未来の破片はここにあった
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未来の破片はここにあった

桃井裕範 / Potomelli

現在7/23金曜日、深夜。

先程見たASIAN KUNG-FU GENERATIONのTHE FIRST TAKEに衝撃を受け、どうしても書かずにはいられなくなったので、興奮冷めやらぬ中そのままキーボードを打っている。

なので乱筆乱文はどうかお許しくだせえ。



さて、昨日のことである。

ゴッチさんが新曲公開のツイートとともに「THE FIRST TAKEにも出る」とさらっと呟いていたのを見て、「何!あのFIRST TAKEにアジカンが!?」と小躍りした。

しかもこの予告編でちらっと鳴らされたコードからするに、演奏されるであろう曲はアレじゃないか…ネタバレしてるよ…!(ニッコリ)

と、「俺得」状態だった僕は自宅にテレビがないので諦めたオリンピックの開会式をよそに、パソコンの前で待機した。

プレミア公開の場に滅多にいることのない僕としては、増え続けるファンの方々のチャットを眺めながら彼らと一緒にカウントダウンをするのが新鮮だった。

ライブが開演する前のワクワク感と似ているなあ、さすがよく作られてるなあ。

そして公開された曲は、やはり「ソラニン」。


冒頭のMCから演奏が終わるまでの6分49秒、僕は食い入るように動画を見ていた。そして、しばらく動けなかった。




僕がASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽と出会ったのは、高校生の頃に遡る。

当時軽音部でロック小僧だった僕は、バンド練習の後に学校の向かいにあるコンビニのイートインスペースでメンバーと駄弁るのがお決まりのパターンだった。

ジャズの存在など知る由もなく、エアロスミスやオアシス、レッチリなどのコピーをしていた。

そしてある日、いつものようにコンビニで喋っていると、ふいに有線から流れてきた曲に耳を奪われた。

切り裂くようなギターサウンド、それに拮抗する激しいベースとドラム。そして感情を絞り出すように叫びながら且つ美しいメロディーを歌うボーカル。

しかも日本語!これは日本のバンドなのか!と衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。

今のようにShazamで簡単に曲名を調べられるなどできなかった時代である。僕は喋っていたメンバーを徐ろに制し、曲を聴き逃がすまい、この曲を忘れてしまってはいけないと必死になって覚えようとした(その時は曲名やバンド名は分からなかった)。

当時ラジオでその週のヒットチャートや新譜を流してくれる番組を欠かさずチェックしていた僕は、「あの曲」が流れてくれないかと微かな望みを抱きつつ耳をダンボにしながら(死語)、そのチャンスに賭け探し続けた。


正確にいつかは覚えていないが、ある日その謎は解けたのだろう。

それこそが、アジカンのデビュー曲「未来の破片」だった。

今聴いてもカッコ良すぎるよ。

それから時が経ち、ゴッチさんそして山田さんと一緒に作品をつくることができる日が来るのだから、人生とは不思議なものだ。

タイムマシンで高校生の時の自分に会ったとしても、このことは秘密にしておこう。怠けないように。

そして今日、アジカンの素晴らしいパフォーマンスを見て、僕は自分がロックに対して持っていた情熱を再確認した。



近年、ロックバンドは厳しい状況に立たされていると言われている。殊にギターロックというべきだろうか。

アメリカのチャートには長いこと「ロックバンド」は殆どランクインしていない。

日本こそアメリカほど極端ではないかもしれないが、ここ数年のヒップホップシーンの盛り上がりやシティポップのトレンドに代表されるように、ロックバンドがチャートを席巻しているとは言い難い。

2017年ではあるが、ゴッチさん自身もこう発言している。さらにはロックの現状について、このような記事も書かれているくらいである。


そんな中、今日のアジカンの演奏を見て大変僭越ながら思ったことがある。

ロックバンドにはまだまだその初期衝動を内包したまま現代にアップデートされた音を鳴らすことができる可能性が大いにある、と感じたのだ。


そしてここへ来て新曲、「エンパシー」である。

え、めちゃカッコいい。僕が数分前に書いた現代のロック、そのものじゃないか。

U2が所謂ヨーロッパ3部作の後、「Beautiful Day」で自らのロックを悠々とアップデートし鳴らした時のような。


奇しくもヨーロッパでは今年、ピュアなロックバンドがまた盛り上がる兆しを見せている。

イライジャ・ヒューソン率いるイギリスのInhalerや、Eurovison Song Contestで優勝したイタリアのManeskinなどがその代表例だろう。

加えてBlack MidiやYoung Bloodなど、特にイギリスからその息吹をひしひしと感じる。

ギターが掻き鳴らされるロックバンドを、やはり世界は求めているのだ。



その流れの中、今日のパフォーマンスで僕はその力をまざまざと見せつけられて強烈に震えた。

そもそも、ソロアーティストの出演が大多数を占めるFIRST TAKEというフォーマットで、アジカンというロックバンドがここまでフィットするというのも新鮮な驚きだった。

さらに、彼らが演奏したソラニンは、高校生の僕が初めてアジカンを聴いた時のような激しい情熱を帯びつつもメンバーの笑顔が表すようにどこかリラックスしていて、幾多の死線をくぐり抜けた戦友たちだけが持つ絆のようなものが音にも現れているような気がした。

激しさと優しさは紙一重であり、陰と陽なのだと。



この盛り上がりに、ロックの逆襲や復活などという言葉を使うつもりはない。その理由は、図らずも山田さんの言葉が説明してくれた。


「ロックは寄り道されがちだけど、気付けばいつも割と側にいるんじゃないかな」


FIRST TAKEがあまりに良かったので、動画を見終わった直後に山田さんに図々しくもメッセージをしたのだが、その返信と共に添えられていたこの言葉に僕は溜飲が下がったのだった。



先程彼らの関係を戦友のようだと書いたが、バンドというものは元来、とても尊く儚いものである。

様々な理由から、バンドを離れていくメンバーや、バンドそのものが解散することは日常茶飯事であり、長くバンドが続いていること自体奇跡的なのだ。

それはさながら、そのあまりの生存率の低さから3億個も産卵しないといけないマンボウのようだ…。

上述のTHE FIRST TAKEの冒頭で、ゴッチさんがこう言っていた。


「25年も一緒に音楽を続ける仲間が見つかった、それでもう半分以上成功だよね」


この言葉が響いた人は少なくないはずだ。

道半ばで袂を分かつことになったかつてのバンドマンたちは、この意味が痛いほど分かると思う。

続けるということがどんなに難しく、それだけで素晴らしいことだと。

そして今まさにバンドをやっている人たちは、この言葉を信じて突き進んでいけばいいのではないか。


ロックバンドは最高なんだよ、と。




ここまで書き終えて、幾許か興奮の治まった僕は、とても清々しい気持ちが芽生えていることに気づいた。

それはまるでロックを信じ続けることの背中を押してもらったようだった。

僕もこれからもロックを聴くし、演奏し続けるだろう。

そんなことを感じながら、高校生のあの日偶然聴いたあの曲が、今日まさに繋がった気がした。



未来の破片は、ここにあったのだ。


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