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自分の強み

今日のおすすめの一冊は、トッド・ローズ&オギ・オーガス氏の『Dark Horse 好きなことだけで生きる人が成功する時代』(三笠書房)です。その中から「ダークホース」という題でブログを書きました。

本書の中に「自分の強み」という興味深い一節がありました。

あなた独自の戦略を探し出すとは、今までの仕組みをまるごと変えるような、独創的な戦術を考え出すことではない。また、自分に完璧に合う戦略を超人的な能力で見抜く必要もない。 必要なのは、「自分の強み」についての新しい考え方である。
「人の強み」と「やりたいこと」は、基本的にまったく別のものである。 あなたの小さなモチベーションは、あなたのアイデンティティの中心的な部分を成すものであり、そのため、行動の原動力になるし、また、容易に変わることがない。われわれの脳は、自分の「やりたいこと」を直接的に知る、あるいは体感するようにできている。
実際、「○○をしたい」という欲求は、われわれの意識に(完全に自然発生的に)強引に入り込んでくる場合が多い。たとえ、自分の内にある憧れや願望の一つひとつに名前をつけられなくても、内省によって小さなモチベーションの微妙な意味合いを知ることは常に可能だ。
つまり、われわれが何かを欲するとき、われわれはそれを感じるのだ。 われわれは、自分がスカイダイビングに行きたいか、あるいは、アナゴ寿司を食べたいか、映画『マーベル』シリーズの最新作を観たいか、自信をもってはっきりと言える。
このように鮮明な信号を発する「やりたいこと」とは違って、個人のもつ強みは捉えどこかがなく、状況によって左右され、そして動的である。 別の言い方をすると、強みはファジーだということだ。
われわれの脳は、「自分の強み」を直感的に知るようにできていない。これには当然の理由 がある。われわれが個人的な強みと見なすものは、ほとんどすべて、外的な要因によって形成されるものであり、内的な要因によって自然に生まれるものではないからだ。
リメリック詩(訳注 : 五行から成る戯れの詩)をつくることも、ウェブアプリをプログラミングすることも、バレエのパドシャをすることも、文化的に定義づけられる能力であって、個人にもともと存在する能力ではない。すなわち、強みとは学びを通じて構築されるもの、たゆ まぬ努力によって得られる能力である。
強みは、また、状況によって変わるものである。どのような個人的資質も、状況次第で適性にもハンディキャップにもなり得る。仮に、あなたは印刷された文章を読むのが苦手だとしよ う。もしあなたが文芸評論家になりたいなら、これは明らかに弱点である。その仕事は、読解力に大きく依存しているのだから当然のことだ。
しかし、もし天文学者になりたいなら、この 弱点は、思いがけない強みになり得る。文字を読むのに苦労する人の脳は、多くの場合、天文学上の画像にあるブラックホールや他の天体の異常を発見するのが(読むのが苦手ではない人の脳よりも)得意だからだ。
あなたの個人的な資質を今日の状況で強みとして発揮できても、明日になったらそれは強みではなくなるかもしれない。なぜなら、強みは動的なもので、鍛錬によって向上し、放置されれば劣化するからだ。自分に合った戦略を選ぶうえで最も重要なポイントは、現在あなたがもっているスキルを向上させ、知識を深めること、つまり、あなたの強みを変化させることにあ る。 強みとモチベーションは基本的に異なるので、戦略を選ぶときには、機会を選ぶときとは基 本的に異なるアプローチをとるべきだ。

たとえば、何かの資格を持っているというのは、「強み」とは言えません。例えば、「調理師」という国家資格は多くの人が持っています。しかし、いくら調理師の資格を持っていても、経営している店が、はやってなかったり、倒産寸前だったとしたら、その資格は何の意味もありません。それは、税理士でも、医者でも、弁護士でもみな同じです。資格が強みとなるのは、実際に、それを使うことによって、「人の役に立っているかどうか」、「人から必要とされているかどうか」です。

また、資格ではありませんが「英語をしゃべれる」というのも同じで、いくらネイティブ並みにしゃべれても、それが人の役に立っていなかったり、人から必要とされていなくては、それは「強み」にはなりません。

つまり、「強み」は人から必要とされているものなのです。よく頼まれること何なのか、ということでもあります。だから自分の「強み」は、時代によっても変化し、まわりにいる人によっても変わってくるものなんですよね。今、日本では必要とされないけど、海外では必要とされる、というような。

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