掌編『おみくじ』2020/5/26



 戦争が始まった。隣の家に赤紙が届き、現実だと理解した。結婚したばかりの頃だった。
 次に呼ばれるのは主人かもしれない。思ってすぐ、あの人を連れて神社へ行こうと考えた。たどたどしいけれど、満足のいく毎日をやっと手に入れられたのに、また消えてしまうなんて。神様に祈りたくなった。
 私を養うために朝から晩まで働く人を捕まえられるのは、朝方しかない。まだ夜明けがみえる時間に、主人をそっと起こした。まぶたとまぶたが張り付いてはがれないまま、主人は私の腕を掴む。「なんだ」と掠れた低い声で言う主人の腕を、そっと撫でると、照れたように腕が私から離れていった。
「神社へ行きませんか」
「こんな早い時間に、かい」
 主人はのっそりと起き上がって、上着を羽織った。歩いていって窓をあけると、肌寒く、青白い朝がきているのが、私にも届いた。
 二人で神社まで歩いていき、おみくじを引いた。開くと、大吉だった。カラカラと鐘をならして、手を合わせて祈る。祈る私を、主人は見ていたようで、顔をあげたときに目があった。やがて私から目をそらして神様に向きなおった主人は、自分のおみくじを懐にしまって、生真面目に祈った。
「おまえのおみくじはどうだった」と主人がきいた。
 良い結果は、見せたら効果が減るんじゃないかと考えてしまった。私の大吉は、戦争を終えても主人が無事でいてくれると告げているような気がした。本人に見せるのは、なんとなく躊躇われる。
「あなたはどうだったんですか」
 主人は懐からくしゃりと握りしめたおみくじをとりだして、笑う。
「大凶」
 杭で胸元を刺されたようだった。急に私の大吉が、自分だけが生き残ることを告げているような気になって、嫌になった。
 主人は「当たっているだろうね。これから戦争だからね」と笑いの余韻を残した声で言う。
「僕は、死ぬかもしれない」
 目頭が熱くなった。冗談でもそんなことは言ってほしくなかった。
「死ぬかもしれないが、君に会えたのだから、幸せ者なんだろう。この大凶は、僕が幸せだから出たんだ」
 主人は咳払いを一つして、
「おまえの結果は秘密かい?」ときいた。
 私はもう一度、自分の出した大吉という結果について考えなければならなかった。今が幸せでないから、大吉が出たのだろうか。
 すぐに、違うと思い直した。今の幸せが続くと、私の大吉は告げているはずだ。たとい主人の大凶が死を告げ、私の大吉が私だけの生を告げているとしても、それならばと、主人の手に私のおみくじを握らせた。
「差し上げます。その代わり、約束をしてください」
 主人は指を開いて、おみくじを読んだ。優しい顔つきで私をみる。
「必ず帰ってくると約束してください。それまで、その大吉はあなたが持っていてください」
 主人は私の肩を引き寄せて、頷いた。


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