私が思う、最強の努力
1.努力とは
『努力』と調べると大抵このような意味がでてくる。
読んで字の如く、つとめること(努めること)であり、その前に『目標の為に』『あることを成し遂げる為に』という文章がもれなくついてくる。
似ているようだけど、『頑張る』とは違う。
『頑張る』自体に『目標のために〜』という意味は含まれていない。どちらかというと、がむしゃらに、我慢してやり抜くみたいな意味。
目標ありきの言葉。
目標の為に頑張ることを『努力』という。
私は努力できているだろうか。
私の努力は、目標に対して足りているんだろうか。
そんな悩みが尽きない今だけど、私は最強の努力を知っている。
2.最強の努力
『好きこそものの上手なれ』ということわざがある。
中学、高校と続けたホルン。
吹奏楽部時代の私はまさにこの状態だった。
朝練、昼練、自主練は欠かさなかった。
毎日、半音階ロングトーンからの個人基礎は
少なくとも30分、長くて1時間やってたし。
体力作りのためのランニングも筋トレも、
肺活量上げるためのロングブレスも、声出しも、どんなに苦手で「声小さい!」って怒られても(笑)
ホルンが吹けるなら全然苦じゃなかった。
だから、やっぱり上手くなった。
ホルンパートリーダー、金管セクションリーダー
になった。
部長みたいに部員全体をまとめることはできないけど、技術面でまとめたり、練習を指揮したりすることはできた。
冬の大会アンサンブルコンテスト(通称アンコン)に、木管八重奏の中の唯一の金管楽器として出場するという経験をした。
高音が得意で、ホルンの1st.パートを吹くことが多くなった。ソロも吹いた。
(ホルンは、楽譜が1〜4と吹くパートが分かれていて、1と3がどちらかというと高音パート、2と4がどちらかというと低音パートになってる。
他の楽器もそれぞれ分かれていて合わさって重なって曲が成り立ってるんです、実は😏)
肺活量が少なくても、音量は増やせると知った。
全国常連の強豪校だったわけじゃないし、
上には上がいることももちろん知ってる。
けどこの経験は、私の中で確かな成功体験になっている。
3.努力も才能のうち
私に特別な才能はない。
特別頭が良いわけでも、スポーツ万能なわけでも、秀でた特技があるわけでもない。
これは学生の頃から常々思ってた。
だからこそ、努力もしなければ、何も持ってない人になってしまう。
「ひろちゃんは、努力家だから。」
基本的な自己肯定感が低い私には、ピンとこない言葉だったけど。
そう何度も言ってくれたひいおばあちゃんは、どんなに難しい漢字も熟語もスラスラ読んじゃう人で。
幼いながらに憧れて、漢検2級までだけど取ったり、酸欠になりながらもホルンは辞めなかったり。
あぁ、小学生の時独学で一輪車乗れるように練習したなぁ。
私の人生、努力を全くしてこなかったわけじゃないんだな。
でも今、ひいおばあちゃんに会えるとしたら、面と向かって「努力してるよ」と伝えられるだろうか?
部活という小さなフィールドで培われた努力の成功体験は、今有効活用できているのだろうか?
努力が必ず報われるという保証はどこにもない。
形に見えるかもわからない。
楽しいことばかりじゃない。
でも、それでも見たい景色があって、成し遂げたい意志があって、もはや意地でも負けず嫌いでも何でもいい。
小さくても努力をやめないでいきたい。
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