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熱意

今日のおすすめの一冊は、田中真澄氏の『心が迷ったとき読む本』(PHP研究所)です。その中から「凡人が秀才に勝つ方法」という題でブログを書きました。

本書の中に「熱意」という心に響く一節がありました。

「成功というものには、いろいろな要素があるが、そのなかでとくに大事なもの、それは熱意だと思う」とデール・カーネギーはいっている。ご存じのように、デール・カーネギーは世界のベストセラー『人を動かす』の著者であり、いまも続いているデール・カーネギー講座の創設者である。
1955年、67歳で亡くなるまで、カーネギーは、全米一の社会教育家として、その名は広く知られていた。彼が亡くなったとき、「ニューヨークタイムズ」は、1ページを割いて追悼の記事を掲げている。それだけ、彼の残した足跡は大きかったといえる。カーネギーの文献や講座の本質は“熱意”だといわれている。
その彼が存命中、よく講演をともにした人がフランク・ベドガーである。ベドガーは、生命保険業界の人たちの愛読書『私はどうして販売外交に成功したか』の著者である。このベドガーは、1888年にフィラデルフィアに生まれた。貧乏な家庭に育ち、ほとんど小学校さえも満足に卒業しないで、苦労した人である。うだつのあがらない保険セールスマンだった彼が、デール・カーネギーの演説講習会にたまたま出席したのが転機になった。
カーネギーによって熱意の精神を植え込まれた彼は、それ以来、人が変わったように熱意の人になった。そして、ついに全米一の保険セールスマンになっていったのである。彼はいっている。「世の中で熱意以上に大切な要素はないと思う。そしてこれが重要視されるのは、おそらくこういう素質をもつ者が少ないからであろう。どうすれば熱意がもてるのか。それは唯一つ、『熱意の人になるには、熱意をこめた活動をせよ』というのがそれである」
アメリカには、ポップ・フィロソフィーという哲学のジャンルが確立されている。大衆に役立つ哲学という意味であり、生活実践哲学といっていい。カーネギー講座などは、その代表的なものである。日本でも、学校教育の現場で、もっとポップ・フィロソフィーがとりあげられてもいいのではないだろうか。
私は、高校生とその父兄を前に、幸福になるための実践哲学を講演することがある。どうしたら熱意をもてるのか、どうしたら明るい行動がとれるのか、どんな人生観をもったらいいのか、といった内容を幸福と結びつけて話す。
学校側は終了後、全員に感想文を書かせる。私もそのいくつかを見せてもらったことがある。みんなは、私の動作・表情・姿勢から、何かを学びとってくれるようである。ある女生徒は、こう書いていた。「講師が、汗びっしょりで一所懸命に話しているのに驚いた。あんなに年をとった人でもがんばっているのだから、私も、もっと真剣に勉強しなければいけないと思った」仕事も教育も、原点は熱意をもってやることだと、この生徒の一文で確信を得た。

昨今は、無我夢中で熱くなってやる人を、カッコ悪いと思うような風潮があります。クールで表情には出さず、がむしゃらさを見せないような人がカッコいいと思ってしまいます。松下幸之助翁は、「熱意」について多くの言葉を残しています。

「なまじ知識があると、しゃにむに突進する気迫が、のうなります。しかし“断じてやる”と決めて、やってみれば、案外できるものです。鉄をも溶かす熱意があれば、何とか知恵がわくもんです」

頭で考える理屈の人からは、熱意は伝わってきません。吉田松陰はそれを「狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし」と言いました。狂愚とは、常軌を逸して愚かなことの意味ですが、熱情に突き動かされて行動したり、情で動いたリ、感極まって動くような人のことです。才良とは、行動もしないで、ただ理屈や理論を振りかざす、頭でっかちの人のことです。

狂愚の人からは熱意がほとばしり出ています。熱意の人でありたいものです。

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