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朝ドラと私 ①もしかして胎教も朝ドラ?

今年、自分の生きてきたこれまでと、朝ドラについて深く考えることになる出来事が起きた。その出来事については、一週間後に詳しく綴りますが、その出来事への準備として、色々調べたこと、調べていて思い出したり、新たに分かったことなど、1週間かけて綴っていこうと思います

母に聞いた我が家と朝ドラの歴史

私の実家は、母の影響で必ず朝ドラを見る家でした。朝8時15分になるとテレビでは朝ドラが映っている。そういう家だったと思います。実は、この度、自分及び我が家の朝ドラ史を探るにあたり、今年80歳になる朝ドラ好きの母に「いつから朝ドラ見てる?」と何気に聞いたら、「第1作目の娘と私から。」と、サラッと言うので、驚いた次第です。ひょっとして、お腹の中にいた頃から朝ドラを見ていたのかも。

でも、多分ごく小さい頃、例えば幼児、小学生時代は学校が土曜日もあったし、見ていたとしたら夏休み…?でもあんまり朝ドラを見た記憶がないので、多分母だけがひっそりと一人で楽しんでいたのかも。ただ、小学生時代に唯一記憶に残っているのは「雲のじゅうたん」という作品でした。

このドラマは、女性初のパイロットの話で、小型飛行機を颯爽と乗りこなす浅茅陽子さんが本当にかっこよくて、憧れたのを覚えています。当時は小学4年生。ビデオもなく、あとで録画を見返すなんてできないから、多分夏休みか何かに見たのでしょう。でもストーリーとか、あまり覚えていないので、単なる職業とヒロインへの憧れだったのかもしれません。

マー姉ちゃんから始まった 私の朝ドラフリークの歴史


「マー姉ちゃん」多分、朝ドラをちゃんと見るようになった最初の作品。私の実家ではずっと朝日新聞を購読していたので、おそらく「サザエさんうちあけ話」を新聞で見ていて、すごく面白かったのでそのドラマ?見る見る!って感じで、見れる時は必ず見ていたと思います。それに、その当時すでに漫画家を目指して自分なりに落書き程度の漫画を描いていたからマチコさんの漫画を描くシーンが楽しみなのもあったかもしれません。

実はその頃衝撃を受けた回がありました。磯野一家が福岡から東京へ上京する際、何度も何度も汽車を下車するのです。東京で待っている親戚(?)がいるのにお構いなしに、(その当時はそう思いました)「だってこんな機会はめったにないんだから」と、途中各地の観光をしながら東京へ向かっていたのがずっと印象に残っていました。昨年、42年ぶりに録画しながら再放送を楽しんだのですが、しっかりそのシーンもあって感激。(笑)そして、記憶を超越したお母さんの猛母ぶりに驚がく。それでも明るく楽しく生きていくマー姉ちゃん一家がやっぱり大好きだなあと思ったのでした。
熊谷真美さんも、田中裕子さんもマー姉ちゃん当時から大好きな女優さんで、特に田中裕子さんはマー姉ちゃん以降憧れの女優さんになりました。

脚本家の存在を初めて意識した中学時代

マー姉ちゃん以降、土曜やお休みの日に必ず朝ドラを見るようになった私は、どんどん朝ドラの面白さにハマっていきます。鮎のうた、なっちゃんの写真館、虹を織る、まんさくの花…星野知子さん、山崎千里さん、紺野美沙子さんなど、ヒロインを務める女優さんが朝ドラと共にどんどんテレビに出る人気女優さんになっていくのも興味深く、全部は見ないにしてもそれなりに朝ドラを楽しんでいました。ただ、あんまり印象的なシーンっていうのは覚えてなかったかな。そして、中三後期、また印象的な朝ドラの1シーンに出会うことになります。
それは、マー姉ちゃんと同じ小山内美恵子先生が脚本を書かれた「本日も晴天なり」の1シーン。

戦後に生まれ、何不自由なく育った息子に、食糧難だった戦時中のことを知って欲しいと、ヒロインが昼飯に作った「すいとん」に食べ盛りの息子は猛抗議。「お母さんは手抜きがしたいだけだろ?」と言うのです。何気ない小さなシーンだったと思うのですが、当時私は「なんてひどい子どもだろう」と思いました。多分子どもは自分と同世代位の設定だったと思うんですが、戦争をリアルタイムで体験した世代が家族に普通に居たこの頃、今思えばこういうことを言う子供も少なくなかったのでは?と今になると思います。
再放送がもしあったとしても見逃しているので、このシーンがあったかどうか、実はうろ覚えだったりもするんですが、もし叶うなら、これも見返してみたい。母親になった今なら、母目線でどんな感想を持つのかな?と、思ったりもします。

小山内美恵子先生と言えば金八先生シリーズの作者としても有名で、当時の世相を色濃く反映していた金八シリーズも大好きだった私はこの時、「印象に残るシーン(ドラマ)は同じ人が書いているのだ」と
初めて気づきました。そして、この時から「脚本家とドラマ」の関係について少なからず考えるようになりました。

残せないからこそ、鮮明に記憶していることがある

実家でVHSビデオのデッキを購入したのは1983年。今から約40年前のことです。その時はおしんが1年間放送されていて、物凄い視聴率。初めてと言っていいくらい朝ドラが全世代の注目の的になった年かと思います。だから、もしかしたら初めて録った朝ドラはおしんかな…?

でも、ビデオに残してないからこそ、記憶に残っているシーンやセリフなどはよっぽど印象的なものだったのでしょう。その後、私は脚本家追いでドラマを見ることも増え、「やっぱりいいな」と思う反面、「こんなもんなの?」とがっかりさせられることもあります。最近は演出によっても違うことがわかってきたけれど、いい悪いを見極める、この頃培っていた野生の勘みたいなものは、今失われてしまったなあと思います。

だから無性に昔見たっきりのものや見ていなかったものを今見返したいと思ったりしています。

(②ビデオがきてから)に続きます

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