見出し画像

ひろむ・ヒロム・宙夢

僕の名前は川瀬宙夢です。
宙夢と書いてひろむと読みます。
今まで、自己紹介をし忘れたので少しでも覚えてもらえるよう何度でも書きます。ひろむです!

画像1

親が宇宙くらい大きな夢を持ってほしいと願って名付けてくれました。時々キラキラネームと言われることはありますが、すごく気に入ってる名前なので言わないでください笑

さて、noteを始めるにあたって書きたかったことがいくつかあります。その一つが箱根駅伝についてです。今更感はありますが、読んでもらえたら嬉しいです。

初めて箱根駅伝を観たのはいつだったか覚えていません。ただ物心ついた時から正月のテレビでは箱根駅伝を観ていました。小学生の頃、校内の持久走大会で1位になったことがあり、箱根駅伝を夢見た頃がありました。

しかし、中学生時のベストは
1500m:4'26、3000m:9'50、
高校でもベストは
1500m:4'02、3000mSC:9'13、5000m:15'31と、3000mSCではインターハイに進めたものの予選敗退でした。それ以外は目立ったこともなく、徐々に徐々に華型の5000mや注目度の高い駅伝で戦う力がないと思ってしまっていました。気がつけば大学で陸上を続ける理由は「もう一度3000mSCで全国の舞台で戦いたいから」になっていました。

そんな自分には箱根駅伝を目標にするには遠すぎると思ってしまっていました。

それは大学に入ってからも変わらず、毎年夏合宿で「殻を破って強くなってやる!」と意気込んで練習に臨むわけですが、疲労に弱い自分はすぐに走れなくなり夏にきちんと練習を積みきれずに1〜4年生を過ごしました。箱根駅伝予選会当日は根拠のない奇跡を願うことしかできませんでした。もちろんそんな奇跡は起こることなく、自分はチームに貢献できないまま4年間を終えました。

今振り返ってみても大学4年までは箱根駅伝は目標にはなり得ない夢だったと思います。

そんな中迎えた大学5シーズン目に入る前の冬季練習。病院実習も始まり十分な練習時間が取れないことを言い訳に箱根駅伝への夢は諦め、自分が戦えるステージである3000mSC1本に絞って勝負する方針に切り替えました。そんな冬季練習では自分の一番の課題であるフォーム改革に取り組むようにしました。するとそれが上手くハマり、シーズンイン前に冬季練習の成果をチェックする感覚で出場した3月の学生ハーフでは64'54で走れてしまいました。
全てをかけて臨んだつもりの4年生の予選会を、冬期練習の一環で出た試合で簡単に40秒も超えてしまったのです。

箱根を諦め、開き直ってもう一度自分に足りないところを基礎からやり直そうとしたら、箱根駅伝が見えてきてしまいました笑

こうなると話は別です。当時の自分は「学生連合でもなんでもいいから箱根に出る」と思いを決め、予選会でハーフマラソンをしっかり走るために目標を逆算し始めました。この時、初めて箱根駅伝は夢から目標に変わりました。具体的に何をすべきかが分かるようなりました。

そこからチーム内で色々なトラブルもありましたが、予選会を6位で突破、箱根駅伝出場を決めました。

画像2

去年の自分、高校生の頃の自分、中学生の頃の自分、どの自分に話しかけても箱根駅伝走るなんて話は信じないことでしょう。

箱根駅伝を通して夢は夢、目標は目標、違うものなんだと実感しました。目標はきちんと手段を考えて努力できるけど、夢は漠然としすぎて分からない。でも目標は怪我などアクシデントがあると修正してしまうが、夢は簡単には揺るがない。

夢に対して段階的に目標を立て、突き進んでいけるに越したことはありません。ただ学生生活にはタイムリミットがあり、時間との戦いです。夢を簡単に諦めることはできませんが、逆に過ぎゆく時間に現実を突きつけられることもあります。

ただ中学高校の頃の自分、努力のベクトルが上手く噛み合わなかった大学4年生までの自分にはもっと自分に正直になって、頑張れと言いたいです。諦めたふりをして実は諦めきれずに3月にハーフを走っているあたりが本当に滑稽です笑

色んな感情を渦巻いてきたわけですが、陸上を始めた頃からしたら大きすぎる夢だった箱根駅伝に辿り着けた今、名前の由来のように走ってこれているのかななんて思ったりします。そして夢を叶えると言うそう簡単にはできない経験をさせてくれた箱根駅伝には感謝しかありません。

最初で最後の箱根駅伝は終わりました。ただまだまだ自分の夢も陸上競技も続きます!!なのでしんみりしないうちにこの辺で終わろうと思います笑

画像3




人の夢は終わらねえ!!!!!





この記事が参加している募集

よろしければサポートよろしくお願いします!!