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アニメと音楽の最強フュージョン~ドラゴンボールの世界~ 心魅かれるFIELD OF VIEWと橋本潮のロマンティックなエモソングに再会を果たした夏

※2020年7月31日に掲載された音楽文です。いろいろ訂正したい箇所はあるにせよ、あえてそのまま転載します。

数ヶ月前、ファストフード店で少し遅い朝食をとっている時、流れてきた曲。アニメ『ドラゴンボールGT』の主題歌だったFIELD OF VIEWの「DAN DAN 心魅かれてく」。一瞬にして単調な朝食タイムが鮮やかに色づいた感覚がした。

そして7月18日に放送されたTBSテレビ「音楽の日」において、この楽曲が突如披露された。2002年に解散してしまっていたFIELD OF VIEW名義で出演を果たしたのである。

<君と出会ったとき 子供のころ 大切に想っていた景色(ばしょ)を思い出したんだ>

思いがけず、この曲と再会して、子どもの頃の記憶が一気に蘇った。あの頃、大切にしていた景色は<愛と勇気と誇り>がつまったドラゴンボールの世界。

幼い頃はよく男の子と間違えらた。だからというわけではないけれど、私はドラゴンボールが大好きな子どもだった。“ドラゴンボール”という文字がプリントされた男の子用の服をねだって、買ってもらって着用していたし、ふりかけのおまけについていたスーパーボール素材のドラゴンボールを集めて、隠して、ドラゴンボールごっこをする日課もあった。完全に摩訶不思議な冒険の世界に染まっていた。

そんな子ども時代、一番真剣に見ていたアニメはやっぱりドラゴンボール。物心がついて最初に好きになった音楽は『ドラゴンボール』のED曲・橋本潮「ロマンティックあげるよ」だと思い込んでいる。
エモいという言葉は今ほど一般的に使われていなかった時代、今振り返ると、なんてエモいアニメソングなんだろうと思う。基本的にはまさに80年代アイドルソングというアニソンなんだけれど、あれはまるでKing Gnu「傘」の歌詞の世界のように、雨が降りしきるガラス越しにアンニュイな雰囲気で佇むブルマが登場するEDのせいだろうか。歌と画がセットで妙に記憶に残っているし、趣のあるエモい歌だったなと思わざるを得ない。

曲のアレンジと時々混じるコーラスがより一層エモさを醸し出している。

<おいでファンタジー 好きさミステリー 君の若さ 隠さないで
不思議したくて 冒険したくて 誰もみんな ウズウズしてる>

なんてまさにアニソンらしい歌い出しの歌詞で始まるのに、歌が進むにつれて子どもが大人に向かっていくせつなさが加速していく。

<大人のフリして あきらめちゃ 奇跡の謎など 解けないよ
もっとワイルドに もっとたくましく 生きてごらん>

大人になった今だからこそ、思うことは、子どもの頃は活動範囲は狭いのに、毎日不思議も冒険もたくさんできていた。今はどこにだって行ける自由があって、行動範囲も広くなっていて、やろうと思えば何でもできるはずなのに、なぜか子どもの頃と比べたら全然冒険できなくなっていて、つまらない大人になってしまったなと退屈していたせいか、妙に歌詞が心に刺さる。
奇跡なんて無邪気に信じられなくもなって、単調な日々をただなんとなく生きていて、不思議や冒険なんてすっかり忘れてしまっていた。

メロディもサビに進むにつれて、エモさが増していく。

<ロマンティックあげるよ ロマンティックあげるよ ホントの勇気 見せてくれたら
 ロマンティックあげるよ ロマンティックあげるよ トキメク胸に きらきら光った 夢をあげるよ>

勇気や夢の類は長いこと封印してしまっていた。亀仙人の特技である魔封波の如く、“大人という壺”にしまってしまっていた。今年「DAN DAN 心魅かれてく」と再会を果たした瞬間、その封印が解けた気がした。

こういうことは大学生の頃にもあった。あれは大学祭の日。私は賑やかな大学祭には参加せず、いつものように図書館の自習スペースで本を読みもせず、ぼーっとしていた。自然に囲まれた大学で、ガラス張りの大きな窓のある図書館から外の木々を眺めつつ、本を片手にまどろみながら過ごせるその心地良い空間が好きだった。一応レポートか卒論のことを考えていたと思う。でも集中できず、静かな図書館の中で、外の賑やかな声を聞いていた。

