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自粛ポリス24時

登場人物

立花真里
立花裕司
清水多香子
荒井早紀
樹(いつき)・・・早紀の甥っ子
木村八重子
田中浩一
田中由里

黒い男あらわる

 公園からの帰りみち、いつきは、自転車に乗った黒い服の男とすれ違った。なんだか、おかしいなと、いつきは思った。でも、どうしておかしいと思ったのかは、わからない。男はゆっくりと自転車をこぎながら、あたりを見回すようにして一つ先の路地を曲がっていった。

いつきが家に帰ると早紀ちゃんがいた。
「あ、いっくん、おかえりー。」
 早紀ちゃんはいつきのおばさんにあたる。けど、おばさんっていうとなんか変な顔をするので、いつきは早紀ちゃんって呼ぶことにしている。
「うん。」
 いつきはあいまいにうなずいて、玄関にランドセルをおく。
 まずは、トイレ。石鹸でていねいに手を洗う。リビングにいくと、早紀ちゃんがなんだかうれしそう。
「ねぇ、いっくん、マスク作ったの、どれがいい?」
 テーブルには、四角い白マスク、ぞうさん柄など、三角っぽいのや、カパカパしたポケットみたいなマスクとか、いろんなマスクがずらり。

「うーん・・・。」
正直、いつきは何がいいのか、さっぱり分からなかった。
「さっちゃん、全部もらっちゃってもいい?」
 困ったいつきの横から、お母さんが助け舟をだした。
「さっちゃん、すごいよねー。ちょっとしたハンドメイドのお店開けそう。子ども用のマスク、どこにも売ってないから助かるわー。お友達にも少しあげてもいいかな?」
「もちろん!どんどんあげちゃってください!」
 早紀ちゃんは、ぱっと顔をかがやかせた。
 ひとしきり、ママとお話ししたあと、早紀ちゃんは、えへへ、とご満悦で帰っていった。
 マスクは1つ1つ、ていねいに透明のプラスチックの袋に入れて、マスキングテープで封をしてあった。早紀ちゃんはこういうところが、すごく女子っぽい。

空き家には何がのこるのか

「まただわ・・・。」八重子はぞっとした。
 半年前から空き家になっている隣の家に、時折、人影が見えるのだ。
 気持ち悪い・・・。八重子はレースのカーテンを閉め、キッチンへお湯を沸かしにいった。

 都市部からほどよく遠いこの町は、人混みもなく、商店も適度にまばらで住むのにはちょうどよい。八重子はこの町にきて50年ほどたつが、このあたりの住人の顔はもちろん、家族構成、住んでいる場所もほとんど知り尽くしていた。八重子の家は公園の裏手で少し袋小路のようになっている。通行人はたいてい近所の人間だ。知らない人間の気配がするのが、まず気持ち悪い。空き家の管理人だったとしても、となりに一声かけても良さそうなものだ。

 隣の家の奥さんは、夫に先立たれ、何年か独り住まいだった。半年ほど前に体調を崩して入院し、そのままあっけなく亡くなった。その間、彼女の家族を見たのは数えるほどだ。家族といっても、住む家が分かれてしまえば、薄情なものだ。子育てをしていたころの八重子は母に助けられたこともあり、母子のつながりに何か強い『きずな』を感じていたが、隣人を見ていると、そんなものは儚い夢なのだと思う。

たまにはLINEしようか

スマホ画面

―パタン。
 真里はスマホを脇にはさんで、冷蔵庫を開けた。白ワインとブルーチーズを持って、ベッドに向かう。
(・・・不審者ね~。明日から連休だし、久々に実家に帰るかな。)

夫婦の会話はだいじです

 午前10時ごろ、リビングで孫の面倒をみていた八重子は低いエンジン音に気づいた。
 音は近づいて、ちょうどとなりの空き家の前で止まった。車庫入れの音がする。ちょうど塀の向こうなので、どんな車かは見えない。話し声がするので、一人ではないようだ。
 いやな予感がした。
 連休だからって、遊びに来たのだろうか。それとも別の目的で?

