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謙虚さとは

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『こころの遊歩道』(イースト・プレス)です。その中から「タテヨコ不変の人格」という題でブログを書きました。

本書の中に「謙虚さとは」という心に響く文章がありました。

「謙虚さ」というものを、私はよく話題にします。 ひとつは、宇宙の流れや宇宙の意思に対して、自分の好き嫌いでものを選ばないこと。 ほとんど自我がないことが「謙虚さ」であると言い続けてきました。 

宇宙から「こういうことをやりなさい」という提示があり、 そのような流れが始まった時、その流れに船を浮かべ、流れに抵抗せずに下って行くこと。 それこそが「謙虚さ」であるということです。 

「謙虚さ」というものには、もうひとつの側面があります。 それは、自分が常に未熟であり、完成された者ではないこと、まだまだ向上する余地があると自覚することです。 そのように思っている結果として、勉強し続ける、たゆまざる努力を続けるという場合に、 これも「謙虚」であると言えます。 

陥りがちなことなのですが、22歳で大学を卒業し就職すると、人間は確かにその仕事 のことについてはどんどん専門的になり、ベテランになっていきます。 しかし、それでは 仕事以外に(報酬をもらうこと以外に)自分自身を高める努力をどこかでしているでしょうか。 それが私の言う、二番目の「謙虚さ」の部分なのです。 

知らないことが山ほどあります。 歴史のことも知らない、天文のことももう少し勉強したい、植物や動物の勉強もしたい...。 それらを勉強したところで、別に一銭にもなるわけではありません。 しかし、その人間の深さを深めることは間違いありません。 大学を卒業して給料がもらえるようになったからといって、他の勉強をやめていいということではありません。 

専門分野のことしかほとんど知らないで、他の勉強をしていないという人が少なくないように 思います。 「謙虚さ」とは「学び続けること」です。 

例えば、哲学もそのひとつでしょう。 給料がもらえて生活ができればいいのではありません。 人間は何のために生きるのか、生命や肉体は何のためにあるのか、宇宙の構造はどうなっているのか...。 そのようなことについて 自分はまだまだ勉強不足で、未熟であると思い、勉強をし続けていくこと。 それが、私の言う二番目の「謙虚さ」なのです。 

基本的に「謙虚な人」というのは、大変奥が深く魅力的な人格を形成していくものです。 ですから、ぜひ「これでいい」というところに止まらず、常に「何かを学ぼう」という姿勢で生きて行ってほしいと思います。 

一つ目の謙虚さは、あれこれ論評せず、「頼まれごと」をニコニコ笑って引き受けること。 

小林正観さんは、「頼まれごと」についてこう述べている。 『頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。 「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。 それを「立命」の瞬間といいます。』(日々の暮らしを楽にする/Gakken) 

そして、もう一つの謙虚さは、いくつになっても「学び続けること」

いくつになっても、自分は、まだまだ未熟である、勉強が足りない、と思えるかどうか。未熟な自分を忘れてしまうと、人はすぐに「偉そう」になったり、「傲慢」になったりする。 相手が少しでも年下だったりすると、名前を呼び捨てにしたり、上から目線での話し方になったりする。

自分の未熟さを常に自覚し、いくつになっても、学び続ける人でありたい。

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