そんな時、「ロマンティックあげるよ」が突然、聞こえてきたのである。あの時も一瞬にして、ドラゴンボールが好きだった子ども時代にタイムスリップした。曲が流れている間だけ退屈な自習スペースが夢と冒険のつまった空間に変わった気がした。不思議なことに、抱えていたレポートがはかどった。心がときめいて、勇気が出て、たくましく生きられる気がした。ほんの数分だけの魔法の時間。

<思ったとおりに 叫ばなきゃ 願いは空まで 届かない もっとセクシーに もっと美しく 生きてごらん>

大学時代もあっという間に過ぎ去り、卒業して15年以上経過した今、歳を重ねるごとに願いを叫ぶなんて、放棄するようになっていた。子どもの頃はあんなに偽物のドラゴンボールでさえ、願いを叶えてくれると純粋無垢に信じていたのに。願ったところで、どうせ何も実現しない。それを大人になると知ってしまう。それが生きづらくなる元凶だ。本当はもっと美しく生きてみたいのに。子どもの頃のように。

そもそも自分の願いは何だっただろうかと考えた。自分のことをよく知らない無邪気な子どもの頃はきっと大人になったら、ブルマのようにかわいくて、美しくて、頭も良くて、つまり才色兼備な女性になれて、冒険もできて、楽しいドラゴンボールの世界みたいな暮らしができると無謀な夢を信じて疑わなかった気がする。
小学生の頃は未来のトランクスに恋をした。あんなやさしくて、強くて、かっこよくて、たとえ悲劇でもたくましく生きられる人は他にいないだろうとほんとに好きだった。大人になったら、トランクスみたいな人と結婚したいなんて無茶な夢も目を醒ますこともなく、真剣に考えていた時期もあった。
トランクスに次いで、人造人間17号も好きだったから、セル編なんて二人の素敵男子から勝手にロマンティックをもらっていた。
今振り返るとなんて理想の高い愚かな夢を描いていたのだろうとバカバカしくも思えるのだけれど、でもそんな無謀な夢に心をときめかせることができた子ども時代が懐かしく、羨ましくも思える。

ドラゴンボールは私にそんな夢を与えてくれたのである。大人になった今、当然のことながらブルマになんてなれるわけもなかったし、トランクスや17号みたいな素敵な人と出会うこともなかった。それは当たり前のことなんだけれど、現実では絶対ありえないような美しくて、幸せな、楽しい夢をロマンティックをドラゴンボールとそのアニメのED曲が私に教えてくれた。

<ロマンティックあげるよ ロマンティックあげるよ ホントの涙 見せてくれたら
 ロマンティックあげるよ ロマンティックあげるよ  淋しい心 やさしく包んで 愛をあげるよ>

子ども時代、当然、楽しいことばかりではなかった。叱られて泣くこともあったし、家から逃げ出して、近くの祖父母の家まで助けを求めた時もあったし、学区外の学校に通っていて友達と会えなくて淋しいと感じる時もしょっちゅうあった。そんな時、やさしい愛で私を包み込んでくれたのもやはりドラゴンボールだった。アニメを見ている時だけは何もかも忘れて、不思議やスリルある時間をもらえて、主題歌から勇気やロマンティックをもらえた。
OP曲でドキドキワクワクして、ED曲では子どもながら、センチメンタルでエモい時間を感じることもできた。
このように私の子ども時代はドラゴンボールで形成されていたと言っても過言ではない。特に小学生くらいまでは。

中学生になる頃には『ドラゴンボールZ』が終了していたこともあり、ドラゴンボール熱は少しは冷めていたものの、またドラゴンボール熱が蘇るきっかけがあった。
『ドラゴンボールGT』が始まり、大好きなトランクスもメインキャラとして出ていたものの、未来のトランクスではない分、性格が若干違っていて、アニメの内容自体はそこまでドキドキしていなかったのに、先に述べた主題歌FIELD OF VIEWの「DAN DAN 心魅かれてく」にすっかり魅了されてしまったのだ。

作詞・ZARDの坂井泉水、作曲・織田哲郎その二人の名前を見ただけで、最強のアニソン間違いない。ドラゴンボールらしい、パワフルでキャッチーなメロディに、心奪われるストーリー性のある恋愛模様が描かれた歌詞が乗っかって、一度聞いたらすぐに覚えられて、自然と口ずさみたくなるような楽曲である。

