見出し画像

深さと茶道

今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『「深みのある人」がやっていること』(朝日新書)です。その中から「深みのある人」という題でブログを書きました。

本書の中に「深さと茶道」という心に響く文章がありました。

例えば、どこかの茶室に案内される機会があったとします。

「入り口が小さい。室内が狭い。笑える」という感想しか持てない人と、「異世界に来た感じ、心が落ち着く」と感嘆したり、「この構造の一つ一つに意味がある」と先人の思いを追体験できたりする人とでは、どちらが人生を楽しんでいるように見えるでしょうか。

茶道に詳しくなくても、日常にほとんど支障はありません。恥をかくこともまずないし、下品な言い方をすれば経済的な損得もほぼない。知らないまま生涯を過ごしたとしても、何ら悔いることはないでしょう。

しかし少しでも知っていれば、茶室や茶道具や作法に触れたときの感じ方が違ってきます。さらに知れば知るほど、感動も大きくなる。その感動をどこまで味わえるかが、私は人間の「深み」だと思います。

《「深みのあるもの」をいかに味わうか》

◆なにも、茶道をやっている人だけが、深い人だ、と感嘆されるわけではない。たとえば、忙しい経営者やリーダーが、プロ顔負けの絵が描けるとか、ピアノが弾けるとか、サクソフォーンの名手だったなどということを知ると、その人に深さを感じる。

音楽や芸術だけでなく、太極拳ができるとか、サーフィンをやっているとか、ダンスの名手、というようなことを聞いても同じように、その懐の広さに驚く。

自分独自の楽しみの世界があることを「壺中天(こちゅうてん)」という。壺の中に広い天(空)があったという、中国の「百朝集」の中にある言葉だ。

自分の癒される世界、楽しみの世界を持っている人は、人としての幅が広い。その世界が、意外であればあるほど、そこに深さを感じる

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?