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贅(ぜい)を味方に
今日のおすすめの一冊は、白取晴彦氏の『人生がうまくいく哲学的思考術』(ディスカヴァー)です。その中から「誰もが常に人生の初心者 」という題でブログを書きました。
本書の中に「贅(ぜい)を味方に」という心に響く文章がありました。
やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。 だからといって、経済的に豊かな状況からのみ何かが生産されるということではない。
心が豊かであれば、あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずあるということだ。 豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういったものから必ず生まれるものがある。
しかしまた、十分な能力や感性を持っていようとも、それを使わなければ何かが生 まれてくるということはない。そういう意味で、豊かさから生まれるものは多い。 贅(ぜい)を好む気持ちからでさえ、蕩尽(とうじん)からでさえ生まれるものがある。
ケチ、節約、出し惜しみ、陰鬱、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなものは生まれない。それは、豊かに生きられない、人生を十全に生きられない、いきいきと生きられないということを意味する。
わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないためにも、豊かさを好み、 贅沢を味方にしておかなければならない。 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いのためだけに生きることが人生といえるのだろうか。
それはそもそも人生と呼べるのか。豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生ではないか。
人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空よりも狭い空をあおぎたがるだろう。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅に向いているのだ。
貧弱よりも豊満、臆病よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったも のこそが、人間をもっとも人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。
日本では戦時中、「国民精神総動員」という運動があり、その中で「贅沢は敵だ」というスローガンが叫ばれた。その名残が連綿と今も続き、日本人の心の奥底にその感覚が残っているのかもしれない。
どんな創作も新しいアイデアも、否定の中からは生まれない。感性は肯定の中からしか生まれないからだ。
『人類学者のティヤール・ド・シャルダンは「もう否定の哲学は終わった。これからは肯定の哲学をどう構築するかだ」。シャルダンの唱える肯定の哲学とは3つのVと3つのCで象徴される。3つのVとはバイタリティ、ビジョン、ベンチャー。3つのCとはチャンス、チェンジ、チャレンジのことである』(感奮語録/致知出版社)より
「ケチ、節約、出し惜しみ、陰鬱、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄」はすべて否定の感情から生まれている。その反対の「気前がいい、明朗、活用、はつらつ、元気、強気」という肯定からは未来と明るさ、可能性を感じることができる。
また、金持ちや成功者に嫉妬するということは、金持ちや成功者を否定するということ。それはつまり、潜在意識の中では、お金や成功からはどんどん遠ざかることになる。否定したり、反発すれば、否定や反発したことを引き寄せるからだ。
「贅」という豊かさの感情を否定せず、肯定し、味方にできる人でありたい。
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