰り返しされる竜討伐の冒険活劇を観て、今回はどんな覚者が選ばれて、どんな奴が来るんだろう?他の異界の覚者はどんなポーンを連れて冒険してるんだろう?と。
虚無にとっては、毎回ほぼ同じ事が繰り返される冒険が楽しみになっているんでしょうね。

読んでもらえれば良いかなというよりは、まとまりのない自分へのまとめ、忘備録みたいな感じになりました。

以上です。


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