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これ見よがしのパーフォーマンス

今日のおすすめの一冊は、守屋洋氏の『中国古典「一日一話」世界が学んだ人生の“参考書”』(知的生き方文庫)です。その中から「優れた者は相手の下手に出る」という題でブログを書きました。

本書の中に「これ見よがしのパーフォーマンス」という心に響く文章がありました。

《善く行く者は轍迹(てつせき)なし》<善行無轍迹>(老子)

上手に歩く人は足跡を残さない。立派な仕事を成し遂げた人ほど、これはおれがやった仕事だ、という記録を残さない。社会に貢献するにしても目立たぬ貢献をしている。価値ある功績とはそういうものだ、と老子は説く。

『老子』がつねに弱者の立場に立っていることを考えれば、この言葉の解釈はさらに広がりをもってくる。世の中には、縁の下の力持ちのような、地味な仕事がたくさんある。『老子』は、そういう仕事こそ価値がある、といいたいのである。

企業にしても、利益を上げ、脚光を浴びる部署にいる社員は、おれたちで会社はもっているんだ、と思いがちになる。が、どんな豪華絢爛たる舞台も、裏方さんがいなければ日の目を見ない。それと同じで、どんな企業も水面下の目立たない地味な仕事によって支えられている。これは、理屈ではわかっていてもなかなか納得しにくいことかもしれない。

『老子』は、これ見よがしのパーフォーマンスの類いをとことん排斥する。組織を支えているのは、本当は地味な仕事をしている人たちなのだ、と認識すれば、おのずと謙虚にならざるをえないのである。

「俺が俺がの我(が)を捨てて、おかげおかげの下(げ)で生きる」という言葉がある。自分の我(が)を捨てて、自分のわがままをおさえる。そして、おかげさまの心で感謝の気持ちで生きる。

また、「潜行密用(せんぎょうみつよう)は愚(ぐ)の如く魯(ろ)の如し」という禅語がある。人に知られず、密(ひそ)かに行う、善行や修行は、まるで愚(おろ)か者で、頭の動きの鈍い者のようにも見えるが、それでいいのだ、ということ。

自分で才能があると思っている人間はえてして、自分を大きくみせようと飾り、自分の才をひけらかすような、これ見よがしのパフォーマンスをする。

「おかげさま」の心を持ち、「愚の如く魯の如し」という謙虚な生き方を目指したい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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