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「戦後復興たくましく生きる人とまち」

カマドおばあに会いたくて、平和講座に参加する。

映画「なまどぅさらばんじ。今が青春」を観た後、胡屋周辺を通る時に、カマドおばあと偶然会えないかなぁと思っていたけれど、なかなか会えなかった。

そんななか、平和講座でカマドおばあの話が聞けることを知る。行くしかない!と、すぐに申し込む。

平和講座当日。コザ十字路の道路工事の影響で、バスが動かず、遅刻する。会場に着くと、カマドおばあこと福嶺初江さんのお話しがすでに始まっていた。

スクリーンで観たカマドおばあと比べると、予想していたよりも小柄だった。穏やかな語り口は、映画も現実も、変わらずに素敵だった。

カマドおばあの人生の経験談を聴く。

話の内容も魅力的だけど、目の前にいるカマドおばあという存在をただただ見つめる。私はオーラは見えないけれど、カマドおばあは、ふわあと光を纏っているように見えた。不思議だね。

戦時中の話。戦後の話。

70才でコザ高校の定時制に入学した話。学んだことで文字が読めるようになり、新聞が読めるようになったことが嬉しかったと話す。漢字検定三級も取得し、漢字検定二級の勉強中に卒業を迎えたと笑う。その後も、桜坂市民大学の講座を受ける為に、バスで沖縄市から那覇市まで通っていたそう。

インタビュアーが「大変じゃなかったですか?」と問うと。

「目標がありますから!」

と、カマドおばあ。

そのひと言が、私にはとても印象的だった。目標があるから、行動する。ただそれを続けてきたカマドおばあ。そして、今がある。

私の目標は、なんだろう。


カマドおばあの朗らかさ。
それが、とても魅力的だ。

困難な出来事を体験し、苦難を乗り越えてきたからこそ、いまのカマドおばあになったのだろうか。

同じ出来事を体験したとして、トラウマに苦しむ人もいる。実際は、カマドおばあも苦痛に耐え続けているかもしれない。だけど、そのトラウマに飲み込まれずに、目の前の人たちを支えてきたことが、素晴らしい。

苦しみはある。

それでも生きている。

それが、

生きている事への降伏と幸福。

に繋がっているのだろうか。

実母の認知症介護の体験について話す際に、「夫が穏やかな人でなかったら、殺人事件が起きていたはずだ」と、繰り返し話したカマドおばあ。その時ばかりは、やや険しい表情を見せた。

「それくらい、認知症の介護は大変でした。」

その経験から、大変さを身をもって知っているからこそ、認知症サポーターを担っているのだ。

認知症介護の大変さ。辛さや愚痴よりも、夫への感謝を述べている。当時、実母が徘徊しないように昼夜問わずに見守っているから、眠れない。日中働いている夫が帰宅後は、夫に睡眠を取ってもらう為に、認知症の実母を見守る。そのうちに思わずにーぶい(うたた寝)してしまい、実母がその場を離れて、階段から落下して骨折させてしまったことを、自分の失敗だと悔やむ。

カマドおばあは、誰かのせいにしない。

自分にできることを、今できることを、する。
それを、続けてきた人なんだ。

私もそう生きたい。

だから、惹かれるのかもしれない。

人がその人として成り立つ過程に興味がある。
人格形成には、遺伝と環境が影響するけれど。

生まれ持った性格や気質に、さまざまな体験を積み重ねることで、その人は作られてゆく。だけど、同じ場所で同じ体験をしたとしても、その体験から受け取る事は、同じではない。その人が体験したことは、その人の思考が、受け取り方が、意味を決める。

結局は、その人そのものが、決め手なのかな。


「第一部かまどおばぁの軌跡」の最後に、カマドおばあが、こう言った。

トーティースディカプー。


なんて言ったのか、まったく聞き取れなかった。それは茨城出身の私だけでなく、沖縄本島の皆さんも一緒だった。

カマドおばあにインタビュアーが、「なんと言ったのか、もう一度教えて下さい」と質問した。

うちなーぐちで、イッペー ニフェーデービル。
多良間語で、トーティー スディカプー。

たくさん ありがとうございます。

それは感謝の言葉だと、教えてくれた。

そして、「プーは、オナラじゃないよ。」と。

それもまた、可愛らしかった。

平和講座後、映画を観た事と、お会いできて嬉しいことを伝える事ができた。図々しくも、サインをいただく。

「あ、トーティースディカプー、書こうね。」

最後に握手をしてもらう。

握手をした手は、祖母を思い出す。
茨城に戻ったら、祖母に会いに行こう。

カマドおばあ、トーティー スディカプー!


「第二部 沖縄市の戦後復興」のお話も、沖縄市の成り立ちを学ぶことができて、とても良かった。戦後、嘉手納基地が台風被害を受けた事で、嘉手納基地の移転か再建が検討された末、再建が決まり、基地建設ブームが起き、仕事がある場所に人が集まり、県外や市外の人たちがたくさん移住してきたという歴史。そして、歓楽街も生まれた。

今年2024年、沖縄市は誕生50周年を迎えるそうです。

詳しい歴史を知りたい方は、沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートへ!

おわり

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