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【第14話】4年春、一か八かの筑波

どうも、川瀬です。前回は冬季、僕が怪我でチームを抜けてしまったらチームが機能しなくなってしまった話をしました。

今回はそこから関東インカレ、全日本大学駅伝予選会の話です。かなり赤裸々に、そして少し当時の不満?っぷりが現れてしまった記事なので気分を害された方がいたらごめんなさい。
でもこれも全部未来に繋がっている話だと思うので読んでみてください。

3月、僕が怪我で練習を抜けている間に一人ひとりがバラバラな方向を目指している状態になっていました。共通の練習メニューをやってますが、なんのためにその練習をしているのかが見えていない。
チームとしての結果を出すため、ミーティングで再三どうやってシーズンを戦っていくかを伝えたつもりでしたが、チームの中は目先の練習に囚われ、練習の意図も体の状態や調子もバラバラなチームになってしまいました。

4月から早急に立て直しをかけますが、調子が良い人・悪い人がばらけすぎており、試合の結果も良い人・悪い人がバラバラすることになってしまいました。
5月の頭にようやくチームの足並みが揃い始め、そこからチーム一丸となって練習しますがチームは関東インカレで惨敗します。

個人としては怪我明け後、チームの練習をコントロールしながら丁寧に練習を積み上げたつもりでした。そしてこの関東インカレに最大限合わせ、人生で1番キレのある状態に仕上げることができました。しかし5着までの選手が決勝に行ける予選で、ラスト70mのところで交わされて6着、予選敗退に終わりました。

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さて、話しはチームに戻ります。
5月、6月となんとかまとまってチームとして練習を積み上げました。特に6月は関東インカレの敗戦もあってか、チーム全体が引き締まっていい練習を継続できました。
練習やり過ぎのギリギリのラインを攻めながらのメニューでしたが、みんなでしっかりやり切れた6月の練習だったと思います。

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そして迎えた全日本大学駅伝予選会。
尋常じゃない暑さの中、風も強く、走るようなコンディションじゃなかったのを今でも覚えています。今思い返しても人生でもう一回走るのが嫌なレースランキング、ぶっちぎりの1位です。

各組40人走る中で、
1組目:川瀬23着、金丸28着
2組目:村上27着、藤田37着
3組目:吉成さん28着、西29着
4組目:相馬23着、才記さん35着
で、筑波大は20校中16位でした。
最低限の走りしかできませんでした。しかし関東インカレでチーム全員がどの試合も大体3000mで離れたときに比べたら、チームでなんとか戦うことができてその上で負けたレースでした。

もちろんとても満足といえる結果ではありません。ですが当時の駅伝主将の僕には出場校の背中が届かなくても見える位置までチームを引っ張ってくるのが精一杯でした。当時は自分自身の実力も本当に足りていなかったので。
駅伝主将としてチームの結果をこだわってきていたはずですが、チームが見えなくなり後手後手になってしまった半年間でした。

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・振り返り
本当に怪我で抜けた1ヶ月の代償は大きかったです。ここまで駅伝主将が何かしないと回らないチームなのかとビックリしましたし、逆にそこに気付かずに駅伝主将になった自分、それまでの下級生時代を反省させられました。

本当にこのチームは強くなる気がないのかと強い疑念を抱いた関東インカレでしたし、逆に約2ヶ月でよくここまでチームが仕上がったなと思わされた全日本大学駅伝予選会でした。
実際、全日本大学駅伝予選会は直前の練習を見るともう少し戦えた気はしますし、ただ2ヶ月の付け焼き刃で戦えるほどあのコンディションは甘くなかったなとも思います。

箱根駅伝予選会はこのままでは厳しいが、あの2ヶ月の集中力をもう一度見せられれば、一か八かあるのではないかと思わされました。

個人の振り返りとしては関東インカレは本当に調子が良かったのですが、最後の直線で足が持ちませんでした。当時は3月に練習出来なかった分かなと思ったのですが、今思うとさんしょうのレースはいつもラスト走れてないのでただの走力不足ですね笑

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それにしても本当にあの全日本大学駅伝予選会は暑過ぎたし、キツかったなあ。。。そもそもこの春シーズン、ずっと暑かった。
全日本大学駅伝予選会で撮っていただいた写真は結構映えてるので観てね!!笑
では次回!!お楽しみに!!!!

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