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本の内容は覚えるな、むしろ忘れよう

今日のおすすめの一冊は、落合陽一氏の『忘れる読書』(PHP新書)です。その中から「新しい時代の読書法」という題でブログを書きました。

本書の中に「本の内容は覚えるな、むしろ忘れよう」という興味深い一節がありました。

「本を読んでもなかなか知識が身につかない」という悩みを聞くことがあります。読書した内容を逐一頭に入れ込んでいかなければ、と思い込んでいる人は、意外と多いように感じます。

でも、ウェブで調べれば十分な知識は、記憶しておかなくてもいいと私は思います。必要な時にその都度、調べればいいからです。 

これからの時代、クリエイティブであるための知的技術は、読後に自分の中に残った知識や考えをざっくりと頭に入れ、「フックがかかった状態」にしておくことです。何となくリンクが付いているような状態で頭の片隅に残しておけば、いずれ頭の中を「検索すれば」わかるからです。 

そうするためにも、何かを読んで知識を得た時、適度に忘れていくことが大事なのだと思います。

博物学者の荒俣宏(あらまたひろし)は、こんなことを言っていました。 <一冊の本を繰り返し読んだところで、大半は忘れているだろう〉 〈わからないことは、そのままにする> 〈0点の成績をとりつづけることでたくわえられる『知の力』というものがあるのだ〉(『0点主義—新しい知的生産の技術57』講談社刊より) 

忘れていくことによって、クリエイティブな発想ができるということなのでしょう。 だから私はあえて、読書ノートやメモを取ったりはしません。論文を読む時であれば、重要な箇所にマーカーで印をつけることはあるし、論文並みに専門的な本を読んでいて覚えておきたいフレーズが出てきた時に線を引くことは稀にあります。

ただ、一般的な本を読んで、意識的に線を引くというような習慣は全くありません。 私自身は昔から、本は気楽に読んで一度は忘れるということを繰り返してきました。今ではむしろ、「忘れっぽい」ことが強みだと思うようにしています。

本全体の10%くらいが頭に残るぐらいでちょうどいい、というのが私の感覚です。 だから学生に論文の読み方を指導する際も、「覚えることより忘れる能力が大切」とよく 言っています。

読んだ内容を細かく思い出せるうちは、単に著者の主張を頭の中でリピート しているだけで、それは自分の頭の中に「入った」とは言えないからです。

得た知識が何となく頭の片隅に残っていて、いくつもの概念が溶け出して混ざり合っていくような感覚になることがあります。出典が明らかではなくなるまで頭の中で混ざり合っているからこそ、新たな閃きが降りてくるのだと思います。

読書をして、もし仮に、その本の内容を一字一句暗記していたとしたら、それは単に記憶しているだけで、自分の考えや創造力が入り込む余地はない。それに、そうした記憶能力は、スマホの誕生によって、現代においては無意味なものとなってしまった。

現代の我々の読書に必要なのは「検索能力」だったり「編集能力」だ。内容を覚えておくのは重要なフレーズだけでいい。しかもそれは、検索が可能ないくつかの「キーワード」だけで十分なのだ。

スティーブジョブズの言った「点と点を結ぶ」も編集能力のひとつだ。まったくジャンルの違う本と本を組み合わせ、関連づける力。

そのための読書法が「忘れる読書」だ。

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