ドラゴンボールの主題歌と言えば、「摩訶不思議アドベンチャー!」や「CHA-LA HEAD-CHA-LA」が特に有名で、「DAN DAN 心魅かれてく」もちゃんとその定番主題歌のノリを継承しつつも、そこまでアニソンらしいアニソンでもなく、FIELD OF VIEWというロックバンドが演奏し、歌ったおかげで、アニソン枠ではなく、単純に当時のヒットソングとなったところも重要ポイントである。

『るろうに剣心』の主題歌であるJUDY AND MARYの「そばかす」が同じく1996年にリリースされ、アニソン枠から飛び出して大ヒットしたが、それと同様の現象が「DAN DAN 心魅かれてく」でも起きたと思う。『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌・高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」も1995年にリリースされており、この時期は本当にアニソンの宝庫だ。

この頃からアニソンはアニメに限った歌というより、いちヒット曲として台頭し始めたと言える。語弊を恐れずに言えば、“アニソン=(良い意味で)ダサい”ものから、“アニソン=エモい”ものに変化したのがこの時期のアニソンだと思う。
先に述べた「ロマンティックあげるよ」も然りである。“アイドルソング=(良い意味で)ダサい”ものから、“アイドルソング=エモい”ものに変えてくれたのが、ドラゴンボールのED曲起用ではないかと思う。
実際、今のアイドルソング(乃木坂、欅坂など)はエモさ全開である。『ドラゴンボール改』のED曲にもなった「心の羽根」をチームドラゴンfrom AKB48が歌っていたのも「ロマンティックあげるよ」から踏襲されたエモさが由縁ではないかなと思う。

その後も最新の『ドラゴンボール超』ではあの吉井和哉が「超絶☆ダイナミック!」という曲で、あの氷川きよしが「限界突破×サバイバー」でOPを華やかに飾ったのは記憶に新しい。これらの曲はエモいというよりは、昔ながらの元気炸裂ドラゴンボールソングと捉えられる楽曲であったものの、名の知れたビッグな両者が主題歌を担当した点で、また一歩ドラゴンボールの世界を進化させてくれた気がする。

話は「DAN DAN 心魅かれてく」に戻るが、何が良いかって曲のすべてが良いし、感情が揺さぶられて、やっぱりエモい。前奏、間奏など歌のない部分でさえ、手抜きは一切なしで、全開のロックチューンが鳴り響く。歌が始まると、もうドラゴンボールというアニメの世界以上に、坂井泉水の詞の世界に引き込まれていく。

<少しだけ 振り向きたくなるような時もあるけど 愛と勇気と誇りを持って闘うよ>
<怒った顔も疲れてる君も好きだけど あんなに飛ばして生きて 大丈夫かなと思う>
<僕は…何気ない行動(しぐさ)に振り回されてる sea side blue>

アニソンOP曲としては珍しく、ポジティブな言葉だけでなく、ややネガティブで、ドラゴンボールの世界って簡単に生き返れたり、不可能なことはなくて、強気な世界なのに、妙に人間らしい弱気な部分も見せる歌詞が妙に愛おしい。
いわばヘタレな人間が主人公のようなストーリーが構築されているから、親近感が湧くのだ。はっきり言って、悟空やベジータみたいな最強のサイヤ人らしいアニソンは現実離れしていて、夢や希望はつまっていても、聞き過ぎると疲れてしまう。
純粋な人間、例えばヤムチャやクリリンが主人公だとすれば、自分ももしかしたらこのアニメの主人公に近づけるのではないかと夢の世界にリアリティが増す。
(GTにおけるトランクスもややヘタレキャラなので、トランクス視点の歌と捉えることもできる。)
この歌はそんな純粋な人間を歌ってくれているように見えるから、無理なく楽曲に寄り添える。

しかしアニソンだから、ちゃんと前向きだ。

<DAN DAN 心魅かれてく 自分でも不思議なんだけど 何かあると一番(すぐ)に 君に電話したくなる ZEN ZEN 気のないフリしても 結局 君のことだけ見ていた 海の彼方へ 飛び出そうよ Hold my hand>

<DAN DAN>という“前向きな肯定”と<ZEN ZEN>という“後ろ向きな否定”が、アニメのヒーローという理想と、ただの冴えない人間という現実を象徴している気がして、やはりこの歌はただの人間といういちリスナーがありえない夢のようなアニメの世界、バーチャルな世界に傾倒しやすい仕組みの歌詞になっていると思う。

