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今日庵のこと

今日のおすすめの一冊は、枡野俊明(しゅんみょう)氏の『放っておく力』(三笠書房)です。その中から「人間は嫉妬する生き物」という題でブログを書きました。

本書の中に「今日庵のこと」という心に響く文章がありました。

茶道裏千家の茶室「今日庵(こんにちあん)」の名称の由来を伝える、こんな逸話があります。

いまから三六〇年ほど前のこと。千利休の孫である三代宗旦(そうたん)は、現在の表千家の茶室「不審庵(ふしんあん)」を三男の江岑宗左(こうしんそうさ)に譲り、裏手に隠居所を建てました。その庵の席開きの日、宗旦は参禅の師匠、清厳(せいがん)和尚を招きました。 和尚に新しい茶室を見ていただき、名前をつけてもらいたかったのです。

ところが、約束の刻限を過ぎても、和尚は現れません。やむなく宗旦は、ほかの用事で出かけました。留守中にやってきた和尚は、「明日お越しください」との伝言を聞いて、茶室の腰張りにこう書き付けて、帰ってしまいました。

「懈怠(けたい)の比丘(びく)明日を帰せず」・・・「怠け者の私は明日といわれても、来られるかどうかわかりません」と。そこから茶室を「今日庵」と名づけたといわれています。 

「明日のわが身がどうなるかはわからない。命を失うかもしれない。今日やるべきことは今日やってしまいなさい」。清厳和尚はそう伝えたかったのでしょう。

◆親鸞聖人は「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を残した。明日もまだ咲いているだろうと思っていた桜も、夜中に嵐がきて、いっせいに散ってしまうかもしれない。

「明日やろう」「いつかやればいいさ」と思っているうちに、人生はあっというまに終わってしまう。実際は、明日という日はない。いつまでたっても、今、今、今しかないからだ。

それが禅でいう「今、ここ、私」

今日ただ今を大切にしたい。

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