「ちょっと、あなた。おとなりにだれか来てない?」
「ん、清水さんじゃないの。」
 夫はテレビを見たまま、振り返らずに言う。清水さんは空き家をはさんだ一つ向こうの家だ。
「ちがうわよ。今日はずっと車あるもの。だれか来たんじゃないかしら。」
「ふうん。」
 またしても気のない返事。
 いま、国内ではとても感染力の強いウイルスが流行している。国全体に緊急事態宣言が出され、全国民に外出の自粛が呼びかけられている状態だ。こんな時期に、わざわざやってくるとは、一体どういう輩なのか。こういう不用意な人間がいるから、この国で感染症が蔓延するのだと八重子は思う。

 午後3時ごろ、もう1台、車がやってきた。なんて非常識な・・・。孫がいるので、見に行くことはできないが、ずいぶん長いこと車は停まっていた。宅配ではないようだ。
 夕方、息子の嫁がきて、孫は無事に引き取られ、帰っていった。八重子は夕飯の準備をしながらゆるやかに、ほえた。
「あなた、おとなりの人、ちょっと非常識じゃないかしら?」
「ん?」
「あいさつもなしに勝手にやってきて、しかもこの時期によ?どこから来たのかしら。東京では感染者も増えてるっていうし、まさかそこから逃げてきた人じゃないわよね。」
「うん、まぁ、そういうこともあるだろうなぁ。」
 夫は絶妙なあいづちを打ちながら、孫が帰ったあとのリビングを片付けている。

 が、しかし、八重子の想像は止まらなかった・・・。
 夕飯になり、八重子の頭の中では、感染拡大ストーリーが展開していた。無症状でも感染している可能性はある。まず、隣人が立寄ったであろう、コンビニの店員が感染する。それからコンビニに来た客が次々と感染していく。それから家族や恋人へ。町からは、一人、また一人と知らない間に人が消えていく。きっと、だれにも会わないまま、検査を受け、療養施設に送られるのだ。知人がいつの間にか死んでいたと、風のたよりで聞いておどろく。今、私が死んだら、だれが孫の面倒をみてやるのか。自分と家族を守るのだ。生きる選択をするのだ。八重子!!
 八重子は大きく息を吸った。
(・・・可能性だけでいえば、ゼロではない。)
 そう思った。

「ちょっと、様子を見てきますね。」
 八重子は、ポリ袋をひとつ持って、家をでた。
 うしろで夫が、気を付けてね、とぽそりと言う。

バカンスか冒険か、それが問題だ

 気持ちのいい晴れ!!
 緑の濃い山の脇を、ゆるくカーブしながら高速道路が走っている。真里はグラデーションのある大きなサングラスをかけ、車を運転していた。実家に帰るのは、久しぶりだ。休みの日は混むので、これまでほとんど実家に帰ることはなかったが、さすがにこんな事態だからか、渋滞にまきこまれることもなくスムーズに帰り着いた。

「ここが真里ちゃんち?」
 家の前に車をつけると、助手席にいた裕司くんが、2階建てのわが家を振り返った。
「うん。普通の家でしょ。」
「うん。真里ちゃんが育ったんだなって感じがする。」
「あは。よくわかんないけど。・・・ちょっと待ってね。カギあけるから。」
 裕司くんは途中のコンビニで買ったお弁当やら飲み物を持って、2階を見上げている。さりげなくいつも荷物を持ってくれるところが、かっこいいのだ。
 半年も放置していたので、虫がわいているのでは、と正直びくびくしていたのだが、家の中は意外とキレイだった。家具や食器は、そのままだ。特に荒らされたような様子もない。
 良かった、と真里は胸をなでおろし、ブレーカーを確認する。電気は通っているはずだ。
「裕司くん、リビングに適当に荷物おいといてもらえる?」
「りょうかーい。」
 裕司くんは手際よく荷物をリビングのソファのあたりに運んでくれる。真里も、と掃除道具をとりに出ると、
「こんにちはー。真里ちゃん、久しぶり。」
 おとなりの多香子がひょっこり顔を出した。
「うわ~、久しぶり~!元気だった?」
「うんうん。おかげさまでね。家、大丈夫だった?」
「うん。思ったよりキレイだった。」
「夫さん、一緒に来てくれたの?」
「うん・・・。」
 あ、ダメだ。楽しすぎて、きっと話が終わらない。
「ごめん、裕司くん!」真里がドアを開けてリビングに向かって両手を合わせると、裕司くんは、ひらひらと手を振った。いってらっしゃいの合図だ。

終わらない掃除とマスク

 家に帰ると、裕司くんはソファでのんびりくつろぎながら、スマホで音楽を聴いていた。
「ごめん!つい話し込んじゃって・・・。」
「よかったね。仲良しだった子でしょ。」
「うん。」

 裕司くんとはじめて会ったのは、仕事での打ち合わせだった。そのとき、真里はバリバリのキャリアで、仕事ひとすじ。夫ひとすじだった。裕司くんにも彼女がいたし、まさか、そのときは、こんなふうになるとは思ってもいなかった。人生って、ほんと分からない。
 彼のことはめちゃくちゃ好きってわけではない。でも、一緒にいるとすごく、らくなのだ。
 たとえば、こういうところ。家族なんだけど、ちょっと遠めの敬意のある距離感。