歌詞を少し遡って

<DAN DAN 心魅かれてく この宇宙(ほし)の希望のかけら きっと誰もが 永遠を手に入れたい>

というフレーズがある。ドラゴンボールの世界において、永遠なんて夢ではなく、ドラゴンボールさえ集められれば、永遠もたやすく実現できてしまう。
しかし現実世界では永遠は夢物語でしかない。アニメの世界を信じられた頃なら、永遠も手に入れられると信じていた。ドラゴンボールを集めて、神龍に頼めば、永遠も存在させることができると明るい未来を信じて疑わなかった。でもやっぱり、子どもの頃思い描いた意味での永遠は存在せず、そのうちアニメの世界と現実世界の差のようなものに打ちひしがれるようになった。偽物のドラゴンボールを集めたところで、夢は叶うわけがないと現実を知っていく。するとドラゴンボールを集めるという行為自体やめてしまう。いつの間にか夢や永遠を考えることさえ虚しくなって、必ず終わりのある現実世界でいろんなことを諦めながらただ何となく生きるようになっていた。

永遠を夢見ることを放棄していても、「ロマンティックあげるよ」や「DAN DAN 心魅かれてく」といったドラゴンボールの曲と再会すると永遠を憧れていた時代に懐かしさが込み上げてくる。
<果てない暗闇(やみ)>の中にいるような暮らしの中で、ドラゴンボールという<希望のかけら>があったことを思い出すと、また永遠を信じてみたくなる。

永遠の命とか、物質的な永久不滅を望むのではなく、想いや心なら、もしかしたら永遠に残せるのかもしれない。実際、子どもの頃に遊んだドラゴンボールはもはや失くしてしまっていても、ドラゴンボールのテーマ曲がちゃんとドラゴンボールが好きだったという心を蘇らせてくれたように、感じた想いは残すことができるのかもしれない。
好きになったこと、淋しさ切なさを感じたこと、何かに夢中になって心魅かれる体験をしたこと…。それらをずっと心に留めておくことはできなくても、ふとした拍子に思い出すことはできるのだ。思い出せるなら心は永遠の存在になったと言って良いだろう。それを可能にしてくれたのが、今回紹介したエモいアニソン2曲である。

ドラゴンボール自体が永久的に愛されるアニメになったように、そのテーマソングも永遠に愛される音楽となった。どちらもリリースされてから20年以上経過したというのに、アニメ同様、色褪せることなく、輝き続けているし、過去の産物ではなく、今も生きている音楽として引き継がれている。ヒットソングとしてのアニソンを牽引している。

ドラゴンボールを好きになって良かった。だって永遠を感じられる音楽にも出会えたから。この歳になって、ふと耳にしたくらいで感情が高ぶられるエモい瞬間に立ち会えるなんて、そんなにあるわけないから。この2曲こそドラゴンボールの神髄に触れることができる楽曲で、探していたドラゴンボールは音楽の中にあった。掴み取ることはできない形のない、でも永遠になくならない、ドラゴンボールに育てられた子ども時代を過ごした大人たちが探し求めていたものは今もすぐ側にあったのだ。

成長するにつれて願い事はドラゴンボールではなく、自分の力で叶えるしかないと知って、それでも夢を叶えるため、自分に力を、勇気を与えてくれたのが、ドラゴンボールのエモソングだと再認識させられた。

殺伐とした社会で闘うことに疲れた時、この2曲が、愛や勇気、ロマンティックに心魅かれる時間を与えてくれるだろう。かつてドラゴンボールワールドに憧れた、社会の荒波に飛び込んで生きなければならない戦士となった大人たちは今一度聞き返してほしい。スーパーサイヤ人ブルーも夢ではないかもしれない。エモいアニソンはこの世で生き抜くために必要で、弱り切った心身を回復させてくれる仙豆なのである。近年は、節分の時期になるとドラゴンボール柄の箱に入った「仙豆」という名の大豆が売られていたりする。これらの曲を聞きながら食べれば、もしかしたら本当に仙豆の効力を得られるかもしれないと密かに信じていたりする。ドラゴンボールの名を借りたものを食べたり、主題歌を聞いたりすれば、騙されたと思って信じてみれば、神龍が現れて、願いを叶えてくれるかもしれないと思えた夏の始まりだった。

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