9月2日 三度目のウクライナ
2日前からウクライナの南西部の都市、チェルニフィツィに来ている。
いま制作進行の写真集に、出来るだけ現地の新しい写真を入れたい、より多くの人々の姿を伝えたいと思ったためだ。
今回は、半年前、ロシアによる侵攻直後、ルーマニアから入った時とほぼ同じルートで来た。
本当は少し余裕を持ってブカレストで2泊ぐらいするつもりだった。東京での生活が多忙すぎたので、少し息抜きをしたかったのだ。
二度目、5月のウクライナはメジャーなルートでもあるポーランドから入った。首都キーウや東部ハルキウ(ハリコフ)にたどり着くには、ポーランドから入るほうが時間の節約にはなる。チェルニフィツィには遠回りになるので諦めた。
それでも今回はルーマニアから入ることを選んだのは、以前大変お世話になったパーシャや彼のお父さんに会いたかったからだ。彼らとは、戦時下のなか、一緒に釣りを楽しんだ。彼らが住んでいるチェルニフィツィはルーマニアの国境から50kmぐらい。そのパーシャに連絡を取ると、すぐに釣りの予定の返信が来た。前回、何も釣れなかった帰り「戦争が終わったら、もう一度リベンジしよう」とパーシャのお父さんは言っていたはずだが、そういうことをいま言うのは野暮だろう。釣り好きはただ、チャンスがあれば釣りがしたいのだ。予定は週末の2日後ということで、私は慌ててウクライナに入ったのだった。
国境では、ルーマニア側では警察が、ウクライナ側では兵士が警備にあたっていた。やや緊張感のある風景に、戻ってきたんだなと改めて感じる。
それでもチェルニフィツィに入ると、ほっとした。キーウやハルキウ(ハリコフ)、オデーサも行ったけど、やっぱりチェルニフィツィが一番好きだ。
滞在する宿は前回もお世話になったソビエト式のホテル。極寒のなか、シャワーは水しか出ないし、バスルームの排水溝がなく水は溜まる一方、電球は切れたまま、ベッドは診察台のサイズという辛い思い出もあるが、それでも一泊3000円ちょっと、という価格はありがたい。地元の人いわく、最低レベルの宿らしいが、自分にとっては十分で、半年ぶりに訪れても受け付けのお姉さんは私のことを覚えてくれていた。近くのスーパーやコーヒースタンドの店員さんも半年前と同じ人で、この環境に落ち着く。
街を歩いても以前ほどの緊張感はなく、歩いているだけで怒鳴られたりということは今はもうない。私はそもそもブリヤートっぽい顔立ちはしていないと思うけど。念のため、カメラはバッグの中に入れたまま歩く。
午後、街の中心部で、授業終わりのパーシャと再会。「調子どう?」と聞くと、挨拶もそこそこに彼は学校の先生についての不満を続けた。そう言えばその先生についての相談のメッセージをもらっていたなと思い出した。詳しいことはよくわからないが、昨日は6時間も議論をしたらしい。そのあと、お父さんとも合流。
昨日からの土砂降りは今日も続いているが、パーシャのお父さんは全く意に介さず、パンとビールを買い込み、郊外にある野池へ車を飛ばす。私が座る後部座席の隣には釣り道具が満載だ。彼は英語が全く話せないのだけど、息子のパーシャが通訳となってくれ、会話する。美味しいパン屋さんの話、それからいま郊外に建設中の新居についての話。
やや雨が弱くなり、車は荒れた林道を抜けていく。途中、突然ひらけたところに大きな野池があった。
前回訪れた池よりもはるかに大きい。周囲には金網のフェンスがあったが、全く気にせず、お父さんは乗り越えていく。彼はユニークな人で、とにかくワイルド。自分のやりたいことを、やりたいようにする人のようだ。彼のあとにパーシャ、そして私が続く。野池の向こう側は牧場になっていて、牛の群れがいた。
夕暮れから始めた釣りは、冷たい雨の中、震えながらもお父さんは楽しそうだ。合間にパーシャとビールを飲んで、水面を見つめたまま、学校や友人のことを聞く。前回、一緒に釣りをしていた同級生のナザールは交換留学でリトアニアに行ってしまった。パーシャもできればオーストリアで勉強をしたいらしい。時々、遠くから、のどかな牛の鳴き声と、牛飼いの「ダァッ、ダアッ」と追う声が聞こえる。
そんな話をしている側で、お父さんは順調に釣り上げていく。釣るたびに「ヒロ!」と呼ばれ、魚の写真を撮る。釣れるのは大きなフナや鯉。私も3匹釣った。お父さんの頑張りもあってか、最終的に20匹以上は釣った。運転があるのでお父さんはビールを飲めなかったが、満足のいく釣果に顔が紅潮している。明日はこの魚をさっそく焼くらしい。「食べに来るだろ?」という親子に、もちろん、と返した。
陽が暮れた帰りの車中、ヘッドライトのなかカモが数羽、林道にいるのをお父さんが見つけた。「次はハンティングに連れていってやる!簡単に撃てるぞ!」と言った。今現在は発砲音が攻撃と勘違いされるらしく、狩猟は禁止されているらしいが、「次またチェルニフィツィに来るころには大丈夫になっているだろ」と言った。そもそも狩猟免許も持っていない私が、撃っていいわけないだろうと思ったが、いろいろ突っ込むのもまた野暮だろう。
運転するお父さんと助手席のパーシャがなにかヒソヒソ話をしている。お父さんは何かを伝えたいらしく、英語でなんというのか、パーシャに聞いているようだ。パーシャが父親に「・・・チェルニフィツィ・イズ・ワンダフル・・・」と小声で伝えたのが聞こえた。即座、お父さんが運転をしながら振り返り「ヒロ!チェルニフィツィ・イズ・ワンダフル!」と大きな声で言った。「うんうん、聞こえてたよ」と返すと、3人で大笑いした。
今日はほとんど戦争の話をしなかった。このあとは彼らと別れ、いろいろな街を巡る予定だが、こうやって楽しめるのはきっと今のうちだけだ。
チェルニフィツィ・イズ・ワンダフル。
次またこの街を訪れるのはいつだろうか。
その頃には戦争が終わっているだろうか。
取材の撮影は今回はほぼ中判フィルムで撮影しているので、いまアップできる写真があまりない。書きたいことはいろいろあるのだが、特に速報性も求められていないと思うので、ゆっくり書ければいいかなと思う。
※チェルニフィツィの表記は結構バラバラで、チェルノフツイやチェルニウツィなどあるのですが、現地で聴いた一番近い発音表記がチェルニフィツィだったので、そうしました。
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