 午後になって、もう一人の友達がちょっとだけ来ることになっていたので、真里はさっさかお昼を済ませて、掃除に専念した。裕司くんは勝手がわからないので、ずっとスマホか読書をしている。
 ♪ピンポーン♪
 玄関のドアを開けた真里は、ちょっと、どん引いた。
 マスクを作ったとは聞いていたが、彼女が持っていたのは、中くらいのダンボール箱。
 相当な数のマスクを作ったと思われる。
「す、すごいね、早紀ちゃん。これ全部マスク?」
「うん!いっぱいあるから、ちょっとどれがいいか選んでくれない?」

「真里、ちょっと散歩してくるね。」
ほんと神的に、タイミングと距離感がうまい・・・。

きっと、忘れてたわけではありません(真里談)

 お風呂から上がると、裕司くんが、茫然と立ちつくしていた。
「真里、さっき、となりの人が来て、この町から出てけって言われた。」

・・・・・・・はぁ?(*´Д`)
 よくよく話を聞くと、私がお風呂に入っている間に、おとなりのおばあちゃまが挨拶にきたらしい。私とおばあちゃまは顔見知りなんだけど、きっと、全然知らない裕司くんを見て、びっくりしたのだろう。
 それで、おとなりのおばあちゃまは、どこから来た、なぜ来たのかと尋問し、最後に「この町から出ていけ。町のみんなが迷惑している。」という主旨のことをおっしゃったらしい。

「で、これもらった。」
 裕司くんはポリ袋に入った、サバ缶を差し出した。
う、うーん・・・え?出てけって言われたんだよねぇ?

「で、そのおばあちゃん、マスクしないで来たんだよ。もし、その人感染してたら、ぼくも感染してると思う・・・。もし、僕が死んじゃったら、ごめんね、真里。」
うぉおい!待て~ぃ!どう考えても、となりのおばあちゃまより、あなたのほうが元気もりもりだよね!てか、今マスクしてないあなたも私に感染させてますし!

 そういえば、おとなりのおばあちゃまのとこ、今日、お客さん来てたみたいだったから、あいさつに行きづらかったんだよね。忘れてたわけじゃないんですよ、挨拶。なんかタイミングがね。夕飯の時間になっちゃったし。
 明日、行くか。

つながる心が地域の力だ

 翌朝、真里は早紀ちゃんにもらったレースのフリフリのマスクをして、おとなりのおばあちゃまに、挨拶をしに行った。
要点は3つ。
・おとなりを空き家にしてて、すみませんでした。
・裕司くんは私の夫で、あやしい者ではありません。
・そちらにお客さんがいらっしゃったようなので、挨拶が遅れました。すみません。

 おばあちゃまは、ちょっと不機嫌そうに、
「来た時に一言いってくれればよかったのに。この時期はやっぱりちょっとやめてほしいのよね。みんながんばって自粛してるんだから。用事が済んだら早く帰ってね。」と言った。
(いえ、事前にお電話はしたんですが・・・)と真里は思ったが、口には出さなかった。
 それから、町内のお友達に謝罪の電話やメールを入れること数件。
 しかし、おばあちゃまの発言とはうらはらに、みんな優しくまた帰っておいで、と真里たちを歓迎してくれた。ちょっと助手席でご機嫌ななめな裕司くんを乗せて、真里はまた山のアーチの自宅へ帰っていく。

犯人はだれだ

「・・・というわけで、大変だったのよ!
 っていうか、浩一のほうが家近いんだから、空き家みてくれたら助かるんだけど。」
「え? 俺、ときどき見に行ってるよ。わりとキレイだったろ?」
「でも不審者とかいて、あそこ危ないって聞いたよ。」
「そうか~? 俺は変なやつ、1回も見たことないぞ。」
「もう、わかんないよね。いまどき、メガネとマスクの男なんて、そこら中にいるもんね。」
「空き家どうする? もう、このタイミングで売っちゃったほうが楽なんじゃない?固定資産税とか管理費もかかるし。」
「私も、家、遠すぎて管理は無理よ~。使わないし。」
「いや、それが今、資産価値とか計算してるから、もうちょい置いといて。ちゃんといい値で売りたい。」
「え~、もう浩一が管理しなよ。私、お金いらないから。あ、奥さんに管理してもらうのはズルね。」
「あと、もっかい木村さんとこに、挨拶よろしく!」
「・・・はい。行ってきます。」

 こうして、姉2人、弟1人のLINE会議は終了した。
 浩一は黒ぶちメガネをずりあげた。不審者か。ちょっと、自転車でパトロールしてこようかな。
 人にはそれぞれ、事情がある。感染リスクを減らすことと、自粛することの区別がついていない人もいる。誰だって、自粛ポリスになりうるんだと思う。

おしまい。

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