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日本人だけがもっている「強み」とは

今日のおすすめの一冊は、渡部昇一氏の『決定版 日本人論』(扶桑社新書)です。その中から「位高ければ、徳高きを要す」という題でブログを書きました。

本書の中に『日本人だけがもっている「強み」とは』という心に響く一文がありました。

日本人だけがもっている「強み」とは何か。たとえば、日本人は他国民より何倍も強く、「道を究めよう」という姿勢をもっている。剣道とか柔道とか武道に「道」が付いているように、日本では「商売」にも「技術」にも 「道」がついて、「商売道」「技術道」となる。 

ソニー創業者の井深大は、あるとき、仕事の報酬は、お金か地位か名誉かと聞かれ、そ のどれにも首を振ってこう答えた。「仕事の最大の報酬は仕事だよ」 つまりいい仕事をすれば、次にまた仕事が入ってくる、それでまたいい仕事ができる。

 金や地位は後から付いてくる。これは、井深の「もの作り魂」の極みともいうべき言葉であり、それこそ、「仕事道」 といえるものだろう。道を究めていい仕事をするのが、本物の仕事人のやるべきことなのである。 

省エネ対策にしても、日本製品は怠りなくその道を究めた素晴らしい製品を作っている。小さくて、故障がなくてスマートという三拍子揃った製品は、日本以外のどこができるのか。

そこには、人の足もとを掬うことなく、人も我もいいという日本の姿勢が生きているのである。それを戦前の日本で株式で成功した人は「人もよかれ。我もよかれ。我は人よりちょっとよかれ」と表現しているが、この考え方こそ、日本人独特の「強み」なのである。

この力を使わない手はない。お人よし大いに結構ではないか。確かに、戦後教育は、「お金を儲けて何が悪い」と公言する人種を生み出した。確かに悪くはないが、そこで終わってはいけないのだ。

アメリカでも古くはカーネギー、ロックフェラー、新しくはビル・ゲイツも大いに儲けるが大いに貢献することに使うことを実行している。それがなければ、かつてのホリエモンの亜流にすぎなくなるのであろう。

ほとんどの日本人は、それぞれの道を究めようと努力している。日本人は、古来、そうしたDNAを刷り込まれて生まれてきているのである。そして、もう一つ、「伝統の強み」というのがある。どの国にも、それぞれの歴史の中で国体が変化するときがあり、日本もその例外ではない。

しかし、他の多くの国家が、国体が変化するたびに、そこですべてが断ち切られるの に比べて、日本は連続性を失っていない。その中心にあるのが皇室だ。 

私の見るところ、日本には、仏教の伝来や武士が支配するようになった鎌倉幕府など、五回の国体の変化があった。しかし変化はしたが断絶はしなかったのである。仏教の伝来に関しては、前にも述べたように、神道は仏教に取って替わられることなく、仏教をうまく融合させてしまった。 神も仏も同じもので、それが現れる国によって姿を変えるのだと解釈したのである。

つまり天皇は、常に神道の大祭司という立場を維持したことになる。隠居して法皇になるという時代もあった。 やがて、武士が天下を左右するようになったが、彼らは、天下を治めることを望んでも、天皇になろうとはしなかった。 

それは、戦国時代に天下を争った武将たちも同じだった。自らを神と称したといわれている織田信長(一五三四~八二)でさえ、天皇になろうとはしなかったのである。それは、おそらく神話時代に、天孫降臨の詔勅(しょうちょく)といわれるものにすでに示されている豊かな四季に恵まれた日本と神話時代から続いている皇室を持つ国民ならではの知恵であろう。

自然や人や他国と対立せず、排除もせず、それを受け入れて自分の中になじむように収めてしまう知恵が養われた。すべてを受容するというこの知恵は、日本人の体質になっている。すなわち、それが日本人の「強み」なのである。

本日はおりしも大晦日(おおみそか)、「おおつもごり」ともいう。日本には8万神社あるといわれるが、これはコンビニの数(5.6万)より多い。

12月31日は、それぞれの神社で「年越の大祓(おおはらえ)」が行われる。この一年で、しらずしらずに自分がおかしてしまった罪や穢(けが)れを祓う儀式だ。この大祓式は約1800年前から続いているという。

まさに天皇制と同じく、日本ではさまざまな儀式が、神社とともに連綿と続いているのだ。日本の強みは、あらゆるものを咀嚼して受け入れるという「受容の精神」にもある。「継続」も「伝統」も受容の精神がなければ瞬時に終わってしまうからだ。

「本物は続く、続けると本物になる」という言葉があるが、この年の瀬や正月は、日本人が神社という本物に触れる大切なとき。

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